評価主義者

先生は、子ども達を三つの小グループに分け、今読んだ文章に書かれていた公園に足りないことについて考える問いかけをしたのです。「大胆に考えてもっと公園を素晴らしくしよう」。子ども達の創造性を刺激し、どんな物が欲しいか書き出し、新しく加える要素を絵に描かせました。暫く個人作業した後、考えたことを全員にシェアする時間を作りました。そのうえで公園に新たに付け加えるものを三つ、クラス全体の総意として選んでほしいという課題を与えたのです。皆のアイデアを全てホワイトボードに書き出し、それを見ながらどれがいいか、なぜそれがいいのか自分の主張を述べて、子ども達は議論を始めました。最終的に全員で投票して決めます。子ども達は一緒に悩み、お互いの提案に突っ込みを入れながら白熱した論議を続けたのです。この授業は自分達の考えをレベル4のクリティカルシンキングにもっていく素晴らしい機会になっているとキャシーは言います。タダでアイスクリームを食べさせてくれる移動販売車を設置するのはどう?音楽が流れてくるべンチは?なぜ前の意見が良くて、後のはダメなの?’自分たちが望むものは何?……真剣な議論は続きます。

とはいえ、ディアナ・キューンのようなクリティカルシンキング研究の専門家でさえ、日常や学校の文脈の中でレベル4のクリティカルシンキングを理解するのは難しいと言っています。「評価主義者(evaluatists)」として物事を捉えることに価値を見出すかどうかという、ある種の道徳的間題にも繋がってくるとキャシーは言います。なぜならそれは寬容で受容するという社会的な価値とぶつかるからだと言うのです。「お互いに干渉し合わず」「それぞれの道をゆく」という発想は、レベル4の評価主義的思考を育てるのを阻害します。「全ての人が自分の意見を持つ権利がある」とう信念は一歩間違えば、「全ての意見が皆正しい意見である、だから一つの正しい答えを探す必要はない」という信念へと変貌してしまう危険をはらんでいると言うのです。社会が未だにレベル3のクリティカルシンキングに甘んじているために進化論を受け入れず、神が我々を作ったという説を相変わらず教える学校もアメリカ合衆国のある州には存在するそうです。地球温暖化のような重大な社会問題についても、全ての人々が自分の意見を無責任に表明できる世の中になってしまっているとキャシーは嘆くのです。

レベル4の「評価主義者」は、証拠に基づいて立場同士を比較し、ある課題についての多様な立場をふかんてきに眺め、統合して、最も良い選択肢を選択しようとします。キャシーらの友人が人工股関節に置き換える手術をすることになったときのことです。彼女がどの素材が一番良いかドクターに質問したところ、素材はステンレスしかないと返答されたそうです。しかし彼女は諦めず、ウェブで探したところいくつかの素材で人工股関節が作られていることを知りました。今回のケースは彼女が健全な懐疑心を働かせ、専門医の言うことを鵜呑みにしなかったために、悲惨な結果を招くことはなかったのです。もし彼女がステンレス製のものを移植した後で金属アレルギーだということが発覚したら、とんでもない事態になっていたでしょう。