これからの学校

キャシーが、望ましい子どもの姿を描いて見せ、そこに至る段階を示してくれました。その内容は、私も同様なことを思っていますが、基本的には誰も同じようなことを言います。それは、真理だからです。昨年9月に初版本が発行され、今年の8月に3刷となった本「教育のワールドクラス」(明石書店)の“はじめに”には、こう書かれてあります。

これからの学校は、生徒が職場でも市民としても、他者に共感し、自ら考え、他者と交流する手助けをする必要があるだろう。学校は、生徒がゆるぎない善悪の判断力を持ち、他者から自分に向けられた主張に配慮し、個人と集団行動の限界を理解できるよう支援しなければならない。職場、家庭、地域で、私たちは、異なる文化や伝統のもとで他者がどのように生活し、どのような考え方をするのか、科学者であれ、あるいはアーティストとしてであれ、深く理解する必要がある。機械が人類からいかなる仕事を引き継ぐにしろ、人類が社会的市民的生活において意義のある貢献をするための知識とスキルはさらに必要性を増すだろう。」

私の法人の理念は、「共生と貢献」ですが、この理念は、私は一法人のものではなく、全ての園が掲げるべきことであると思っています。この“共生”とは、社会的市民的生活を指します。そして、これらのスキルは、他者と交流することで生まれてくるのです。ですから、教師は、それを手助けする必要があるのです。キャシーの言うように、このスキルはフラッシュカードからでは学べませんし、一人で行う作業からは生まれないのです。

また、これからのデジタル化、グローバル化は、本来解放感と刺激をもたらすものですが、それに対して十分な備えがない者にとっては不安定で保障のない職、見通しのきかない生活を意味すると言います。特にデジタル技術は経済や社会の体制に破壊的影響を及ぼしますが、その影響力は決定的というわけではないと本書の著者は言います。それは、私たちにはエージェンシーという、自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会に参画し、変革していく力を持っているからです。これらの破壊に対して、私たちがいかに協同し体系的に対応するかにかかっているというのです。

現在、日本では教科書のデジタル化を進めています。文科省のHPにはこのように取り組みが書かれてあります。“令和2年度から実施される新学習指導要領を踏まえた「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善や、特別な配慮を必要とする児童生徒等の学習上の困難低減のため、学習者用デジタル教科書を制度化する「学校教育法等の一部を改正する法律」等関係法令が平成31年4月から施行されました。これにより、これまでの紙の教科書を主たる教材として使用しながら、必要に応じて学習者用デジタル教科書を併用することができることとなりました。”ここでの「学習者用デジタル教科書」とは、紙の教科書の内容の全部(電磁的記録に記録することに伴って変更が必要となる内容を除く。)をそのまま記録した電磁的記録である教材を指します。

それに対して先日の新聞に、こんな記事が掲載されていました。「豪州は、先進的に教育デジタル化に取り組んでいます。ところが、シドニーの私立レッダムハウス小中校では昨年、それまで5年間続けていたデジタル教科書の利用をやめ、紙に戻した。」という記事です。どうしてでしょうか。