ブラジル政府

シュライヒャーは、ドイツ、イタリア、日本、メキンコ、ノルウェー、スウェーデン、イギリス、アメリカ、欧州議会の議会公聴会に出席しただけでなく、様々な組織や企業の経営者たちとも会ってきたそうですが、これらの人々は、教育を単に自分たちの会社の将来の働き手を生産する工場としてではなく、自分たちが暮らし働く社会を形成するにあたり重要な役割を果たすものであることを理解していたのです。教育には、様々な組織や企業が身近な問題として考えるだけでなく、長い目で、また、広い目で社会を考えることが必要ですね。私は、日本にはそこが足りない気がしています。そして、その対策には、当然国家がどれだけ予算を計上するかだけでなく、企業が投資するかにもかかってきます。これも日本では、なかなか教育に対して投資することが少ないように思えます。

シュライヒャーらが19 9 7年にPISA開発に取りかかったとき、プラジルの大統領からPISAに参加したいとの電話を受けたそうです。プラジルはOECD加盟国以外でPISA.への参加意向を表明した最初の国で、ある意味驚きだったそうです。当時のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領は、プラジルが国際結果一覧の下位になるだろうと予想していたでしょう。しかし、後にこのことをシュライヒャーが彼と話した際、彼は当時のプラジルの教育制度改革における最大の障壁は資源や能力の欠如ではなく、「低レベルの教育水準の中でも生徒が良い点数をとっていることなだ」と語っていたそうです。誰も改革が必要だとも、可能だとも思っていなかったそうです。カルドーゾ大統領は国民に真実を理解してもらうことが大切だと考えたのです。そこでプラジルは、自国のPISAの得点を公表しただけでなく、2021年までにPISAのOECD平均得点に到達するためにはどれだけの成績向上が必要かをすべての中等学校に向けて説明したそうです。この大統領の取った行動も見習うべきですね。ただ得点が高いことお国民に示すことではなく、改革お国民に理解してもらうことが、長期的に必要だということを理解していたのですね。どうしても、中途半端に高い得点を取ってしまうと、次第に低下してくることには目をつぶってしまいかねません。

当然、それ以降のブラジルのPISAにおける進歩は目覚ましかったそうです。初めてPISAに参加してから9年後、ブラジルは読解力で2000年のPISA開始以来、最大の得点アップを記録したのです。

メキシコも同様だったそうです。2006年のPISA調査によると、メキシコの15歳のほぼ半数がPISA到達度基準の最低ればる以下の学校に通っていたというデータがあったにもかかわらず、2007年のメキシコの調査では保護者の77%が、子ども達が受けている教育の質について良いまたは大変良いと回答していたそうです。一般に受け止められている教育の質と、国際比較の結果との齟齬には多くの理由が考えられます。例えば、現在メキシコの子どもたちが通っている学校は、保護者が通っていた時代のものよりも質が高いのかもしれません。

しかし、ここで大事なのは、世論からの要求がない事項への公的投資の正当化は容易ではないということです。2008年2月にメキシコの当時のフェリペ・カルデロン大統領にシュライヒャーが会った時、彼は国内の中学校に対してPISA型の国際水準達成を目標に設定するよう検討していたそうです。この達成目標によって、国内の成績と国際水準とのギャップが際立ち、教員の動機づけや能力開発の機会提供などを含むギャップ解消に向けた改善について詳細な話し合いがおこなわれたのです。

ブラジル政府” への8件のコメント

  1. 「教育には、様々な組織や企業が身近な問題として考えるだけでなく、長い目で、また、広い目で社会を考えることが必要ですね」とありました。先生も言われているように、まさにこのような視点が日本には足りないように思いますね。教育の可能性をまだまだ理解していないばかりか、教育の本質を理解しておらず、目先の利益ばかりになっているのかなと不安になることもあります。ブラジル政府の対応は素晴らしいですね。大統領の考えも素晴らしいですね。国民にありのままを知ってもらうことで、何がこれから課題になるのか、必要になるのかということをしっかり訴えることができそうですが、なかなか簡単なことではありませんね。まさに政治家のあるべき姿のように思えてきます。「しかし、ここで大事なのは、世論からの要求がない事項への公的投資の正当化は容易ではないということです」ともあるように、日本では世論からの要求ばかりで、本当に重要なだと思う政策はなんなのだろうかということが置き去りにされているように思います。国の未来のために何が必要であるかということを確固たる信念で行動できるリーダーを待ち望んでしまいます。

  2. どんなに情報が一般化されて、ネット上でより良い教育についての知識を得られるようになったとしても、本当の改革において、教育が政策抜きに語れないことを感じます。
    その一方で、企業はその在り方を多方面から考え直さなければならない状況に置かれているようです。それは、教育界にとっては大変有意義な流れでもあるように感じます。
    保育施設が、箱の数ばかり議論されて、取り残されないように、私たち保育士がしっかりと社会に目を向けることが重要だと考えました。

  3. メキシコでの事例から、変革の難しさを感じました。「保護者の77%が、子ども達が受けている教育の質について良いまたは大変良いと回答していた」とい保護者のニーズと社会が必要とするニーズの異なりをどう埋めるのかが課題でもあるように、現在の日本における保育者主導の保育が、「保護者の要望」である場所は少ないくないようにも感じます。当園でも、変革の際には「子どもに任せすぎている」「先生たちが指示しないから、子どもが言うことを聞けていない」「もっと子どもに指導すべきだ」などの意見が上がってきました。その度に、今後社会で求められる人材や能力の話をさせていただき、ご理解していただく機会が多々あります。当園では、幸いにも意見を言ってこられたのは4、5家庭くらいでしたが、その規模が大きくなれば園での変革はより難しくなるでしょうね。「現在メキシコの子どもたちが通っている学校は、保護者が通っていた時代のものよりも質が高いのかもしれません」というように、自分たちが受けてきた保育内容とどうしても比較してしまうのは否めませんね。

  4. 教育は国家百年の大計、と言われます。教育は百年先をみて現在行われるもの言えるのでしょうまぁ、百年と言わなくても、せめて30年から50年先を見込んで、今の子どもたちに学びの機会を提供したいと思うのです。ところが、現在はVUCAの時代です。ある意味、一寸先は闇、状態です。その中で30年後と言われても・・・、ということになるでしょう。ならば、従来のことをやり続けていいのか、ということにはなります。ブラジルの大統領が何を思っていたのか、メキシコの大統領はどんな未来を描いていたのか。いずれにせよ、率先してPISA学力調査に参加したことは賢明なことだったでしょう。私たち一般庶民は今が楽しければいいと思っています。しかし、国のかじ取りをする人々はそれではいけないでしょう。一般庶民が永遠に今を楽しめるように将来を見据えてさまざまな施策を講じることが肝要でしょう。「低レベルの教育水準の中でも生徒が良い点数をとっていること」、このことの本質を見抜く力を為政者は持つべきでしょう。私たちは政治家を選挙によって選びます。その政治家たちが未来を見抜けなかったとすれば、それは私たちの責任、ということになるでしょう。国の将来を自分事として考えるようになりたいものです。

  5. 教育には長く広い目が必要なんですね。日本は目先の利益に囚われている、と考えることができ、その結果、大切なものや本質がいつの間にか薄れていっている、そのように感じました。そんな日本に自分たちが何ができるのか、ということを考えていく必要があるのでしょう。ですが、ここにも書いてある通り、ニーズと異なることをしていくというのも大変なことだと思います。発表会では我が子にかわいい、かっこいい衣装を着せて、派手なパフォーマンスや感動の涙を期待する親は少なくないのではないでしょうか。その時だけ大人が満足する発表会が良いものとされているのが、先日の息子が通っている発表会を見ていて感じました。その辺にも長く広い目が必要ですね。教育だけでなく、大人にも必要なものであるように感じました。

  6. ブラジルのカルドーゾ大統領の「国民に真実を理解してもらうことが大切だ」という姿勢は見習うべきところが多々ありますね。PISAの調査で日本でニュースになったのは「学力が低下している」という大きな事実だけであり、その内容、その意味までは語られていないことが多くあるように思います。そのため、多くの人は、「学力が下がった。あげなければ」「学力がたらないために、もっと勉強を」と思った人は多かったのではないかと思います。しかし、その本質を見ていくと、単純に「勉強すればいい」ということではなく、もっと質に目を向けていく必要があるように思います。そして、その「質」とはなんなのかをもっと前に出していく必要もあるのではないでしょうか。単純な見える部分ではなく、本質的な理解するための情報はブラジルやメキシコの動向に比べると日本は意外にも少ないように感じます。

  7. どうして日本は教育への関心が低いのでしょうか。いやもしかして教育だけでなく、現状から新しいものを生み出そうとする力についての関心が低いのでしょうか、それは徳川政権から延々と続いている三河者の性質のようにも思えてくるところで、その点においては、日本の美徳を重んじつつも、尾張の雰囲気について学ばなくてはならないところがあるような気もしてきます。新しいものを、若い力を、重用する雰囲気が必要のような気がします。

  8. 社会を見た教育により、社会を形成していく、それには、社会を形成していくもの、子どもたちの存在がその時期に必要な環境下で過ごすことがいかに重要なのかということが考えられます。国を上げてというのは、ブラジルの話を聞くだけでも、方向性の一本化のためのしっかりとした動機づけが必要だと思います。

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