新しい方法

私達は全てのCのレベルを上げるために努力を続けてゆくべきですが、だからといって全てのがトップレベルでなければいけないと考える必要はないとキャシーは言います。現代社会では突如仕事の環境に新しい変化が起こり、自分がそれに適応しなければならないことが珍しくありません。その時新しい状況に適応する力が求められているのです。そういう時代においてテストの時に空欄を何かで埋めることができるという知識コンテンツだけ身につける教育では、全く通用しません。6Csというスキルの集合体で自分達のプロファイルを作り、学びを見つめ直すことで、私達はどこを目指し、何を達成したのか明確に捉えることかできるのだというのです。

私達は学びを新しい方法で見ようとしているのです。それは同時に私達の社会でこれまで考えられてきた「成功」のイメージを変えることでもあるのです。「成功」とは、学校の授業で良い成績を得ることだけではありません。学校の学びに注目するだけでは、21世紀を生き抜く子どもを育てることはできないのです。その理由の一つは、子どもは学校で過ごす時間より遙かに多くの時間を学校外で過ごしているからだというのです。従って学校「外」の時間を子どもがどう過ごすかを考えなくてはいけないのです。もう一つの理由は学校や塾を含めた学校的環境での学びだけでは、子どもの発達にとって必要な多くのことを身につけることはできないことにあるというのです。6Csをバランスよく発達させて子どもを「成功」に導くには、どうしても学校的でない環境を必要とするからだとキャシーは言います。

「成功」するには知識コンテンツを身につける必要がありますが、それは一部に過ぎないと言います。私達が子どもに望むのは、幸せな人生を送ってほしいということでしょう。生きる喜びに溢れて、生涯学び続けることなくして幸せになることはできないのです。どうしたらお互いに信頼し合う友を持つことができるでしょうか。遊び場、仕事場で直面する人間関係での摩擦をどのように解決できるでしょうか。子ども達はこういった課題に取り組み続け、善き市民となり、社会と経済を望ましい形に発展させていきます。これこそ21世紀の子ども達が目指す「成功」の姿でしょう。子ども達の「成功」を私達大人がサポートしようと考えるなら、学校「内」の教育と学校「外」の教育を統合する方法を考える必要があるというのです。そこでキャシーは、「遊び」という観点で6Csを見つめ直してみています。

これまで私達はどうしても遊びと学びを分けてしまい、双方が対立し合うものだと捉えてきました。キャシーらは以前この対立をまるで『ロミオとジュリエット』のキャピュレット家とモンタギュー家の対立のようだと言っていたことがありました。私達は遊んだら仕事はできないという発想に凝り固まっています。しかしリナルディを始め、学びや教育に携わる多くの専門家は違う見方をしています。リナルディは「それは蝶の羽のようで、遊びという羽と仕事という羽と二つあるから飛べるのです」と言っています。遊びと学びはまさに一体のもので、両方がうまく結びつくことが大事なのです。

新しい方法” への9件のコメント

  1. あらゆる認識を変えていかなければいけない時代が訪れているのかもしれません。遊びは学びであるということ、学校での成績の高さが人生における成功と一致するものではないということ、幸せになるために必要なスキルなどの認識はイメージ的な要素が大きく、根拠が曖昧なままにどんどん大きくなっていたような印象を受けます。しかし、様々なことが分かってきている現代において、イメージではなく、しっかり根拠を持った教育のあり方を多くの人が認識し、本当に必要なものはなんなのかということに気がついていかなければいけませんね。少しずつそのような流れにはなっているように思います。特に、子どもの遊びこそが学びであるということはもっと認識されていってほしい部分ですね。子ども同士で関わること、子ども主体で行動することで、この世界の成り立ちや、社会で生きるということを子どもたちは日々学んでいると感じます。反対にやはり家庭で過ごしてきた子達というのはどうしても乳幼児施設で過ごしている子たちに比べると発達的にも幼いように思えます。それはやはり適切に発達していないということでもあるのかもしれません。現代だからこそ、子どもにどんな環境が必要なのかということはもっと真剣に考えなければいけない時代になってきたなということを感じます。

  2. 保育もどれだけ保育園外との、地域との関係性を築けるかが重要であることを感じます。今は通常の保育業務で精一杯で、到底そんなことを考える余裕もありませんが、どのようにしたらより地域との交流を深められるのか考えていきたいなと思います。

    その一歩として、自分自身が地域と繋がることが大切だと考えます。スフィーダ世田谷という女子サッカーチームがあります。なでしこ2部リーグを優勝し、1部リーグへの昇格を決めたようです。園から最寄りのスーパーがメインスポンサーをしており、掲示がされていました。
    今度、試合運営のボランティアに参加してみようかなと考えています。

    難しい理論はなかなか理解し切れず、実践に落とし込めていませんが、まずは自分の興味あることから、足を運んで一歩踏み出してみようと思います。

  3. 変革に根本には、「成功」の再定義があるということを理解しなくてはなりません。先日、若者が政治に興味を示さないとか、今自分に生活に問題ないなら政権に疑問を抱く必要がないなど、どこか「今」しか視野に入れていない印象があります。成功の再定義には、「生きる喜びに溢れて、生涯学び続けること」「どうしたらお互いに信頼し合う友を持つことができるでしょうか」「遊び場、仕事場で直面する人間関係での摩擦をどのように解決できるでしょうか」「課題に取り組み続け、善き市民となり、社会と経済を望ましい形に発展」させる、今のみではなく、言わば未来という社会に出た時の市民性が問われているようです。ひと昔前の「良い大学を出て、有名会社に入る」という成功ではなく、その先も一生涯も、一市民として社会や地球に貢献できる人材でいることを、21世紀が求めていることを強く感じました。

  4. 今回のブログを読みながら、わが子が小学生の時、学校に行きたくない、不登校気味になったことを思い出しました。そしてその時、わが子に語りかけたことも思い出しました。1日24時間のうち、学校に行っている時間は5,6時間。残りの時間は、すべて君のものだよ、土日は全部君の時間、夏休みや冬休み、春休み、ぜーんぶ君のもの、と。私は学校を非難したことはありません。なぜなら、学校は子どもにとっても親にとっても一部だから。よく学校等にクレームを言う方々がおられますが、言ったところでどうなるの?と思ってしまいます。それよりも何よりも、学校はそれとしながら、学校外での時間を楽しむ、ということが大切だと思うのです。生活と遊び、あるいは遊びと学び。何だか私たちは二律背反的思考に毒されていることがあります。子どもはそんなことを区別してませんね。区別するようになった時、その時、私たちはおとなになるのでしょう。

  5. あらゆるものの「成功」についてを考えていかなければならないのですね。今までの認識ではずれているものや、この先の時代にはそぐわないものがあれば、考えていく。「そもそも」という論点から考えることで新しいものが生み出されていくのでしょう。そして、今だけよければいいということではなく、先のことも考えて今も先もいいものをみんなで見つけていくことができるようになることが〝善き市民〟ということになるんだと考えました。

  6. 先日、大学院の授業で①「フォーマル教育」②「ノンフォーマル教育」③「インフォーマル教育」の区分を知りました。生涯教育においてですが、①は学校教育など、②はカルチャーセンターや塾などの制度外の学習、③は制度的でも組織的でもない偶発的な学習と区別されていました。そして、院生で「自分が一番学んだ経験」を出し合った時に一番多く当てはまったのは①の学校教育ではなく、③の偶発的に起きる経験でした。意外と学校での学びよりも、それ以外での人との出会いや出来事の方が人は「学んだ」といった印象を持つようです。もしかすると、それほど、学校の教科というのは実体験でそれほど、「生かされた」と実感することが少ないのかもしれません。「学び」という文字を考えるとつい「学校教育」が先に出てきますが、実際のところ「学び」はいろんなところにあります。それほど、先入観を持って考えすぎているのかもしれませんし、成績や点数、学歴というのが、人の意識の根強い尺度になっているからなのかもしれません。しかし、振り返ってみると意外と遊んでいた経験の中に学びはあると考えるのに、その学びと一般的な学びとは「イコール」では考えられないんですよね。なぜなのでしょう。

  7. 息子の冬休みの宿題に読書感想文はありませんでしたが、先日のブログで書かれていたエジソンの話をすると何か思い至ることがあったのか、質問があったり、彼なりに納得と理解を繰り返しながら最後まで聞いてくれたような時間がありました。それはもしかしたら図書室で友達となんとなく借りてきた本を読むよりも彼にとっては学びがあったのかもわからず、学校の外の教育というものはこういうことも指すのではないかと思いました。
    昨日は家のお手伝いをしよう、例えばお風呂掃除をしよう、ということでしたが、お風呂掃除といえばスプレー式のお風呂洗剤を吹きかけるだけの製品で完結できる場合もあったりして、先生の意図とは違うかもわからないけれど、そこでも授業では学ばないであろう学びがあったのではないかと思います。

  8. 学校的でない環境と言い言葉は、印象的でした。
    保育のなかでも、教育的な面がより、現代で重要に考えられていますが、その教育に学びと早期教育的背景がある学びの双方に違うとらえられ方がされているように思います。蝶の例にあったように、遊びと学びは一体的なものであり、その事が生きるための必要な力を育成することになると考えられます。
    だからこそ、乳幼児期から多様な環境のなかで、主体的で子ども自らが働きかけれるような環境、そのような環境のなかで日々、生活(遊び)学びの経験ー通したものが必要なのだと感じました。

  9. 遊びと学びの一体というのは重要な事です。確かに遊びと聞くと意味のない行為と捉えられがちですが、そんな事はないですね。乳幼児期にとって遊びの中で多くのことを学ぶと言うように、それはこの時期だけでなく生涯続くことのように思います。大人でも遊びが必要だと思います。もちろん全ての遊びが学びに繋がるとは言えないでしょうが、学びを深めるための遊び、遊びを深めるための学び、まさに蝶の羽のように、2つが上手く羽ばたくことが大切ですし、そうするためには結局自分の意識を変えるこのように思います。

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