地域では

キャシーらは、ニューヨークのセントラルパークで「究極のご近所パーティ」を実施しました。そこで、プロの建築ディナーが作ったレゴのビルがあれば、コロンビア大学の研究者によるロポットの展示もあります。子どもは、知識コンテンツの学びはもちろんのこと、それ以上のことを学ぶ機会を得たのです。参加した親に意見を聞いてみると、いくつか活動を見てゆくうちに学びについて自分が抱いていたイメージが変わり、レゴで空間認知能力が育ち、ロボットへの興味から科学を学べることが分かったと言っています。こうした経験を通じて、親達は身の周りの世界に数学、国語、社会、理科か満ち溢れていることを理解したのだそうです。

新しい意味で子どもが「成功」するために必要なスキルについて意識します。学びは学校と教科書で行うという考えを捨て去ります。そして遊びと語りが学び続ける力の源泉だと知ります。私達の心がこうした変化したとき、6「C」sによって遊びと教育の繁がりを「See」する、つまり理解することができるというのです。あなたの経験する全ての瞬間に学びは潜んでいるのです。キャシーは、可能性は無限大だというのです。

遊びと教育を一体化し、幸せな市民を育てる道を創造することこそが私たちの「使命」です。ここまで、プレイフルな学びこそ実は最適な学びの姿だということをキャシーは述べてきましたが、最適な学びは時間を忘れ、想像力を存分に働かせて、課題に没頭する時に生じるというのです。

熱心な庭師は隣人と協力して植物を植えたり、夏休みに家に戻ってきたら、トマトが収穫できるように計画したりする時に6Csを作動させます。運動選手はコラボレーションをフィールドで学びます。そして何が勝負の分かれ目となりそうかを必死に計算します。オーケストラのバイオリン奏者はコラボレーションとコミュニケーションとコンテンツをステージで学びます。木管楽器の響きを意識しつつ一人で演奏する時に自分の音を出すテクニックが必要です。私達は身の周りの多くの活動が6「C」sを花開かせることに役立つことを「See」しています。すなわち、知っています。カルラ・リナルデイがレッジョのアプローチを私達に伝える時、木に語りかけるように私達を促したのはこのことを伝えたかったからでしょう。

多くの点でレッジョの学びへのアプローチは、学校環境で6Csを育てる最高の例と言えよるとキャシーは言います。レッジョのアプローチは6Csと同じように科学的な研究に基づいて生まれ、子どもを単に頭脳面だけでなく、社会的な側面も含めた全人的で能動的な存在として捉え、コミュニティが共同で責任を持って子ども達を育てるという市民意識に基づいています。今教育している子ども達が30年後、共同体を担う市民となるということをコミュニティの誰もが共有しているのです。このイタリアの小さな町の家族は、キャシーらが提案しているような賢い子どもを育てたいと思っていることは間違いありません。しかしリナルディが断言するように「成功」はテストの点数では判定できないのです。「成功」とはそんなちっぽけなものではありません。ここまで何度も繰り返したように、健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民となることが「成功」するということであり、幸せに人生を送るということなのです。

地域では” への9件のコメント

  1. 子どもたちを見ていると、遊びや学び、子どもたちの興味関心、動機などなどは、まさにこの世界を知ろうとしている姿そのものに見えます。特に乳児の行動のほとんどがそうであるようにも思えてきます。「こうした経験を通じて、親達は身の周りの世界に数学、国語、社会、理科か満ち溢れていることを理解したのだそうです」とありました。まさに、この世界を理解するために数学が必要で、社会、科学、国語が必要になるということでもあるのかもしれませんね。それらの教科を学ぶのが目的ではなく、世界を知るため、知りたいのためにこれらがあるということなのかもしれませんね。また「最適な学びは時間を忘れ、想像力を存分に働かせて、課題に没頭する時に生じるというのです」とありました。これはまさにゾーンの考え方そのもですね。子どもがゾーンで遊びこむことができれば、それは最高の学びそのものであるということですね。

  2. これまでの教育業界での理想と現実とのギャップを埋める最善の方法が、「成功」の再定義付けであることを強く感じます。「健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民となること」、また、現代社会においてそれらを最も科学的で効率的にした方法、そして、幸せに人生を送るための指標が6Csであるということなのでしょうね。教育基本法にも、「社会の形成者して必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」が目的であると書かれているように、その社会の形成者という部分が、まさに「健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民」ということにつながるのだと思いました。

  3. 本当は、学校ではなくても、私たちの身の回りには、国語算数理科社会芸術や体育などなど、あるいは語学等々がまさに溢れているはずです。しかし、私たちは、残念ながら、それらを学校の教科として考え、習得するもの、テストで計られるもの、というイメージをもってしまいました。少なくとも私はそう思っておりました。ですから、学校が終わって帰宅してからの時間、自分の好きな遊びや勉強に当てていたつもりです。後年わかったことは、結局、学校での学びと学校外の遊びや学びは密接に繋がっていた、しかも有機的に接続していた、ということでした。何だか自分勝手に分離して判断したために、学校というところは実につまらない場所になってしまい、小学校の時は早く中学に行きたい、中学の時は早く高校に行きたい、そして高校の時は早く大学に行きたい一心でした。「現在を最も良く」生きていなかったことだったのかもしれません。さて、今回「成功」ということでブログの最後に紹介されていた「健康で思慮深く思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもが育ち、彼らが他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる市民となること」はとても重要なことです。特に「他者と協力し創造的で自分の能力を存分に発揮し、責任感溢れる」という部分は大事ですね。これからの時代にまさに求められることでしょう。

  4. 「子どもを単に頭脳面だけでなく、社会的な側面も含めた全人的で能動的な存在として捉え、コミュニティが共同で責任を持って子ども達を育てるという市民意識に基づいています。」この部分が印象的でした。

    保育園で行われる保育内容とその質は、保育士のみならず関わる人たちの意識に依拠するのだと思います。成長祭を2月に控えていますが、その為に発信していくことも大切な取り組みなのだろうと考えました。

    保護者との保育観、教育観、子どもを見守る価値観の擦り合わせをする機会にもなりほうです。
    楽しく取り組みます。

  5. いつの間にか、自分の中で学校でするのが学びだという刷り込みがありました。それ以外のことが「あそび」であり、それはただ楽しければいいという考えで、したいことをしたいようにできるだけ長くするための方法を、いつも探していたように思います。ですが、そうではないことがこの仕事に携わることで、保育をしていくことで取り除かれていったんだと思います。学校内と学校外はつながっていて、大切なことはむしろ学校外の「あそび」の中に存在していたということが、今回を含むこのブログを読み進めていくことでわかりました。したいことをするための準備やできるだけ長くするための時間の使い方、お金の使い方や友だちとの意見の擦り合わせなど、まさに普段の生活が6Csを育むことになっていて、今の自分があるんだということに気づきました。今までの全てが自分の成長に関わっていると考えると、無駄なことなんて一つもなかったことを感じます。それは、これからの子どももそうであり、そこに大きく関わっていることに大きな責任を感じました。

  6. これまでの6Csの内容を見ていく中で感じるのが、この考え自体は子どもを中心とした考えであって、考えてみると「当然」であることのように思います。しかし、その「当然」が今の時代では「当然ではない」ということに気づかなければいけないのかもしれません。「大学行くのが当然」になっている昨今です。しかし、「大学とは何をしに行くところ?」というのはあまり深くは皆考えていないのではないでしょうか。とりあえず、ステータス的にいくというのが昨今であるように思います。しかし、「大卒をもって当たり前」という社会的なハンデがあるからであって、どこかでその意味合いが何をまなんでいたかではなくなっています。確かにそういった意味では「何が成功か」といった「成功」の意味を改めて考えることはこれからの時代重要なのでしょう。そして、そのためには様々な成功の形があり、多様性があるということをもっと社会的に理解しなければいけないのだろうと思います。

  7. 最適な学びについて書かれているところを読むと、ゾーンについての内容と重なります。夢中になっている時は時間を忘れますし、あっという間に経っていた時間と、その時間を費やしただけの成果が目の前にあることもあり、そういう没頭の中に身を置くことはとても幸せなことだと思います。
    子どもたちもゲームやYouTubeなどの動画配信に夢中になれることでしょう。それだけ夢中になれるそれが成果物へとなる為に、ノウハウや知識をそこから得られているのであれば、また見方も変わります。どんな大人へなっていくのでしょう。

  8. 子どもが自発的にある環境へ向かっていくのは、好奇心、探求心であり、そこから興味関心を持ちます。その発達の上でさらに、どうしてこうなるのかという問いが生まれ、それに対して不思議さを持ちます。そのような過程のなかに、私たちが保育者という存在が声をかけるこういった一つの刺激に更なる視野への広がりが生まれ、そして、深めようと追求しようとし、また、不思議さを感じます。そういった環境を通して、育つ必要を考えていくと”経験を通じて、親達は身の周りの世界に数学、国語、社会、理科か満ち溢れていることを理解したのだ”と子どもも大人も世の中へ満ち溢れているものの中には、数学などに関連性のあるものがあることを知っておかなければならないと思います。そういった点を考えていくとSTEMにも通ずることですね。

  9. 社会で子どもを育てるとはまさにこういう事か!と思いました。地域には豊かな人材がたくさん眠っています。友達のお父さん、お母さんも自分の両親には無い能力を持っている可能性が高いはずですし、スーパーの野菜売り場の人、鮮魚売り場の人、一歩外に出て歩くだけで色々な人と接する機会がたくさんあります。そうした色々な分野でのプロフェッショナルな存在を触れ合うことはとても大切なことですね。

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