PISAショック

PISA2000の発表後に、いわゆるPISAショックが各国を襲い、各国では教育改革に取り組んでいきます。ポーランドでは、学校制度の徹底的な見直しにより、学校間の教育成果のばらつきを軽減し最低レベル校を改善することで全体として学年の半分以上に匹敵する成績アップを遂げました。ポルトガルはコロンビアやペルーと同様に、まとまりのなかった学校制度を統一して全般的な成果を向上させることができました。ポーランドは学校制度の徹底的な見直しにより、学校間の教育成果のばらつきを軽減し最低レベル校を改善することで全体として学年の半分以上に匹敵する成績アップを遂げました。

このようなテスト行うと、自国の教育方法をよしとし、結果を素直に認めないのはいつの世でも同じようです。この結果における相対的地位は、社会文化的要因を反映していると主張した人がいたそうです。しかし、各国のさまざまな取り組みを見て、今は、教育の改善は実際に可能なのだと認めざるを得ない状況を生みました。

エストニアとフィンランドは、ヨーロッパの教育関係者と政策立案者の視察国として最も人気があるそうです。この2か国では、子どもたちは6歳になると学校に入学し、授業時間は他の多くの国や地域と比べて短いそうです。この世界が注目する取り組みは、時間数を増やした日本とは正反対ですね。しかし、15歳になるまでに、この2か国のどの社会経済的スペクトラムに位置する子どもたちも世界のトップレベルに入るそうです。また学校間のばらつきがほとんどなく、学校システム全般において質の高さと均質性の保持に成功しているそうです。

PISAの開始当初、成績が良く、教育システムの急速な改善を見せていたのはほとんど東アジアの国だったそうです。実際は学びの定着にあたるものがドリルと反復練習として誤解される場合があるため、西欧ではアジア諸国の成功を生徒への強いプレッシャーと丸暗記によるものだとみなしがちですが、この結果はそうした西欧の一般通念を揺るがせたのです。

PISAで好成績を取るには丸暗記だけでは不十分です。2012年にPISAが最初の創造的間題解決スキルの評価をおこなったとき、多くの評論家は国際評価一覧の順位が逆転するか、少なくとも東アジアの得点はかなり低くなると予想しました。しかし、トップとなったのはシンガポールだったのです。シンガポールは一世代で、開発途上国から最新の工業経済圏へと変容を遂げた国です。先日12月9日にPISAではなく、TIMSSという「国際数学・理科教育動向調査」の2019年の結果が発表されていました。この調査は、小学4年、中学2年を対象に算数と理科の学力を測るものですが、全てにおいて、シンガポールがトップでした。2年連続だそうです。

シュライヒャーが2014年3月にシンガポールでこの結果を発表した際、当時のヘング・スウィー・キート教育大臣は、シンガポールが創造的で批判的な思考、社会情動的スキル、人格形成にいかに点を置いているか強調したそうです。シンガポールというと未だに市民の社会参加、政治参加が遅れているというイメージがありますが、西欧諸国がほとんど気づかぬうちに、シンガポールの教育は静かな革命を成し遂げていたのです。シンガポールは今や教育機関の質においても、革新的な教育政策の立案や実施における教育者の関与の深さについても一歩先を進んでいると言われています。

大きな反響

PISAのシステムでは、各国は、結果の公表に同意する前に自国の成績を知ることはできますが、他の国や地域との比較した結果はわからないようになっていましたが、これはほんの手始めに過ぎませんでした。PISAの一連の調査のたびに結果はより注目を浴び、さらなる議論を呼んでいきます。それが最高潮に達したのは、2006年の調査結果が2007年12月に公表された時でした。各国のその時点での位置を示すだけでなく、2000年の最初のPISA調査以来、状況がいかに変化したかを測定する三つのデータポイントを含めたからでした。

シュライヒャーはこう考えます。ある国がなぜ他国の成績に及ばないのかを説明するのは容易ですが、政策立案者が「状況が改善していなかった」「他と比べて進歩が遅かった」などと認めることは大変難しいことだということです。その結果、政治的圧力がかかることは避けられないというのです。これは、あたしは今回のコロナ対策においても同じようなことが見られる気がします。新しいことを提案することの難しさを感じます。

PISAがもたらした最も重要な見識の一つは、教育システムは変革可能であり、改善できるということだというのです。学校がいかなる成果をあげるに関して不可避で固定的なことは皆無だとPISAは示したのです。また、調査結果からは、社会的な不利と学校での成績不振には必然的な関連がないことも明らかになったのです。この結果は、現状肯定派にとって挑戦的なものでした。

さらに、学校の質を保つ教育システムなど、成功すれば持続性のある安定した教育成果がもたらした国もありました。例えば、フィンランドです。この国の保護者は自分の子どもがどの学校に入学しても一律に高い水準の教育を受けられると信頼しているそうです。

それに反して、このPISAの調査結果が低い国では、大きな反響がありました。そのショックから、多くの国では強力な教育改革を引き起こすことになったのです。その国の国民は、自分たちと政治家が自分たちの国の教育は世界で最高のものだと思っているのに、PISAがそれとは異なる結果を示した場合にはいつに大きな動揺をもたらしたのは当然です。

シュライヒャーはドイツ人でした。以前ブログで紹介したように、ドイツはこのPISA2000の発表で生徒の成績が予想を下回っていたことで、政策立案者たちは「PISAショック」を受けます。その時の改革で、もし日本だったら「ゆとり教育」を見直し、より多くの内容を教え、テストを強化し、時間数を増やしています。どうも長期的展望に立たず、短期的な結果を求めている気がします。それに対して、ドイツの置ける改革に私は見習うべきものがあるということで紹介したのです。まず、幼児教育から見直していったのです。幼児教育に手厚い教育支援が盛り込まれ、全国教育スタンダードが学校に適用され、移民などを含む貧困層の子ども達への支援が強化されました。日本では、このPISA調査への対策に、幼児教育から取り組もうという機運は生まれていない気がします。ドイツはその結果、9年後の2009年、ドイツのPISAの結果はかなり改善し、質も公平性もともに大きな進展を見せたのです。

平均成績は2000年の時点でも高いレベルであった韓国でも、読解力で優良レベルなのは少数の限られたエリートだけであることを国民は懸念して、10年も経たないうちに、韓国はトップレベルの生徒を倍増させることができたのです。

比較できる国際テスト

シュライヒャーが、自分の国の教育システムを世界各国と比較できる国際的なテストについて提案すると、大多数は「それは不可能だ」「行うべきではない」「国際機関の仕事ではない」と述べたそうです。そこで、まず各国に試行調査の実施を提案して、実施に至ったのです。

その意図として、彼らは教育とは学ぶことへの情熱を育てること、創造力を刺激し、未来を築くことのできる自立した意思決定者を育成することだと考えたのです。従って、教室でったことを生徒に再現させて、習得の度合いを評価することには重点を置きたくなかったそうです。このPISAで高い点を取るためには、生徒は知っていることから推測し、学校で習う教科を横断して考え、未知の状況に対して自分の知識を応用しなければなりません。知っていることを生徒に教えるだけでは生徒は教員の足跡を追えばよいと思います。しかし、学び方を教えれば、生徒は自分の生きたい方向へ行くことができるのだと考えたのです。

PISAは、生徒に学校で習得しないことをテストするために不公平だとする批判的な議論もあったそうです。しかし、シュライヒャーは人生とは不公平なものだと考えています。人生における試練は、昨日学校で習ったことを覚えているかどうかを問うものではないと考えます。今日想定し得なかったことに将来対応できるかどうかが問題になると考えたのです。現代の世の中では、何をしているかではなく、知っていることで何ができるかが試されるというのです。彼のこの考え方は、今回のコロナ禍にさらされている世界の中では活かされてくると思います。

次の問題は、パイロット調査に予算の問題がありました。実際最初の2年間はPISAへの予算配分は0だったそうです。しかし、結局はそれが最大の強みになったのです。調査実施の際、計画を立てたらそれを実行するために技術者を雇用するのが通例ですが、その技術者を雇用する予算がなかったのですが、PISAの理念はたちまち世界の代表的な思考家を引き寄せ、参加国から何百人もの教育者、研究者を動員して、子ども達に何を求めるべきか、それにはどのようなテストをすればよいのかという探求が始まりました。ここから生まれた使命感が成功のカギとなったのです。

こうしてPISAは教育改革への影響力を年々増していきました。3年に一度の調査は、難しい決断をエビデンスにより裏付けることで政策立案者の政治活動コストの削減に寄与してきたのです。一方で、PISAにより、政策や取り組みが不十分な分野が明るみに出て、これらの政治的な不活動に関してはさらなる投資が行われていきます。こうして、パリでの最初の会議から2年後には、参加国は28か国になりました。今日、PISAには世界経済の80%を担う90%以上の国や地域が参加し、教育をめぐる国際的な対話が行われているのです。

この学力調査は、「PISAショック」と呼ばれる現象を起こします。調査結果により明らかになった教育の姿は、大多数の人が思い描いていたものとは大幅に異なっていたからです。また、国際機関が、結果を修正することなくすべての情報を開示したことも衝撃を増大させました。PISAのシステムでは、各国は、結果の公表に同意する前に自国の成績を知ることはできますが、他の国や地域との比較した結果はわからないようになっていました。つまり、ある国が結果公表に参加するかしないかを決めた時点では、他国の教育システムと比較した自国の位置はわからないのです。

学習到達度

OECDの教育・スキル局長を務めているアンドレアス・シュライヒャーが提案した生徒の学習到達度調査であるPISAは、世界中の教育政策に大きな影響を与えていますが、これだけではなく、彼が開発監督したツールは、あらゆる国や地域、文化における政策策定者、研究者、教育者が、教育政策と実践の改革に取り組む際の国際的プラットフォームとなっているそうです。

よくOECDと聞くと、所詮経済からの視点ではないかという人がいます。しかし、彼のことを元アメリカ教育長官アーン・ダンカン氏は「グローバルな問題・課題を私の知る誰よりも理解しており、そして真実を話してくれる人物」と述べています。さらに、民主主義の発展に模範的貢献をした人物に授与される、ドイツ連邦共和国初代大統領の名を冠したセオドール・ホイス賞をはじめ、多数の名誉賞その他の受賞歴があります。

彼の提案する21世紀の学校とはどのようなものなのでしょうか?

シュライヒャーによる教育論は、独自の視点に基づいています。彼は、芸術視点から科学的な視点へのシフトを強く説いているのです。そこで、最初の章では「科学者の視点から見た教育」です。その1では、「アートから科学へ」というタイトルがついています。私が今回STEM研究会を立ち上げましたが、多くの人から最近はSTEAMといってARTが入っていると言われますが、私はあえてアートを除いています。それは、アメリカの教育改革を行う上でオバマ元大統領が今までの教育で足りないものを挙げてSTEMを示したように、保育の世界はいろいろなことをアートで表現することに力を入れてきました。もちろんそれは大切なことであり、STEM分野にもアートが必要ですが、そこに足りないものが、科学的視点で保育を見ることだと思ったからです。

シュライヒャーは物理学を学び、医療関連企業に勤務したこともあります。彼によると、物理学者は広く認められた原理と確立された専門的慣例に基づき国や文化を越境して交流をし協力すると言います。これに対して教育者は、一般化されがちな比較論にはかなり懐疑的な立場をとり、全ての生徒を個別に見ようとすると言います。また、医療現場ではまず患者の熱を測り、最適な治療を施すために診断します。教育分野では、全ての生徒を同じ方法で教育し、同じ治療を施し、時には学年末になってからその治療がどこまで有効だったかを診断します。キュ行く政策立案者は、実験や品質保証をほとんど行わず、また、公的説明責任もろくに負わないまま、既存の教育改革の上にまた新たな課企画を上乗せしてきたと言うのです。その現状ですが、かれは教育の世界に魅力を感じ、教育によって生活や社会を変えられると信じていると言います。また、改革の機会を、アートの領域を超えてむしろ科学の領域と捉えているそうです。

教育政策と科学研究の厳密さを適用して生まれたのが1990年代後半に開発されたPISAだというのです。この提案が最初にされたのは1995年にパリのOECD本部で行われた教育省高官たちとの会議だそうです。その会議では28か国の代表者が着席していて、自分たちの教育システムが世界最高だと自慢する者もいたそうです。今でもそのように考えている大学教授がいるように思います。確かにいいと思うから実践しているのでしょうが、もう少し真摯に検討し、何がよくて何の改革が必要なのか、を検討すべきだろうと思うことも多くあります。

デジタル教科書

先進的に教育のデジタル化に取り組んでいるシドニーの私立レッダムハウス小中校では昨年、それまで5年間続けていたデジタル教科書の利用をやめ、紙に戻したのです。なぜかというと、7~11歳を対象にデジタルでの学習の成果を測ったところ、子どもが「紙の方が集中できる」と感じていると判定したためだそうです。その原因を探ると、デジタル教科書では画面の切り替えやメール着信などの際、気を取られることが分かったというのです。広報担当者は「紙の教科書を読み、自らノートに書きこむ方が学んだ内容をしっかり記憶できる」と語っています。私も同感のような気がします。同様に、台湾では2009~11年一部の小学校でデジタル教科書を試験的に導入したそうです。保護者から「視力が落ちる」「鉛筆でノートに書く学習がおろそかになる」など懸念の声が上がっているそうです。これを受け、紙の教科書を維持し、理解を補うためのデジタル教材の開発に修正したそうです。紙とデジタルを併用しているのです。

紙とデジタルの教科書をめぐっては、経済協力開発機構であるOECDが18年、79か国・地域を対象に行なった国際学習到達度調査というPISAが注目されています。本を「紙で読む方が多い」と答えた日本の生徒は読解力の平均得点が536点、「デジタルで読む方が多い」は476点と60点差があったそうです。数学でも、授業でデジタル機器を使う割合が61%の豪州が、わずか8%の日本に比べて平均得点が高いわけではないようです。

台湾で「デジタル教育の先駆者」と呼ばれる中央大がネット学習科技研究所の陳徳懐教授は、端末を使った学びは「疑問を解決し、友だちとともに勉強しやすいなどの強みがある一方、文章を読み飛ばしやすく、深い理解や感情移入がしにくい」と指摘しています。

紙と電子媒体の違いを研究する群馬大学の認知科学の柴田博仁教授は「情報の全体像をつかみ、考えを深めるにはデジタルより紙が優れている。子どもの思考力を育むにはデジタル教科書は不向きだ」と強調しています。

世界先進国の中ではデジタル化が遅れている日本では、幸いに先進的な取り組みの成果、弊害を検証することができます。単に遅れまいと取り組むのではなく、その使い方を慎重にしていくべきでしょう。「教育のワールドクラス」に、「これからのデジタル化、グローバル化は、本来解放感と刺激をもたらすものですが、それに対して十分な備えがない者にとっては不安定で保障のない職、見通しのきかない生活を意味する」と書かれてあるいうに、教育分野でもデジタル化に対して十分な備えがない者にとっては、教育に不安定で保障のない喧嘩を産んでしまいかねません。特にデジタル化は、教育成果に、その影響力は決定的というわけではないことを肝に銘じる必要があるでしょう。

この「教育のワールドクラス」という本にはこんなサブタイトルがついています。「21世紀の学校システムをつくる」です。そして、その著者はアンドレアス・シュライヒャーという人です。現在経済協力開発機構であるOECDの教育・スキル局長を務めています。そして、世界中の教育政策に大きな影響を与えているOECD生徒の学習到達度調査であるPISA生みの親です。

これからの学校

キャシーが、望ましい子どもの姿を描いて見せ、そこに至る段階を示してくれました。その内容は、私も同様なことを思っていますが、基本的には誰も同じようなことを言います。それは、真理だからです。昨年9月に初版本が発行され、今年の8月に3刷となった本「教育のワールドクラス」(明石書店)の“はじめに”には、こう書かれてあります。

これからの学校は、生徒が職場でも市民としても、他者に共感し、自ら考え、他者と交流する手助けをする必要があるだろう。学校は、生徒がゆるぎない善悪の判断力を持ち、他者から自分に向けられた主張に配慮し、個人と集団行動の限界を理解できるよう支援しなければならない。職場、家庭、地域で、私たちは、異なる文化や伝統のもとで他者がどのように生活し、どのような考え方をするのか、科学者であれ、あるいはアーティストとしてであれ、深く理解する必要がある。機械が人類からいかなる仕事を引き継ぐにしろ、人類が社会的市民的生活において意義のある貢献をするための知識とスキルはさらに必要性を増すだろう。」

私の法人の理念は、「共生と貢献」ですが、この理念は、私は一法人のものではなく、全ての園が掲げるべきことであると思っています。この“共生”とは、社会的市民的生活を指します。そして、これらのスキルは、他者と交流することで生まれてくるのです。ですから、教師は、それを手助けする必要があるのです。キャシーの言うように、このスキルはフラッシュカードからでは学べませんし、一人で行う作業からは生まれないのです。

また、これからのデジタル化、グローバル化は、本来解放感と刺激をもたらすものですが、それに対して十分な備えがない者にとっては不安定で保障のない職、見通しのきかない生活を意味すると言います。特にデジタル技術は経済や社会の体制に破壊的影響を及ぼしますが、その影響力は決定的というわけではないと本書の著者は言います。それは、私たちにはエージェンシーという、自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会に参画し、変革していく力を持っているからです。これらの破壊に対して、私たちがいかに協同し体系的に対応するかにかかっているというのです。

現在、日本では教科書のデジタル化を進めています。文科省のHPにはこのように取り組みが書かれてあります。“令和2年度から実施される新学習指導要領を踏まえた「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善や、特別な配慮を必要とする児童生徒等の学習上の困難低減のため、学習者用デジタル教科書を制度化する「学校教育法等の一部を改正する法律」等関係法令が平成31年4月から施行されました。これにより、これまでの紙の教科書を主たる教材として使用しながら、必要に応じて学習者用デジタル教科書を併用することができることとなりました。”ここでの「学習者用デジタル教科書」とは、紙の教科書の内容の全部(電磁的記録に記録することに伴って変更が必要となる内容を除く。)をそのまま記録した電磁的記録である教材を指します。

それに対して先日の新聞に、こんな記事が掲載されていました。「豪州は、先進的に教育デジタル化に取り組んでいます。ところが、シドニーの私立レッダムハウス小中校では昨年、それまで5年間続けていたデジタル教科書の利用をやめ、紙に戻した。」という記事です。どうしてでしょうか。

社会的な子ども

キャシーは、人がどう学ぶのかということについての科学的知見に基づいて、決まりきったことをただ覚えるだけでなく、他者と協力し、創造的で、自分の能力を存分に発揮する、責任感溢れる市民になることのできる子どもを育てる新しい方法を示してきました。そして、この方法を実現するには、子どもがどのように学ぶかについて私達の考えを変えなくてはならないというのです。知識というコンテンツだけでなくもっと大事なことがあるというのです。それは、社会的な子どもこそ、賢さを備えた子どもであるということです。創造性はこれからの時代を生き抜くために不可欠の要素です。そして最高の学びは失敗した時に生じるのです。

そこで、自分達の家庭、学校、地域を、新しい学びを育てる場に変えようというのです。6Csはそのために必要な地図であり、成功を目指す道の途中で振り返るために必要なチェックリストだというのです。6Csを手がかりに学校だけでなく、学校の外での教育が子ども達にとって価値のあるものに変われば、子ども達はビジョンを持って、より良い社会を創出してゆくだろうというのです。

彼女の提案は、非常に共感するものです。実は、この主張、取り組みは、キャシーだけでなく、ロバータとの共同で行われたものです。キャシーは、ペンシル大学で博士号を取得し、テンプル大学教授です。一方、ロバータは、コーネル大学で博士号を取得し、テラウェア大学教授です。二人の共著である「Einstein Never Used Flash Cards」(アインシュタインはフラッシュカードを使用したことがない)は、世界中で翻訳され、2003年に最も優れた心理学者に贈られるBooks for Better Life Awardを受賞しています。卓越した研究業績だけではなく、認知心理学、発達心理学の基礎的な研究を教育に活かし、社会に貢献するために様々な重要なプロジェクトに関わり、世界から注目されています。

彼女らの素晴らしいところは、まず目指すべき子どもの姿を明確にしていることです。その姿は、「他者と協力し、創造的で、自分の能力を存分に発揮する、責任感溢れる市民になることのできる子ども」です。その姿が、彼女らの考える21世紀における「成功」です。そのために、私たちは、学校の内外を問わず、健やかで、思慮深く、思いやりがあり、他者と関わって生きる、幸せな子どもをサポートする環境を作る必要があるのです。そんな子どもが、やがて、他者と協力し、創造的で、自分の能力を発揮する、責任感溢れる市民となり、社会を活性化するというのです。これが、共有すべき目標であり、この目標を目指す挑戦こそが、私たちが取り組むべきミッションだというのです。

では、このレベルの高いミッションをどのようにして達成させていくのでしょうか?彼女らは、この問いに対する答えは、なんと子ども自身からであり、子どもの学びを研究する科学からだと言います。どのように子どもが学ぶか研究することで、これから子どもが身につけてほしい、システムとして統合的に働くスキルこそが、何度も繰り返し出てきた6Csだというのです。

また、なんどでも繰り返されている姿として、「他者と協力して」が出てきます。この力こそが、私が提案する保育カリキュラムの根幹をなすものなのです。

新しい学び

健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民となることが「成功」するということであり、幸せに人生を送るということであるという、この壮大な考えの核心にあるのは子どもが6Csを学び、自分達が生きる世界をより良いものに変えてゆこうとするグリットを発揮するのを支えることです。リナルディが好んで言うことだそうですが、これこそ「私達に課せられた使命」なのです。私達はこれからの子ども達にとって本当に価値のある教育を新たに作り出さなければならないのだとキャシーは言うのです。

そのために、自分達の家庭、学校、地域を、新しい学びを育てる場に変えようという提案をキャシーはしています。

レゴのアイデア会議がデンークの小さな町ビルンで開かれ、新しい教育潮流を起こそうとしている300人の同志が集まり、会場はとても盛り上がっていたそうです。集まった顔ぶれは……あの有名なパフォーマンス集団ブルーマンのコンセプトを活かしてマンハッタンにブルースクールという名の創造的な学校を作ろうとしている人。ヨルダンで子どもの早期教育に携わっている女性。創造的でクリティカルシンキングの力を伸ばすように中国の教育を改革することを目論む香港の科学者。シアトルにあるハイテックハイの校長。ハーバード大学のフロンティア・オブ・イノベーションという研究所の代表。ティーチ・フォー・アメリカ、そして最近、ティーチ・フォー・オールという組織を立ち上げたウェンディ・コップ。これでもほんの一部に過ぎないそうですが、強い思いを持った人々が世界中の子ども達がこれから直面する社会に適応するために相応しい教育がなされていないことを憂えて、集まったそうです。

会議はこんな一声から始まったそうです。「机の上にある小さな袋を開けてください。中には色の違うレゴブロックが6個入っています。さてこの6個のブロックを組み合わせて、一体何通りの形を作ることができるでしょう?」。参加していた数学者はすぐに計算を始めました。夫々のブロックに八つの突起がある六つのブロックを組み合わせたら、720通り?4万8000通りぐらいでしょうか?いえいえとんでもありません。答えは何と9億8145万6127通り。たった6個のブロックから約10億通りの形を作れるのです。

私達は青いブロックの上に赤、青のブロックは黄色の上というように、注意深く配置を決めて、塔を作るように、子ども達を教育しているのではないだろうかとキャシーは言います。もし私達が無限の可能性があることを明らかにするような方法で子どもを教育したらどうなるでしょうか。子ども達は依然として塔を作り続けるでしょうが、世界を可能性に満ちたものだと捉えるだろうとキャシーは言います。

彼女は、これまで人がどう学ぶのかということについての科学的知見に基づいて、決まりきったことをただ覚えるだけでなく、他者と協力し、創造的で、自分の能力を存分に発揮する、責任感溢れる市民になることのできる子どもを育てる新しい方法を示してきました。この方法を実現するには、子どもがどのように学ぶかについて私達の考えを変えなくてはならないというのです。知識というコンテンツだけでなくもっと大事なことがあるというのです。

地域では

キャシーらは、ニューヨークのセントラルパークで「究極のご近所パーティ」を実施しました。そこで、プロの建築ディナーが作ったレゴのビルがあれば、コロンビア大学の研究者によるロポットの展示もあります。子どもは、知識コンテンツの学びはもちろんのこと、それ以上のことを学ぶ機会を得たのです。参加した親に意見を聞いてみると、いくつか活動を見てゆくうちに学びについて自分が抱いていたイメージが変わり、レゴで空間認知能力が育ち、ロボットへの興味から科学を学べることが分かったと言っています。こうした経験を通じて、親達は身の周りの世界に数学、国語、社会、理科か満ち溢れていることを理解したのだそうです。

新しい意味で子どもが「成功」するために必要なスキルについて意識します。学びは学校と教科書で行うという考えを捨て去ります。そして遊びと語りが学び続ける力の源泉だと知ります。私達の心がこうした変化したとき、6「C」sによって遊びと教育の繁がりを「See」する、つまり理解することができるというのです。あなたの経験する全ての瞬間に学びは潜んでいるのです。キャシーは、可能性は無限大だというのです。

遊びと教育を一体化し、幸せな市民を育てる道を創造することこそが私たちの「使命」です。ここまで、プレイフルな学びこそ実は最適な学びの姿だということをキャシーは述べてきましたが、最適な学びは時間を忘れ、想像力を存分に働かせて、課題に没頭する時に生じるというのです。

熱心な庭師は隣人と協力して植物を植えたり、夏休みに家に戻ってきたら、トマトが収穫できるように計画したりする時に6Csを作動させます。運動選手はコラボレーションをフィールドで学びます。そして何が勝負の分かれ目となりそうかを必死に計算します。オーケストラのバイオリン奏者はコラボレーションとコミュニケーションとコンテンツをステージで学びます。木管楽器の響きを意識しつつ一人で演奏する時に自分の音を出すテクニックが必要です。私達は身の周りの多くの活動が6「C」sを花開かせることに役立つことを「See」しています。すなわち、知っています。カルラ・リナルデイがレッジョのアプローチを私達に伝える時、木に語りかけるように私達を促したのはこのことを伝えたかったからでしょう。

多くの点でレッジョの学びへのアプローチは、学校環境で6Csを育てる最高の例と言えよるとキャシーは言います。レッジョのアプローチは6Csと同じように科学的な研究に基づいて生まれ、子どもを単に頭脳面だけでなく、社会的な側面も含めた全人的で能動的な存在として捉え、コミュニティが共同で責任を持って子ども達を育てるという市民意識に基づいています。今教育している子ども達が30年後、共同体を担う市民となるということをコミュニティの誰もが共有しているのです。このイタリアの小さな町の家族は、キャシーらが提案しているような賢い子どもを育てたいと思っていることは間違いありません。しかしリナルディが断言するように「成功」はテストの点数では判定できないのです。「成功」とはそんなちっぽけなものではありません。ここまで何度も繰り返したように、健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民となることが「成功」するということであり、幸せに人生を送るということなのです。

家庭では

家庭をプレイフルに学ぶ場にするにはどうしたらよいでしょうか?親が本気で楽しんで子どもの学びに参加できるのが家庭での学びの魅力です。親こそ「ガイドされたプレイ」の主役として適任であるとキャシーは言います。あなたの家庭を6Csに満ちた場にする方法はいくらでもあるというのです。

既に6Csについてキャシーは説明していますがその中で、私たちと子どもがどのように6Csを見つめ直すか、いくつかヒントを示してきました。日々必ず行う活動を6Csの観点でちょっとアレンジするだけで、子どもと一緒に面白がって6Csを学ぶ場になるというのです。難しく考える必要はないというのです。夕食の準備、そして後片づけの手伝いの中でコラボレーションし、コミュニケーションすることは十分学べると言います。夕食を一緒にとる時間、そして食後の時間は語り合いの時間になります。その日、どんなことがあったのかを家族で語るといいと言います。起こった出来事について話し合えば心が落ち着くでしょう。夕食後十分から十五分の時間を作って、パズルをしたり、謎解きをしたり、好きな歌を歌ったり、学校で行うディベートでどう議論するか対策を練ってもいいでしょう。算数の空間把握能力がパズルで高まり、家族での謎解きが、テストで問題を解く時のクリティカルシンキングの力に繋がるかもしれません。しかしあくまでも主客転倒しないように気をつけないといけないと注意します。学校の学びのために家庭の学びがあるわけではなく、6Csを面白がりながら伸ばす場を作ることが何よりも大事なことなのだというのです。

では、地域をプレイフルに学ぶ場にするにはどうしたらいいのでしょうか?地域をプレイフルで知的な場に変える方法もあるとキャシーは言います。テルアビブ出身の建築家イタイ・パルティと共にキャシーらは、アーバンシンクスケイプと呼ぶ新しい実験建築をデザインしているそうです。これまで当たり前に街に存在した物を学びの装置に変えてしまうそうです。地面へ物語のアニメーションを映し出すライトを古いバス停に設置して模様替えしたり、べンチの背もたれにパズルを設置したりするそうです。ウィリアム・ペン財団の支援によりこの構想は現実のものになろうとしているようです。

スーパーマーケットの中にある様々な表示や看板をちょっと面白いものに変えてみたらどうでしょうか。オクラホマ州タルサでカイザー財団の協力を得て、店内を冒険の場に変える試みを始めているそうです。子どもは表示を見て違った種類の林檎を探したり、クリティカルシンキングを刺激されたり、タワーのように積み上げられた野菜の缶詰を調べて算数をしたりします。

近所の公園や子ども博物館に出かけてみるのはどうでしょう。子どもはこうした場所が大好きで感性を思いきり羽ばたかせて自由に学びます。6Csを意識して展示や活動をデザインすれば、更に素晴らしい場所に生まれ変わるだろうとキャシーはいいます。そう考えて彼女らはニューヨークのセントラルパークで「究極のご近所パーティ」を実施したそうです。その日都市にある普通の公園に、子どもが遊びながら科学について学ぶための28の活動が突如出現したのです。何とこのイベントに5万人を超える人々が集まったそうです。多くの人々が子どもに教え込まない、新しい学びの方法を渇望していたのだとキャシーは言います。