誰が何を誰に

おじいさんが、車で一時間程のところに住んでいる3歳半の孫を訪ねました。週の途中に訪れたということ以外、普段通りだったにもかかわらす、孫は「どうして来たの?」と質問したのです。おじいさんは「お前に会うためさ」と答えたのですが「本当は違うでしよ。何で来たの?」と早熟な孫は受け入れませんでした。いつものパターンから外れているので何か別の理由があるに違いないと推理したのです。これも立派なクリティカルシンキングなのです。大人が言ったことを何もかも簡単に受け入れたりはしないのです。

クリティカルシンキングをするためには、誰が、どんなことを、誰に向かって言っているか判断することも大事だとキャシーは言います。4歳くらいになると、ある人は他の人と比べてよく知っているということを子どもは理解します。自転車を直したいなら自転車屋さんに行き、靴屋には行かないのです。

ただレベル3ですと、権威だと「自称」している人にまんまとしてやられることがあると言います。「誰」が情報を言うかと共に「どんな情報」か吟味することも重要だというのです。情報自体を的確に評価できるかどうかは、その情報が自分にどの程度関わりを持つかによって変わってきます。例えば、演劇に強い興味を持っていれば、新しい作品が登場するとネットに上がった評判やレビューをしっかり読んで判断するでしょう。子どもは大人より知識量がないと解っていて、与えられた情報に確信を持てません。特に情報を教えてくれた人が過去に間違いを教えたことがあると尚更です。おばさんから、ハフカというユダヤ教の祭日で太陰暦に基づいて決まるので年によって日が違うのですが、その日とサンクスギビングは同じ日だと聞いた7歳の子は、その考えはおかしいとはねつけたのです。それは以前、おばさんに一度寄り目をするとずっとそのままになると騙されたことを覚えていたからです。

レベル3に留まってしまうと、私達の生活の全ての場面で良くない結果をもたらすだろうとキャシーは警告します。ウィキペディアの情報を完全に信頼しきってテストで間違えたり、根も葉もないうわさに基づいてクラスメイトと論争したり、怪しいインターネットサイトの情報に基づいて治療方法を決定したり、教育、対人関係、医療など様々な面で悪い結果を引き起こしてしまうのだとキャシーは言うのです。

中学生くらいの年代はどんな場合もレベル3で物事を提える傾向が見られるようです。ディアナ・キューンはこういう態度の人達を「どれも正解主義者(multiplists)」と呼んでいるそうです。このレベルにいる人達は人によって意見が違うのは当然でその違いを認めようと考えます。つまり「主張」と「意見」の区別がついていないのだというのです。主張には、根拠が必要です。多くの歴史家が南北戦争の起こった主な理由の一つを奴隷制と見なしていますが、奴隷制そのものよりも経済の問題の方が大きかったとする研究者もいるそうです。「どれも正解主義者」はどちらの主張も正しいと考え、どちらの主張が正しいのか追究しようとしません。キューンが「評価主義者」(evaluatists)と呼ぶ、レベル4のクリティカルシンキングにならない限りこの態度から脱却できないとキャシーは言います。夫々の人が夫々の信念を持っていたとしても、その信念はきちんとした証拠によって真偽を問う必要があると考えるようになったらレベル4だと言います。人々が異なる意見を持っていても、その全てが同じように正しいわけではないのです。