上海のシステム

上海の街並

上海では1990年代半ばになって、ようやく全ての子どもたちが6年間の初等教育と3年間の中等教育を受けられるようになりました。それ以前の上海の教育システムは、1966年から1976年までの文化大革命による破壊からの再建に専念していたのです。

実際、国際的で外向的な都市の上海は中国の教育改革の最前線という位置づけを利用して独自の取り組みを展開しました。「一流の都市、一流の教育」というスローガンのもとに上海は経済発展をめざして教育水準の向上を優先事項としたのです。

2009年の結果で印象的なのは、成績下位者がほとんどいないことでした。上海には極めて成績優秀な生徒が大勢いますが、習熟度の低い生徒の不在こそが上海を世界の上位に押し上げたのです。もちろん上海には、国内移動で流入してきた生徒を含め後期中等教育を十分に受けられない15歳が大勢います。しかし、十分な教育を受けられる生徒については、たとえ経済的に不利な家庭の出身であっても良い成績が取れるシステムとなっているのです。

上海のシステムは、全ての生徒が成功できるか、または少なくとも然るべきレベルの学業成績を修めることができるという仮定に基づいているそうです。限られた勝者だけがゴールに到達できるような「選抜システム」ではなく、ほぼ全員が学業課程を修了することを目指しています。

この教育システムは、学校に通う全ての背景の生徒に適用されます。たとえ裕福な家庭と貧困な家庭の生徒の成績差が完全になくならない、あるいはなくすことができないとしても、社会的背景が学業を妨げる要因となってはならないとしているのです。その結果、2012年のPISAでは、上海の貧困層の生徒の成績はアメリカの中流階級の生徒を上回っていたのです。

学校システムはこの目標の達成を目指して構築されてきました。最も優れた教員が最も多くの支援を必要とする学校に派遣されます。全体の水準向上のために強い学校には弱い学校を支援することが求められるのです。これは、生徒の最高の力を引き出すための、能力主義の原則に基づく体系的な取り組みです。

教育はまた厳し竸争でもあります。上海の生徒は学校の勉強を補うべく、長時間の宿題をこなし、塾に通っています。生徒への期待は高く、約80%が高等教育へ進学します。とはいえ上海の生徒は、成績を上げるのは自分たち次第だと信じているのです。彼らは、数学ができるのは遺伝のおかげだとは思っていません。自らの努力と教員からの適切な指導によるものだと教えられてきているのです。保護者もまた熱心に子どもたちを支え、教育が家族の優先事項だと認めています。

上海の教育システムのもう一の鍵は、他の上位国同様、質の高い教員です。優れた教員の選考、教育、配属が教育政策の実現を可能にします。教員としてのキャリアを通じて、教育研究を中心とした能力開発研修が継続しておこなわれているのです。

上海の保育園

ここでシュライヒャーが言いたかったことは、優れた学校システムは何が違うかということです。しかし、この提案は、何も学校教育に関してだけでなく、乳幼児教育にも参考になる部分が多い気がします。

上海のシステム” への8件のコメント

  1. 上海といえば、この風景、という写真がトップに掲載されていますね。右端に聳え立つタワービルの展望階に行ったことを思い出しました。窓外の景色を楽しもう・・・残念ながら同階は雲の中。窓の外は雲だらけ。まぁ、そのことを知って行ったのですがね。少し高層ビルマニア的なところが私にはあるので。さて、上海の教育システム。「上海の生徒は学校の勉強を補うべく、長時間の宿題をこなし、塾に通っています。」これには恐れ入りました。その結果が「PISAでは、上海の貧困層の生徒の成績はアメリカの中流階級の生徒を上回っていた」というファクトフルネス。単純にすごいと思いました。「一流の都市、一流の教育」というスローガン。教育を成功に導くためには、こうしたスローガンとそのスローガンを達成するための本気の「システム」が重要だということです。「みんな違ってみんないい」もいいのですが、多様性や個性を重んじるあまり、社会全体が好ましくない方向に進んでいくとすれば、どうなのでしょう。我が国はどこに向かって行こうとしているのでしょうか。

  2. 「上海には極めて成績優秀な生徒が大勢いますが、習熟度の低い生徒の不在こそが上海を世界の上位に押し上げた」ように、優秀な生徒排出だけでは学力上位国として名を連ねることはできないようですね。確か、フィンランドでも習熟度の低い生徒への支援を優先していたようにも思います。また、優れた教員が質向上のために派遣される仕組みや、高水準な学校がそうでない学校を支援する仕組みなど、その学校単体で運営するというよりも、助け合い補い合いながら全体でカバーしていくシステムの好循環が読みとれました。そして、やはりそれだけではなく「教育研究を中心とした能力開発研修が継続しておこなわれている」上海。良い結果の過程には、やはりそれなりの理由がある。論理的思考を持つ必要性をさらに感じました。

  3. 社会的背景が学業を妨げる要因になってはならないということ、日本の幼児教育についてはどうなのだろう?と考えました。例えば待機児童の問題、働く親が優先されて園に入れることは致し方ないことですが、見守る保育の観点から考えると、その時期に適切な発達を遂げるために重要な0.1歳児の保育・教育が、親の就労状況によって受けられる子どもとそうでない子どもがいることになります。
    乳幼児保育が「教育」であるという認識が広まっていく必要を感じます。家族の優先事項が教育になっているのは、すごいことであると思います。教育を大切にすることは、長期的な視点を持たなければならないからです。
    1日1日を大切に、日々の保育から説明責任を果たしていくことを大切にしたいです。

  4. 「習熟度の低い生徒の不在こそが上海を世界の上位に押し上げたのです」や『限られた勝者だけがゴールに到達できるような「選抜システム」ではなく、ほぼ全員が学業課程を修了することを目指しています』とありました。すべての子どもに均等に教育の機会があるということを感じます。日本はもしかするとやはり裕福な家庭が高等教育まで進めるという部分はなくはないのかなと思ってしまいます。優秀な子であっても家庭の事情で進学を断念してしまうというケースは少なくないと思います。そのようなことがないような社会になってほしいと願います。「とはいえ上海の生徒は、成績を上げるのは自分たち次第だと信じているのです」と多くの人が思えているというのは社会がそうであるということを感じさせます。

  5. 〝習熟度の低い生徒の不在こそが上海を世界の上位に押し上げた〟ということでしたが、学習のレベルを上げるには、習熟度が低い人たちをどうするかというのが鍵になっていることを感じました。保育でいうなら、習熟度が高い子どもはこちらからの問いかけにも答えるし、こちらからの誘いにも応じてくれることが多いですが、そうでない子をどうするのか、というのが現場でも大切なことであり、専門性を発揮していかなければならない部分ということになるのでしょうね。その部分を見事に都市の政策により、すくい上げることができた上海はやはり、長期的な見通しをもって取り組んでいたことが想像できます。

  6.  教育における競争原理について考えてみたいと思います。折しも『人新世の資本論』を読んで資本主義の限界について学んでいるところでした。高学歴を得てエリートコースに進むことが悪いこととは思いません。豊かさを得る為に成績上位を修めたいと思うのも当然のことと思います。しかし成績上位=幸福と考えるのは盲目的だと思います。ましてや人より豊かに幸せになる為に競っても本当の幸せには辿りつかないでしょう。学ぶ豊かさ、知る喜び、そして誰かの為、社会の為に学ぶ姿勢こそ高い幸せ偏差値を掴む価値観だと思います。

  7. 人が育つ過程において、競争というのは大きな役割を持ちます。まだ幼い子達でさえ、隣の誰かに負けないようにと張り切りますし、なにより一番になろうとまるで勝つということに飢えているかのようです。上海が成功しているのは、選ばれた上位だけでの競争ではなく、全体的にレベルの高いなかで、ライバルがより多くいる競争にしたところではないでしょうか。一人で高みを目指すことを得意とする人もいますが、やはり、競いあい高め合う友達がいてこそその人の真の力が発揮されるように感じます。

  8. 上海の教育、どこか日本に近いものを感じつつ、しかしながら明らかな違いがあるのだろうことを感じさせます。国民性のような、子どもに向ける視点というか、子ども観が全く異なるのではと思えてきてしまいます。緊急事態宣言がまた発出され、生活にどのような変化が起きるものか、と思いますが、子どもたちへの教育についても、起きる変化が異なるような気がして、それはそもそもの考え方が違うからだろうと想像してしまいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です