各国の改善

シンガポールは今や教育機関の質においても、革新的な教育政策の立案や実施における教育者の関与の深さについても一歩先を進んでいると言われています。そんなシンガポールが幼児教育にも力を入れ始めています。シンガポールと言えば、幼児期から現地のマレー語だけでなく、英語、中国語の三ヵ国で保育をしており、ほとんどの幼児が三ヵ国語を話すことができます。しかし、今後のIT社会になると、語学力だけでは意味がなくなるということで、いち早くSTEMという科学を取り組み始めています。そして、私が提案するFUJIMORI METHODを多くの園が取り入れ、実践しはじめています。それは、子どもは生まれながら有能な学習者であるということと、乳児から子ども同士の関わりから刺激を受けるという考え方です。

では、日本についてシュライヒャーは、どう評価しているのでしょうか?日本はこれまで一貫してPISA最上位国の一つです。しかし、各教科の履修内容の再現を要求する間題には強くても、習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明したと言っています。この結果について多肢選択式の大学人試に慣れている親世代や世論の理解を得るのは容易ではなかったようです。日本は全国学力調査に「PISA型」の自由記述形式を取り入れるという政策で対応しました。この改訂により指導方法にも変化が見受けられたと言います。2006年から2009年の間に日本は、加盟国の中で、自由記述形式において最も足早の改善を見せたのです。この改善は、弱点に対応するための公共政策の変化が、いかにして教室の現場での変化をもたらせるかを示している点で大きな意義があるとシュライヒャーは言っています。

国民の生活向上のために東アジアがどれだけ教育に力を注いでいるか、未だに西欧諸国は低く見積もりがちだというのです。シュライヒャーが2012年9月ロシアのウラジオストックでAPEC首脳会議で講演した際、彼は、これが教育関係者だけでなく、政府のトップレベルにおける強い関心事となってきていると実感したそうです。

アメリカでは最初のPISAはそれほど注目を集めなかったそうです。2006年の調査結果発表と共に風向きが変わっていきました。ウェストバージニア州の前知事で、卓越した教育連盟のボブ・ワイズ会長の呼びかけで、全米知事協会、全米州教育長協議会、ビジネスラウンドテープル、アジアソサエティが調査結果を聞くために2007年12月4日にナショナルプレスクラブで一堂に会しました。

数か月後の2008年2月、シュライヒャーは全米知事協会冬期会議でPISAについて講演し、国際比較に向けられた州知事たちからの大きな関心を目の当たりにしたそうです。その月に故エドワード・ケネディ上院議員とワシントンのオフィスで会い、ポーランドがいかにして6年間で成績不振の生徒の数を半減させたか説明したそうです。ケネディの瞳は輝き、当初20分の予定だったシュライヒャーのアポイントはほぼ3時間に及んだそうです。その年の5月、当時の上院多数党院内総務のハリー・リード上院議員とケネディ上院議員によって特別なランチョンミーティングが手配され、シュライヒャーは20名の上院議員と共にPISAの結果について議論したそうです。

各国の改善” への7件のコメント

  1. シュライヒャー氏の活躍ぶりがよくわかります。「国民の生活向上のために東アジアがどれだけ教育に力を注いでいるか、未だに西欧諸国は低く見積もりがちだ」、この見解はその通りだろうなと思います。と同時に、東アジアの人々の多くは、未だ欧米諸国を高く見積もりがちなのではないでしょうか。しかし、自分たちの位置を客観的に知るシンガポールの人々が「FUJIMORI METHODを取り入れ、実践しはじめて」いるという事実。この事実を過小評価してはならないでしょう。従来の欧米の価値観ではない、アジアの価値観、未来思考型の価値観をFUJIMORI METHODに見出したということです。やはりすごいことです。さて、再びシュライヒャー氏。日本について「習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくない」という評価、なるほどと頷けますね。共通一次テストが始まった1970年代終わりころからこの傾向に拍車がかけられていったような気がします。自由記述の形式は論理思考の程度が試します。プレゼンが上手になった日本人、しかしディスカッションになると何だか感情をコントロールできなくなり、口論になってしまったり、逆に黙り込んでしまったりする傾向があるような感じがします。論理思考に慣れていない結果なのではないでしょうか。

  2. どこか日本は世界的に見て教育水準が高い、成績も上位であるという認識が国内でもされているのかなと思います。しかし、「習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明したと言っています」とある部分が苦手であるというのは、これから訪れる予測不能な時代においてはその力を発揮できないのではないかと思えるような内容ですね。将来を見据え、今子どもたちのどんな力を育んでいかなければいけないのかということを考えると、やはり未知の状況に対応できるような教育にシフトしていかなければいけませんね。「国民の生活向上のために東アジアがどれだけ教育に力を注いでいるか、未だに西欧諸国は低く見積もりがちだというのです」とありました。このことについては昨今の中国の動きからも感じます。私が想像していた中国とは違い、とても先進的であるというのが今の中国の実情なのかもしれません。変化していくことを恐れないそんな気持ちは持っていたいものです。

  3. 首都がなく、東京23区くらいの規模、東洋と西洋が入り混じり、トップレベルで物価が高い国であるシンガポール。規模という観点からは、統率しやすい傾向があるのかなと思いましたし、多様な文化を受け入れ、幼児期から3カ国語を操るなど、柔軟な思考を持って変化に対処できるような教育プログラムを進めている国という印象を持ちました。数年でPISAの学力調査一位へと駆け上がることは容易ではないものの、それを可能にした教育プログラムは、参考にしなくてはいけませんね。そして、シュライヒャー氏の教育への視点において「政府のトップレベルにおける強い関心事となってきている」といった見解は、非常に心強い言葉です。ジェームズ・ヘックマン氏の影響もそれを加速させたと思いますが、教育が経済と国力に直結しているというきっかけから教育革命の口火が切られたのであれば、少し本質とはずれている気がするので注意しなくてはいけないとも思えます。6Csを唱えたキャシー氏らが定義した「成功」あっての教育であることを忘れてはいけませんね。

  4. すごく大きな流れの中に身を置いていることを感じました。藤森メソッド、見守る保育の評価されている部分を正しく理解していく必要があるなと思います。
    こうしたスケールの話を、どう日々の保育に結びつけられるかが大切ですね。ゆっくりと保育の話をする機会を作っていきたいです。

  5. 日本は世界でも上位の方になるんですね。ですが、〝習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明した〟ということで、どこに力を注いでいかなければならないのか、というのが明確化されたということになるのでしょうか。前のこのブログの内容ですが、素直に認められる、受け入れられることが日本としてできていくのでしょうか。
    自分もそのようなことの一端を担わせていただいているということを思いながら、これからの日本の教育はどうなるべきなのか、微力ながら考えてみたいと思いました。

  6. 日本は最上位国の一つですが、「習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明した」とあります。これからのグローバルでスピード感のある世界情勢において、このことがどれほど影響があるのかと思うと教育や保育を行っていく上で考えていかなければいけないところは多々ありますね。どういったところに課題があり、どういったところに力点を掛けていかなければいけないのか。様々な教育改革が日本でも起きていますが、その政策の動きに対して、現場の動きはどうもかみ合っていないように思います。ゆとり教育においても、このことは政策と現場の乖離があったと思います。果たして、そうならないために、どういった能力が今後必要なのかということの理解をもっと社会的に理解していく流れができないといけないのでしょうね。

  7. 各国それぞれの形で子どもにとって最善だろうと思われる教育を施しての結果であることを改めて感じます。その中で、子どもが無理なく、楽しく、そして飛躍的に伸びている教育法はどれなのでしょう。現行の教育で育った大人からすると教育とはこうあるべき、というものがあり、今尚それが子どもたちに強いられている、という現状が浮かび上がってくるかのようです。大人が価値観を変えられるように、教育が必要なのは、そういう大人の方なのかもわからないと思えてきます。

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