今後の学校

学校での従来的なアプローチとして、扱いやすいように課題を小さく分割し、解決方法を教えることがよくあります。しかし、現代の社会は様々な知識分野を統合し、以前は関係ないと思われたような考えを結びつけることによって価値を創造するのです。そのためは他分野の知識に精通し、受容する必要があるちうのです。

現在の学校では、通常、生徒が個々に学び、学年末には個々人の成績を評価します。しかし、世界がより相互に依存するにつれ、より協同的であり俯瞰して実務をおこなうような人が必要になると言います。イノベーションとはいまや孤立した個人の成果ではなく、むしろ知識を動員、共有、統合された成果であると考えています。ウェルビーイングは総意に基づいて協同する人々の能力にますます依存しているのです。したがって学校は、生徒が現代の生活で多元的共存性を自覚して成長することをよりよく促す必要があるというのです。つまり、協同を教えその価値を理解するとともに一人ひとりの学業成績を達成し、生徒が自分自身のために考え、他者のために行動できるようにすることを意味するのです。

現実には生徒がほとんどの時間を個々の机で過ごしており協同学習の時間は限られていることが、2015年のPISAによる最初の「協同間題解決能力」の調査結果から驚くほど明らかになったのです。集団力学を意識し続け、目的達成のための障害を克服し、他者との意見の不一致を解決する行動をとる必要があったとはいえ、比較的シンプルな内容の間題解決のタスクを完了することができた15歳の生徒はOECD加盟国平均で10人中1人より少なかったそうです。

より一般的には、要求されるスキルの変化が社会情動的スキルの重要性を高めてきました。目標を達成し、他者と共に生きて働き、感情をコントロールするのに関係するこのスキルには、忍耐、共感、他者の視点、思慮深さ、倫理、勇気、リーダーシップなどの性資が含まれます。実際にシュライヒャーは、そのような性質を育成する際立ったエリート校を見てきたそうですが、幅広い目標を不可欠なものとして掲げてきた教育システムはほとんどなかったそうです。大多数の生徒にとって学校での人間性形成は教員の優先事項であるかどうかによる運の間題だと彼は言うのです。

社会情動的スキルは次々に多様性と重要な形で交差していると言います。様々な考え、観点、価値観を理解し、多様な文化的起源の人々と協力し、テクノロジーによって空間と時間を橋渡しする必要があるという世界、国境を越えた問題により人生に影響を受ける世界で子どもたちが生きて働くのに役立ちます。テクノロジーによって世界中の人々がさらに繋がっていくとともに、多様なチーム内での効果的なコミュニケーソンと適切な行動が多くの職場での成功の鍵となると言います。雇用主は、新たな文脈に自分のスキルや知識を適用したり応用したりし、容易に適応する学習者をますます求めています。相互に関連する世界に求められる社会人として、若者はグローバリゼーションの複雑な動態を理解し、異なる文化的背景を持つ人々にオープンである必要があるというのです。

今後の学校” への7件のコメント

  1. 求められる力が変わってきたということを感じると同時に、それらの力を意識しなければ、育たない時代にもなってきたということを改めて感じました。また、より共有し、協働していかなければ予測不能なこれからの時代を生き抜いていくことも難しいということですね。そうなると教育の内容が変わるのは必然であり、変えていかなければいけません。しかし、まだまだ具体的には何をしていいのか分からないということもあるのかもしれません。それが、藤森メソッドにはあると私は思っています。
    「そのためは他分野の知識に精通し、受容する必要があるちうのです」と最初にありました。このことは最近実感することが多いです。とにかく興味を持ったことを頭の中に詰め込むような時期がありました。それらが今、いろいろと結びついているという気がしていますし、まだまだこれからもそういうことがどんどん増えていくんだろうなと思います。「イノベーションとはいまや孤立した個人の成果ではなく、むしろ知識を動員、共有、統合された成果であると考えています」とありました。個人が尊重されすぎるというのでしょうか、そんな時代からの転換のようなものを感じます。もちろん、個人は尊重されるべきですが、一人でなんでもできるようになるという人間を作るのではないということですね。

  2. 多元的共存性、社会情動的スキル、初めて目にした言葉でした。意味を調べると、普段大切にしていることと、共通している部分が多くありました。多様性や非認知スキルといった私が知っていた言葉よりも、「社会的」なものであることなんだろうと理解しました。

    最後には、異なる文化的背景を持つ人々にオープンである必要がある、と締められていました。文化的背景とまで言わずとも、同じ日本人、同じ保育士であっても、様々な人がいて、それぞれの思考があることを日々感じています。

    まずは自分自身が、子どもたちを含めた身の回りの人に対して、オープンでいたいなと思います。

  3. 日本では過去に鎖国をしていたり、島国であるということも関係しているかもしれませんが、「相互に関連する世界に求められる社会人として、若者はグローバリゼーションの複雑な動態を理解し、異なる文化的背景を持つ人々にオープンである必要がある」という能力は、苦手分野だったかもしれませんね。しかし、そこを克服するのも長所にするのも、教育次第ということになるのでしょうね。「協同間題解決能力」のための学習システムを構築し、「集団力学を意識し続け、目的達成のための障害を克服し、他者との意見の不一致を解決する行動」ができる人材を育成することに着目しなくてはいけません。そして、社会は「自分のスキルや知識を適用したり応用したりし、容易に適応する学習者」を求めているということが大事ですね。変化の激しい時代だからこそ、持っているものを活用して柔軟に適応していく力が必要ということで、今の時代に添った教育を行うということと、今後の見通しを踏まえた対策とを同時進行していかなくてはと感じました。

  4. 子どもたちが大人になった時にどのような力が必要かを考えた時に、現段階の教育のあり方でいいのか、というのをしっかりと抑えていかなければならないのだということを感じました。そんな時はやはり「そもそも」に立ち返って考えることが必要ですね。その上でこれからの時代に必要なものは〝生徒が自分自身のために考え、他者のために行動できるようにすることを意味する〟とあるように「共生と貢献」であるように思います。そのために大人である自分たちができることを考えて、行動していかなければならないですね。

  5. 今回のブログからも多くの示唆を頂きました。と同時に、教育の世界が想像以上に旧態依然であることに思いを馳せ、大きくため息をついたところです。わたしたちが携わっている園の世界は幸い子どもたちの裁量を多く許容できる部分があります。もちろん、子ども主体、という考えで園運営をしている園での話です。ところが、小学校以降はどうでしょうか。私が経験した学校時代と息子たちが経験してきたそれとどれほどの違いがあるのでしょうか。入試は相変わらず知識偏重気味です。「学校は、生徒が現代の生活で多元的共存性を自覚して成長することをよりよく促す必要があるというのです。つまり、協同を教えその価値を理解するとともに一人ひとりの学業成績を達成し、生徒が自分自身のために考え、他者のために行動できるようにする」とは程遠い現実が厳然として存在します。これは一体どうしたものか。ICT化による学習ということが目指されているようです。ICT化で協同的な学びが可能となり「集団力学を意識し続け、目的達成のための障害を克服し、他者との意見の不一致を解決する行動をとる」ことに繋がればいいのですが、果たしてどうでしょうか。

  6. よく、協同的問題解決能力と認知的な勉強とを分けて考える人がいます。まるでこれまでの詰込み型が必要ないかのように今までの教育を否定する人もいますが、今回の内容を読んでいても、重要なのは認知的に覚えるといった勉強を否定するわけではなく、いかにそれを関連付け、知識分野を統合していくかということが重要なのですね。そして、それと共に求められる「協同的問題解決能力」そのどちらもが、これまでの教育においてはあまり大きく意識されてきたものではなかったように思います。これまでは個々の能力が重視され、順位をつけられたり、優劣が割とはっきりと見えてきた中で、どう変化させていく必要があるのか、「よい個の集まりが、良い集団」というのを藤森先生から聞いたことがあります。まさにそこにフォーカスが当たっていくのだと思います。個か集団かではなく、そのどちらもが大切なことであり、重視されるべき時代になってくるのですね。

  7. 既存の学校教育で育ち、教員になりたいと思った人が教員になるのですから、当然教育は変化しないわけだと改めて思えてきます。そう思うと、変化が求められる業界とは何でしょうか。そのような業界のような風が必要なのかもわからないとも思うし、ただ、そうすると民営化のようになって、教育と利益というまた少し異なった相互関係の中に大切なことがおざなりになっていきそうな気もしますし、そう思うとやはり国が真剣に教育を考えなくてはならないのでは、という思いに至ります。

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