アメリカ政府

PISAの関心はますます盛り上がっていきました。2009年8月にシュライヒャーが外部専門家として出席したアメリ下院教育労働姿員会のリトリート会議では、世界の教育リーダーからアメリカが学び得る政策上の教訓について活発な議論が行われたそうです。その一月後、彼は全米州教育長協議会主催リトリートの一環で、州政府教育部門リーダーたちのフィンランド視察に随行したそうです。抽象的な議論はその時点ですでに終わっていたのです。アメリカのリーダーたちは世界最高の成果をあげた教育システムを持つ国の教育リーダーたちに直接会うべく視察に向かっていたのです。この頃の熱と行動力ははすごいですね。その取り組みは、単に成績を上げるためではなく、将来の国家のため、今後の社会を見据えてのことだったのでしょう。

しかしアメリカ政府が調査結果に本気で注目したのは、続く2009年のPISA調査後、2009年から2 015年までアメリカ教育長官を務めたアーン・ダンカン氏の主導によってだったそうです。彼の「トップへの竸争」の取り組みはアメリカ各州間の競争を推進するだけでなく、ワールドクラスの教育ンステ.ムに注目し、外部へ目を向けるよう各州に促したのです。シュライヒャーはアメリカで一般的に教育のイメージキャラクターとみなされるマサチューセッツ州でこの取り組みの諮問委員を務めました。諮間委員会は、マサチューセッツ州が、州の結果と世界で指折りの教育ンステムとの依然として大きなギャップをいかにして埋めることができるかに正面から取り組んでいたのです。

彼が、各学年の履修内容の枠組み設定を目指して制定されたコモンコア教育スタンダードの検証委員を務めたときは、アメリカの子どもたちが21世紀に習得するべき日標を設定するにあたり、世界最高レベルの教育システムとの比較が大きく影響していたのを見たそうです。

当然のことですが、メディアが幅広く取り上げてので、PISAの影響は世界中に広まっていったのです。ドイツではPISAに関するテレビ番組が作成され、かなり人気となったそうです。そして、教育という特定分野の議論が、教育、社会、経済の関連性という国民的論へと変容していったのです。

政府がPISAの結果を、同様の課題を持ちながら成功している他国と比較し、政策と実行を検証するピアレビューの開始点として利川してきた国もありました。改善に向けた一連の具体的な政策アドバイスを引き出すこうしたピアレビューは、OECDにおけるシュライヒャーらの業績を裏付けるものとなったのです。

PISAにより、政策立案者や研究者同士のピアラーニングが促されていきます。しかし、おそらく最も意味があったのは、教員の組職や組合を含む現場の教員たちのピアラーニングも活発になったことではないかとシュライヒャーは言っています。

ここで、最後に彼は、PISAの重要な貢献として忘れてはならないのが、一般国民がより良い教育サービスを求めて声を上げるようになったことではないかと言います。多くの国の保護者組織が積極的な役割を果たしたのです。

アメリカ政府” への7件のコメント

  1. ピアラーニング、初めて聞いた言葉でしたが、調べると非常に大切なことだと分かりました。まず大人になっても学び続けることが大切であり、真の学びは1人では得られないものであると考えます。
    1番最後の段落、非常に大切なことですね。待機児童の問題ばかりが取り上げられる日本の幼児教育ですが、その中身について保護者が活発に議論する時代が近づいていると思うと、これからが楽しみです。

    時代に取り残されないよう、学び続けていきたいです。今日も臥龍塾ありがとうございました。

  2. 「最後に彼は、PISAの重要な貢献として忘れてはならないのが、一般国民がより良い教育サービスを求めて声を上げるようになったことではないかと言います」とありました。広く国民に教育の意義であったり、危機感のようなものが伝わると変化というのは大きな渦になって起こっていくのかもしれません。逆もまた然りで、いいものならいいのですが、よくないものもその大きな渦になり得るので、そこは気をつけて物事を見なければいけませんね。本質的な問題をわかりやすい言葉で、伝えてくれる人が現れるといいのかなと思ってしまいました。もしかするとそれが国会議員の役割だったりするのかもしれませんね。大切なことを分かりやすく、重要なことは何かを理解して、その重要度を分かりやすく、そんなメッセージを発することができる人が政治には必要なのかもしれません。

  3. 抽象的な議論を経て、具体的な議論へと移行し、それを実行に移せる組織というのは、非常に強いイメージがあります。その強さは、変化に強く、筋が強く、外部圧力に屈することもなく信念が強いといった印象です。また、「議論」できる環境をどのように作ればいいのかを最近考えています。日本人はそのような風習があまりないように感じます。ディスカッションというより、井戸端会議を参考にすれば良いのでしょうかね。そして、シュライヒャー氏と共にフィンランドを視察した「州政府教育部門リーダーたち」は、現地ではどのような感想を抱いたのでしょうか。そこで得た知識や具体例をどのように実行に移したのでしょうか。「単に成績を上げるためではなく、将来の国家のため、今後の社会を見据えてのこと」というように、今後を見据えての行動を国や州のトップが積極的に自ら舵をとっていただくのは、非常に心強いですね。

  4. 米国政府同様、日本国政府の政治家や文部科学省関係の方々もフィンランド教育視察をしたのではないでしょうか。日本の多くの政治家や研究者たちは、先進的な教育視察のために海外を訪れていることでしょう。そして、素晴らしい視察報告書や視察に基づいた学術論文をあちこちで発表していることでしょう。にもかかわらず、何か、日本の教育界において私たち日本国民が目を向けるような変化が出始めているのでしょうか。ICTの導入、アクティブラーニング、・・・。私はかつて、東南アジアの国々に何度か行き、若者たちと対話をしたことがあります。彼らは、とにかく、ひとつでも多く学びたい、と言っていました。そして、自分もよくなるし、国もよくなると言っていました。当時の我が国の教育現場における子どもたちと比較し、その志の高さにもやもやとした感慨を抱いたものです。そして、数十年経った現在、この国の子どもたちの学びに対する意欲は向上しているのか。このことを思うたびに、・・・とした気持ちになるのが残念でなりません。

  5. やはり、一人一人が我がこととして考えていくというのが大切なんですね。最後の文章〝一般国民がより良い教育サービスを求めて声を上げるようになったことではないか〟というところからそのことを感じました。その声の上げ方が過熱してしまわないように、方向が間違ったことにならないようにしていくこともまた、一人一人の役割となるんでしょう。それには、ディスカッションなどよりも、みんなで議論するような話し合いができるような環境を整えていくことが必要になるのかもしれないな、と思いました。

  6. 政策立案者から研究者同士のピアラーニング。教員の組織と現場の教員たちのピアラーニング。そして、多くの国の保護者組織の積極的な教育サービスを求めた声など、さまざまな場面で教育が議論され、ともに一つの方向性を向いていくという過程はとてもワクワクします。こういった一連の理解度の共通認識というのはより、現場にとっても心強くなるでしょうし、政策側も進めやすく成ることでしょう。しかし、この大きな流れを作ることはなかなかの困難を要します。どうしても、これまでの教育形態のイメージが残るがゆえに、新しい流れを作ることに不安や不満が大きく出てきます。前向きな議論をどう起こしていくのか、そして、それをどう様々な人に理解するような政策として打ち出していくのか、日本はとかくこういった部分があまりうまく進んでいないように思います。良いことをやろうとしているのに、なかなか進ませることができない、こういったポジティブな変化をどう次に生かすのか、共通認識を持つことの難しさを感じます。

  7. 意図した目的とは異なるところで、本来の部分においては実は必要な要素たるものが活発に活動が開始された例を聞くと、なるほどこの度のコロナ禍においても、それに対応するだけでなく、その中から生まれた新しい文化や活動があるように改めて思えてきます。見渡せば多くの人がマスクをしています。少し前まではここまでマスクの需要があったかというところであっただろうに、カラフルで素敵なマスクやブランドのロゴの入ったマスクなども生まれる程にこの業界は活発になったことでしょう。今、窮地にあることも、もしかしたら、何かの転機にきているのかもわかりません。

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