オランダの多様性

ベルギーのフランドル地方は、学校選択性の様々なメリットを享受していますが、一方、学校間で相対的に社会経済的格差が大きいことや、家庭環境と学習成果の強い関連性等、学校選択のデメリットに苦しんでる面もあるようです。しかし、教育システム全体を見ると、全ての学校に運営と説明責任の仕組みを導入することで、不平等や社会的差別を制限することに概ね成功しているようです。学習到達目標は、国のカリキュラムとは別に、各校の教育の質の維持の指針となっているようです。監査団は定期的に学校評価をおこない、学校の実績を監督しています。政府による統一学力テストはおこなわれていませんが、特定の教科におけるシステムレベルや学校レベルでの教育評価によって教育の質を管理しているようです。国の説明責任や監査という点では、公立学校と私立学校は同じように扱われています。

ベルギーのフランドル地方と同様、オランダには、15歳の生徒の3人に2人が公的に資金を受けた私立学校に通えるという優れた学校制度があります。これは非常に多様性に富んだ制度であり、学校間で教育方法、宗派、社会経済的側面に大きな違いがあります。しかし、2015年のPISAの科学的リテラシーの成績における学校間のばらつきは、OECDの国や地域の中でも最大といえるほど大きかったようです。成績差異の65%以上は、学校間の差異による成績差であったと説明することができるそうです。

イエナプランオランダの学校制度は、極めて地方分権化しています。学校の自律性は「教育の自由」という方針に基づいており、1917年以来オランダ憲法で保証されています。以前、オランダに行った時に、オランダにおける教育の自由化について聞きました。同様に、幼児教育においても自由化が進んでおり、公的な施設ではなく、企業型が多くありました。そして、同じ地域に、対照的な園や学校があり、保護者はどちらかを選べるようになっていました。その中から生まれたり、発展したのが、イエナプランであり、ピラミッドメソッドです。

イエナプラン

ピラミッドメソッド

これにより誰でも学校を設立し、教育方法を定め、その教育の基になる教育的、宗教的、イデオロギー的な方針を決定できるのです。原則として、保護者は子どもの学校を選ぶことができます。ただし、小学校を修了する際に教育の専門家による指導によって若干の制限があるようですが。一方、地方自治体は、学校構成や生徒負担金の不均衡を緩和するために、入学をある程度制限し、学校内の社会的多様性を広げることを支持しています。

2011年には、小学校の生徒の3人に1人は公立学校、3人に1人はカトリック系学校、4人に1人はプロテスタント系学校、残りは他の政府助成の私立学校に入学しました。公立学校は、誰でも入学できますが、政府助成の私立学校は、保護者が学校の特徴や方針に賛同しなければ生徒を受け入れない場合があるようです。

オランダの学校制度の際立った特徴は、教育委員会です。教育委員会は、学校よりも非常に大きな力を持っています。教育委員会は、学校内の法律や規制の執行を監督し、教員や職員を採用します。過去には公立学校の大部分を地方自治体が運営していましたが、独立した教育委員会が運営する学校も増えてきています。教育委員会を構成する学校理事は、ボランティアの場合があります。このボランティアは謝金があり、一般市民が鳴りますが、また、給与がある専門家が学校理事になる場合もあります。

オランダの多様性” への7件のコメント

  1. 教育の自由化というのはまだまだ日本では難しいところですね。学校を作るなんていうことはとても大変なことですし、それを認めてもらえるほどまだ制度は進んでいないというのが実情なのでしょうか。オランダでは誰でも学校を設立することができ、保護者がそれを選ぶ自由があるとありました。誰でも設立できるという背景には教育として大切な部分は明確に示されているからということでもあるのでしょうか。そして、保護者もそれを理解しているからこそ自分たちで選択することができるのかもしれません。そういう意味では国民の意識を変える、教育の本来のあり方をもっと発信していかなければいけませんし、それをみんなが理解することで、制度も変わっていくのかもしれませんね。オランダの教育委員会の理事はボランティアもあるというのは驚きました。欧州の方では議員もそのような形をとっているところもあるようですが、なんだか根本的にこのあたりは日本と意識が違う部分なのかなと思います。既得権益を守ろうとせず、本来の目的を遂行のためにどのような仕組みであるべきか、考え直さなければいけないのかもしれません。

  2. オランダの教育、イエナプランについては以前にいくつかの書籍を読んだことがあります。現地へ行ったわけでも、その実践を見たわけでもありませんが、そこから想像される教育は大変好奇心をそそるものでした。小学生でも自ら、学ぶ内容と学び方を考えていく。知識暗記型から学習スキル習得へ、という変革だと理解していますが、それに100年ほど前から取り組んでいるのだと聞くと、日本の教育は、教育先進国から1世紀ほど遅れているのでは、と感じてしまいます…。

    話変わって、子どもたちを見る際に、何かをできるできないという視点になってしまうのは、できるようにならなければならないことが増えたからでもあるでしょうか。

    衣服の着脱、物の管理、食具の使い方、交通ルール、文字、数、科学…物が豊かになり文化とテクノロジーが発展すればするほど、子どもたちに求めること、教育の必要性が高まっていったのかなと考えます。

    「求めず、受容し、笑い合う」、私の新年度の目標です!

  3. オランダの「政府助成の私立学校は、保護者が学校の特徴や方針に賛同しなければ生徒を受け入れない場合があるようです」という視点は、学ぶべきことが多い気がします。保護者のための教育ではなく、子どものための教育という視点を、日本は大事にしていかなくてはなりませんね。入園説明会時に、保育方針を伝えさせていただくのですが、その時点ではすでに市からの入園決定がされている状態です。来年度は、もっと早く園の説明会を行い、この保育方法に賛同してくれた方が入園してくれれば、保育もしやすくなるのかなとも思います。

  4. 今回のブログには、懐かしい写真が掲載されています。リヒテルズ直子さんのご縁による藤森先生と巡るオランダ就学前教育施設の旅を思い出しますね。「イエナプラン」による施設、そして「ピラミッドメソッド」による施設、あるいはその地域の実情に合わせた保育カリキュラムを独自に開発し展開している施設。どの施設も「子ども主体」という考え方をそのカリキュラムの中心に据え、実践していました。この旅においても、藤森メソッドが、それらに引けを取るどころか、21世紀が進むにつれてますます嘱望されるメソッドであることを認識した次第です。イエナプランの問題点は「プレイとワーク」という区別をしているところです。「ピラミッドメソッド」の問題点は、「ピラミッド」という形態を就学前の子どもたちに当てはめたことです。子どもたち一人一人の受容と応答、そして子どもたちが形成する「世界」への信頼感こそ、すなわち、子どもたちが自らにより問題解決とコミュニケーションの主体となることこそ、藤森メソッドの真骨頂、と私が今認識しているところです。

  5. 〝保護者が学校の特徴や方針に賛同しなければ生徒を受け入れない場合がある〟というのは大きな意味を持つような気がします。そうならないために親が子どもにすべきことはたくさんあり、学校もしっかりとした説明を保護者にする必要があります。日本では入学が決まっている状態での説明会の実施の場合がほとんどなんではないかと思いますが、その前の基本指針をしっかりと説明するところからはじめると、入ってから「なんか違った」というようなことを感じることも少なくなるのではないかと思います。その部分で、保育園でも入園する前の園見学のところからしっかりとした自園の説明が必要だと改めて感じました。

  6. 教育委員会が採用など学校運営にそこまで踏み込めるというのが凄いです。やはり、雰囲気、土壌が明らかに違うのではないかと思います。先日保護者会に参加しましたが、勿論学校側の説明を聞く時間ですし、何か役割を決めるに当たっても、保護者は僕を含めてとても消極的で、それがある意味では日本ではとても自然な雰囲気ではないかとも思います。そもそもの、国民性のような根幹の部分に大きな違いがある場合、何をどう取り入れるべきかは、とても難しい問題のようにも思えてきます。

  7. イエナプランとピラミッドメソッドを現地で見れたことを思い出します。イエナプランを直接見せていただいた経験はとても自分の中で大きな影響をうけました。子どもたちが自ら時間割をつくり、自ら学びを深めていく姿はかなり新しい教育形態だと感じたのを覚えています。こういった教育形態を行うことが出来るのもオランダの学校制度が大きく関係しており、「教育の自由」があることで学校の自律性があるからなのですね。日本では「私立」がそれに近いのかもしれませんが、まだまだこういった教育の自由性ということにはハードルが高そうです。ただ、保護者が子どもの行く学校を選ぶことができ、その子どもそれぞれに合わせた学校にいける多様性があるのは子どもにとってはとてもありがたいことでしょうね。その際、国の教育の方針はどう反映されているのかと思ったのですが、修了にあたって、教育の専門家による指導がはいることもあるのですね。こういったことを行っていくには教育の在り方も大きく変えなければいけなかったでしょうね。まさに、成績だけではなく、「教育とは」という本質から考えていかなければ、こういった思い切った教育形態にはならないのだろうとおもいます。

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