プレイフルな学び

リナルディは更に続けています。「遊びの中に子どもが善き市民となり、民主主義を身につける種が宿っている」。遊びは自由であり子どもは自由な遊びを司る存在になります。自分でシステムを動かし自分で何かを作ります。これが自ら責任を持って、主体的に行動する市民の礎になるというわけだと言います。しかし自由なだけでは遊ひは成立しません。集団のルールによって制約されるからです。もし相手のチームがルールを無視したら、私達はサッカーをして遊べないでしょう。遊びの中で私達は他者と共に動くこと、すなわちコラボレ1ションを学び、他者の見方、考え方も考慮して全体を見渡し、どんなことを実現したいか語り合う必要、すなわちコミュニケーションする必要が生まれるのです。今一緒にやろうとしているゲームについて理解し、コンテンツであるルールを作り、対立や争いが起きたら、理性的に判断し、それがクリティカルシンキングなのですが、皆で知恵を出し合って、どう問題を解決していったらよいか解決法を編み出していきます。それがクリエイティブイノベーションなのです。そして、解決法を考える時も、見出した解決法を実行する時も、自分の思いを素直に出す勇気を持ち、簡単に諦めず粘り強く取り組み、グリットを発揮しなくてはなりません。それが、コンフィデンスという自信です。これこそ善き市民となり、民主主義を身につけるための最高のレッスンなのです。ルールのあるゲームをプレイするという意味での遊びを通じて、民主的なプロセスを経験し理解します。遊びが最高の学びをもたらすのです。

しかしこれまでの学校教育の中で、学びの中に、今述べてきたような意味での遊びが入り込む余地は殆どありませんでした。それは仕方かないところもあるとキャシーは言います。学校での学びはただ楽しいだけで済ませるわけにはいきませんし、全てを子どもの自由のままに任せるわけにもいかないからだと言います。キャシーらは学びには二つのタイプがあると考えているそうです。一つはフリープレイによる学びであり、リナルディの譬えのように、蝶の羽を羽ばたかせる学びです。子どもは遊びに没入していて、それが学びに繋がっているなどという意識は全くありません。

玩具産業協会が「遊びの天才」というシリーズ動画をYouTubeで公開しているそうです。この動画を見ると、遊びと学びが一体であることがよく解ります。ごっこ遊びがコミュニケーションとコラボレーションのスキルを育て、ブロック遊びによって空間と数というコンテンツを身につけます。

フリープレイによる学びは6Cs全ての発達に大きな意味を持つとキャシーは言います。それは先に書いた通り遊びのプロセスの中で6Csを使いながら獲得してゆくからです。自分一人で、仲間とあるいは大人と、フリープレイによる学びをすることで、子どもは自分のアイデアを素直に出すことができ、自分が何を好み、何を嫌うのか知り、学校で学ばなければならないことの礎となる多くの知識コンテンツを学びます。しかしフリープレイから学ぶもっと大事なことは「ソフトスキル」だと言います。交渉するためにはコミュニケーション、コラボレーション、クリエイティビティ、コンフィデンス(自信)を総動員する必要があります。遊びのありとあらゆる場面で「交渉すること」が求められ、そのプロセスを通じて6Csが鍛えられてゆくのだというのです。

プレイフルな学び” への10件のコメント

  1. フリープレイ。臥龍塾のお話の中にも、朝夕の自由遊びの時間こそが重要であるという話がありました。
    今日の夕方の2歳児クラス。上着を着て登園用のリュックを背負いピクニックごっこ、大きなプレートを2枚繋げて協力して1つのものを組み立てる、人型ブロックを用いてのごっこ遊び、それぞれに積み木を重ねて「見て〜」と見せ合う、様々な力を総動員して、夢中で遊びこむ子どもたちの姿がありました。

    延長の時間、年長の子とトランプ遊び。大富豪、スピード、神経衰弱を全力でやりました。
    子どもたちと生活し遊ぶことで、私の力も引き上げてもらっているようです。

  2. “子どもたちが楽しそうだから遊びは良い”という感覚ではなくて、自由を司れる・自分でシステムを動かせる・責任を持って主体的に行動することで市民の礎となる・他者の見方や考え方も考慮し、どんなことを実現したいか語り合うようになる・皆で知恵を出し合って解決策を導き出す・ルールのあるゲームをプレイし、民主的なプロセスを経験し理解するなど、明確な姿や目標を達成することができるから、「遊び」が重要なのだと理解できました。また、その自由な遊びの過程には全て6Csが絡んでいることを知りました。そして、『フリープレイから学ぶもっと大事なことは「ソフトスキル」だ』ともあり、各々のスキルを獲得すれば良いということではなく、そのスキルたちを総合的に活用して目の前の問題を柔軟に解決していくかが重要であるということなのでしょう。「交渉」や「折り合い」は、人間関係だけでなく、会社の業績を高めて価値あるものにするためにも活用できるスキルですね。

  3. 私たちおとなには悪い癖がいくつもあります。そのひとつが、子どもたちの遊びを「自由あそび」と称し、何か、ルールも決まりもない、「フリープレイ」というカタカナ語が象徴する行動様式として子どもの遊びという行動を片づけてしまう単純さです。子どもの気持ちは直にはわかりません。従って、私は、自分自身の子どもの頃を思い出しながら、子どもの気持ちをわかろうと努めることがあります。子どもの頃は語彙を持ち合わせていません。しかし、自分だけやってもつまらない、相手にもやってもらったほうが楽しい、そういう自分なりの決まりの気分をつくる、すると何だかわかりませんが、相手もそうした感じで、結局、互いに楽しく遊べる、ということを経験しています。概念化されない世界を子どもたちは生きている。ただそれだけ。子どもたちは自分たち自身ではどうすることもできないことが多々あります。私たちおとなは物を買うお金を持ち合わせています。家具や空間を作る力を持っています。私たち大人がすることは、子どもたちが今できないこと、その代替としての機能を果たすことでしょう。子どもたちにとって楽しくなる物的環境、空間的環境の創造を私たちおとなたちのミッションにしたいと思ったところです。

  4. 遊びと言っても、園などでの遊びは自分以外の他者が当然一緒になって遊んでいます。そんな中で互いに遊ぶためには内容の中にもあったように、コラボレーションすること、コミュニケーションすること、クリティカルシンキングすることのように様々なスキルが必要になりますし、子どもたちは自然とこれらのことを行なっていますね。「交渉すること」ともありましたが、まさに他者と遊ぶためにはこの交渉はとても重要なものになるのかもしれません。遊びにいれてもらう時、一緒に何をして遊ぶか決める時、どういうルールで行うか、次に何をするかなど、自分の意見をしっかり持ちながら、それをどう実現するのか交渉したり、または交渉されることで受け入れたりという姿が見られますね。子どもは遊んでいるだけという人は子ども同士の遊びをしっかり見たことがないのかもしれませんね。あらゆるスキルを駆使して遊びを展開しているというのはそういう視点を持ちつつ、観察するととてもよくわかりますね。

  5. 「子どもたちが自由にあそぶ」という大人から見れば、なんの制約もない、ただ自由にしているだけに見えるものは、実は〝善き市民〟になるためのレッスンなんだということが今回の内容から理解できます。
    「集団の中であそぶ」ということはこのような意味があり、学校の授業では学ぶことが難しい〝ソフトスキル〟が存在しているということを自分たちは知って、なおかつ説明できる必要がありますね。
    そのように考えると、ゾーンで遊んでいる子どもたちの姿が学びになっていることが分かります。それ以外の自分たちから仕掛けるあそびというのは、今現在の子どもの能力がどれほどなのかを見極めるものであり、その結果どのような環境にしていくのか足りないものを見極める、そんなものなのかもしれないな、と思いました。

  6. 「学びには2つある」とキャシー氏は言っています。確かにその通りですね。まさにフォーマルなものとインフォーマルなものそのどちらもが人にとっては学びのプロセスとしてあるだと思います。ただ、そのどちらもつなげて学習できるようにするというのが「環境を通して」という言葉に詰まっているように思います。倉橋惣三が「誘導保育」を挙げていたのを思い出しました。意図のある環境の中で子どもたちが「自由意志で遊んでいるかのように」感じさせ、遊びながら学ぶということが意図としてあったと思います。そういった環境の中で学べるのだとしたらどれだけ楽しいだろうとワクワクします。まさに主体的に教育に向き合うことにならざるを得ません。「成功」をどう捉えるか「学び・学習」をどう捉えるかは「評価」という一端において困難な部分は多くありますが、大切な視点でもあるように思います。そういった意味では、他者評価だけではなく、自己評価も重要な意味が出てくるのではないでしょうか。

  7. 自由を得るためには義務があり義務をこなすことで自由を手に入れられる、そしてその中で行う遊びこそ善き市民となる礎を築くのですね。ボール遊びが禁止とされている公園では、鬼ごっこをすればいいし、大きな音を出すことが禁止されている公園ではかくれんぼをすればいい。大人の都合で禁止されているということは、不条理を感じますが、そこに意義を申し立てる時間があるなら、その不条理を楽しんでかわしていく術を身に付けることこそ世にで手必要なスキルを身に付けることに繋がるのかもしれませんね。

  8. 小学校へ行くと休み時間に自由な時間が設けられている印象です。ですが、それが子どもたちにとって教育上とても大切な時間だとすると、授業もまたそのような時間であったならどれだけ子どもたちにとって学校が有意義なものになるだろうと想像してしまいます。先日、卒園した子に会い、学校での好きな授業を聞くと、音楽と体育と図工と給食と言っていました。どれも黒板に向かって何かを覚え込むような授業でないことに共通点があるようにも思え、未来を生きようとする子どもたちがある意味では嫌がっているような授業形態に子どもたちが順応させられている現状があるように思えてきてしまいます。

  9. 子どもの遊びのなかに、学びがあると言うのは、確かに子どもは、意識的ではなく、無意識的なものでありますね。大人は、それを理解し、その能力を獲得するための環境を子どもの発達を通した姿が用意しようとします。そして、フリープレイによるなかでの遊び、学びを考えると、子ども自らが選択し遊びを行う、ゾーン遊びの時間にあるように感じます。した居場所を選び、その遊びにいる多様な人と関わりながら遊び、そのなかで、思いを伝えたり、聞いたり、そういった社会的スキルを身につけて行く機会にもなっていると思います。それぞれの場所、場面で出会い、そのなかで、クリティカルシンキング、コミュニケーション、コラボレーション、クリエイティビティ、コンフィデンス(自信)を総動員しながら生活していることを感じます。

  10. 「交渉すること」と書かれてあります。日々、子どもたちの姿を見ていると交渉の繰り返しです。ブロックをしながた互いにアイディアを出し合いますし、製作では自分が使用したい道具を借りるために交渉したり、もちろん子ども達は普通に行っていることですが、とても重要なことですね。「ソフトスキル」まさに人間の内面の部分ということだと思いますが、乳幼児期からソフトスキルが身につくような環境が大切ですね。

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