「心の理論」の理解

キャシーは、「もし私が世界は平らだと考えていたら、私は間違った信念を持っていることになる。」と言います。さらに、「こうあなたが想像できるのは、あなたが「心の理論」を持っているからだ。」と言うのです。この問いは懐かしいですね。私が20歳代のころ、担任していた小学校1年生に「大人の言うことをそのまま信じるな!」と言った例として、「大人は、地球は丸いと言うが、どう見ても丸くはないように見える。だって、丸いと反対側の人たちは落ちてしまうし、海の水がこぼれてしまうかもしれない。しかし、もし自分の目で見て、本当に平らかどうか不思議なことに気がついたら、いろいろと考えなさい。」と言ったのです。

少し私の言うことと違うかもしれませんが、キャシーはこう説明します。「心の理論」は、クリティカルシンキングを身につけるために必要不可欠な能力だと言います。そして、スタンフォード大学のジョン・フラーベル達が行った子どもの「心の理論」の理解についての実験を紹介しています。

3歳児に食卓に足を載せるのが好きな女の子の話をしました。この話をした直後に、お話に出てきた女の子は食卓に足を載せてよいと考えているか質問してみました。すると殆どの3歳児が彼女は食卓に足を載せるのはよくないと考えていると答えたのです。自分が足を載せないと考えているからその子も考えていないと判断してしまったのです。コロンビア大学の心理学者ディアナ・キューンは、この段階の子ども達を「リアリスト」と呼びました。なぜなら自分と同じ「現実」を他者も持っていると想像するからです。

次の段階のレベル2では友達や親は自分とは異なる考えを持っていると解るようになります。「心の理論」を持つようになると言うのです。

そこで、次の段階であるレベル2は、「私の答えを絶対に正しいと信じる」ということで、子どもは相手を選んで「真実」を判断する段階です。レベル2になると、人々が皆異なる視点を持っていると認識できると言います。ある人はコロンブスがアメリカを発見したと言います。別の人はアメリゴ・ヴェスプッチだと言います。さらに別の人は既にネイティブ・アメリカンが住んでいたのだから、発見の栄誉にあずかるのはコロンプスでもアメリゴ・ヴェスプッチでもないと言います。レベル2ではそれぞれの意見の違いを知った上でその中からただ一つ選ぶだけなのです。証拠に基づいて評価することなく白か黒かどちらかに決めてしまうのです。とはいえ、レベル2の子どもは、真実は人によって異なることを認識できるので、レベル1に比べれば進化しているのです。

ある女の子が父親から「もしスイカの種を飲み込んだらお腹の中で芽を出すよ」と言われました。その子は凄いことを知ったと思い、このことを友達に話したら、友達は「スイカの種を飲むとね、赤ちゃんができるんだよ」と言ったのです。レベル2では自分達の言ったことの一方が正しくて、もう一方が間違っていると判断するので二人は延々と言い争いを続けることになるのです。

子どもは聞いたことと実際に見たこととを比べ、レベル2なりのクリティカルシンキングを始めるのです。子どもは年上で権威あると思っている人をとても尊敬していて、その人の言ったことを信じてしまうのです。しかし実際にはお腹の中にスイカが入っているという人をこれまで一人も見たことがありません。不思議だと思い始めるのです。

「心の理論」の理解” への9件のコメント

  1. 「レベル2ではそれぞれの意見の違いを知った上でその中からただ一つ選ぶだけなのです。証拠に基づいて評価することなく白か黒かどちらかに決めてしまうのです。とはいえ、レベル2の子どもは、真実は人によって異なることを認識できるので、レベル1に比べれば進化しているのです。」

    「レベル2では自分達の言ったことの一方が正しくて、もう一方が間違っていると判断するので二人は延々と言い争いを続けることになるのです。」
    と記述がありました。真実は人によって異なることを認識できるにも関わらず、延々と言い争いを続けるというのが、理解できませんでした。

    私に権威があるか分かりませんが、2歳児クラスの子どもたちと話していると、私の話で納得することもあれば、その子どもが知っていることを参照して訂正することもあります。
    友だちとのかかわりで手を出しかけた際に会話を持つことで、思い留まり、話し合いで解決しようと振る舞いを変えることができます。遊びに対する意欲≒信念を調整しているように感じます。それもクリティカルシンキングの1つでしょうか。

    何度か読み返しましたが、私には難しかったです。よく理解できませんでした。

  2. 「子どもは年上で権威あると思っている人をとても尊敬していて、その人の言ったことを信じてしまうのです」という言葉からも、我々保育者の言葉がいかに大事であるかがわかります。それと同時に、年上の子どもたちがどのような言葉や行動をしているのかが、その下の子どもたちにとって非常に影響が大きいということも理解できます。また、スイカの種の話や、ミミズにおしっこをかけると股間が腫れるなど、多くの迷信を幼少期に耳にして、疑いながらもどこか信じていた気がします。そんな時こそ、クリティカルシンキングを発揮する機会であったのですね。きゅうりのたねはお腹でどうして芽がでないのか、ミミズはどんな生き物なのかなど、興味あることを追求できる環境を整えたいなと思いました。

  3. 園の子どもたちの話に耳を傾けるのはとても楽しいです。保育士のみなさんは、それどころではないのでしょうが(笑)。私は保育士ではないので、時折、彼らの話を聴いては、なるほど、なるほど、と思ってしまいます。私からすると、空想の世界でこの子は話しているな、と思えることがあります。おそらく私には空想と思われることであっても、その子にとっては真実なのでしょう。「私の答えを絶対に正しいと信じる」。このレベルは、確かに、子どもたちの間ではある種真実になっているかもしれません。答えを互いにたたかわせると当然平行線をたどるでしょう。ピーステーブルでの会話をきいていると、この平行線が見事に実現されています。そしてその結末は、平行線はそのままにしながら、ごめんね、いいよ、というやり取りが行われ、笑って終わります。子どもたちの世界は平和です。このレベルの大人たちがたくさんいます。だから、熾烈な争い、さらに発展して戦争になるのです。

  4. 『なぜなら自分と同じ「現実」を他者も持っていると想像するからです』と
    『レベル2では友達や親は自分とは異なる考えを持っていると解るようになります。「心の理論」を持つようになると言うのです』とありました。この間で揺れているというか、この考えに移行したような子どもの姿を先日、2歳児クラスで目にしました。二人の男の子がレール遊びをしていました。一人の子はレールを反対にしてつなげて線路を作っていました。それを見た、もう一人の子が、違うよ反対だよという感じで、そのレールを逆にしてあげようとしていました。彼なりの正義で、そうじゃないということを伝えていたと思います。ですが、お互いにそこは譲らず、このままでいいという主張と、反対だよという主張がぶつかっていました。しかし、しばらくすると、レールを反対にしても列車は走るということに気が付き、「あ、これでもいいのか」という感じで、彼の中に新たな知識が足されたような感じでした。様々な考えがあるということをこうやって遊びを通して、感じているのですね。

  5. 〝子どもは年上で権威あると思っている人をとても尊敬していて、その人の言ったことを信じてしまう〟とありました。自分は子どもからすれば権威を持った人間なのかはさておき、発する言動には気をつけなければならないということが理解できます。そのような状態である子どもをある意味利用しているのが、トップダウンでの教育ということになるのでしょうか。子どもが丸ごと信じてくれるからこそ、こちらは細心の注意を払う必要があるということ、また、影響が多大にあるからこそ、尊敬してくれていることにおごらずに謙虚にいかなければならないことを感じました。

  6. 次男に食物アレルギーの症状が見られた数年前、近くの小児アレルギー科へ診断を仰ぐと、アレルギー児との診断が下されました。その後、小児アレルギーの権威とされる先生の講演に触れ、紹介状を手に改めてその先生に診断を仰ぐと、若干のアレルギーは見られるものの、除去をする程のものではないということで、長かったような短かったような次男のアレルギー期間が終了したことを思い出します。恩人である先生の講演の中では、アレルギー科を掲げていても、過去の、まるで化石のような診断方法、診断基準を用いている医師も少なくなく、それについては保護者の正しい知識による視点もとても大切であるとのことでした。医者の言うことは全て正しい、疑うことのないようなそのような幻想の中にいては未だに次男には食べてはいけないもの、それによる多くの配慮があったのではないかと思うと、恐ろしくも思えてきます。

  7. レベル2になると、自分の見たものだけではなく、相手には異なる意見があるということを認識できるようになり、選択肢が増えていくのですね。しかし、証拠に基づいて評価することなく白か黒かどちらに決めてしまうのですね。この内容を見たときに、これは今の大人でもそういった人はいるなと思うことがあります。たとえば、正しいの発信をしても、まわりの意見から抜け出せない人、噂やゴシップなどはこの部類に入るのかもしれないなと思いました。また、そういったところに踊らされる今の時代に関しては、もしかするとクリティカルシンキングのレベルは低くなってきているのかもしれません。

  8. レベル1では、見たままを信じるというクリティカルシンキングの状況からレベル2では自分達の言ったことの一方が正しくて、もう一方が間違っていると判断する、真実を判断できるという段階になってくるのですね。このことを考えたときに、子どもが、友だちが◯◯をすると◯になるんだって。などという問いに対して、それは、◯になるんじゃなくて、◯◯みたいに見えるだけみたいだよ。と言うような会話をよくしていたなと思い出します。それは、集団のなかで、少し上の月齢の子が、これは、こうあるものだ、ということを信じ、それを大人に伝えている場面でもあったりと、レベル2の状態になると、他者とのやりとりにより、クリティカルシンキングの状態を通して学んでいることを感じます。その話を信じつつも見たことはない、レベル1の見たままを信じる、ながらも、実際には意見を選択する、レベル2、見たことを信じる経験こそが、実際には見てないことへの疑問をもつこととして、考える経験になることが分かります。

  9. いくつかの正解というか、色々な人の考え方を知るのは大切なことかもしれません。特に子どもたちが遊んでいる中で、意見の食い違いは多々あることかも思いますが、それを知ることが経験値としてプラスになるはずです。それは大人になっても一緒です。仕事をする上で、自分の考え方と相手の思っていることが違ったときに、どう思うかです。またその相手が先輩だと自分の意見を通すのはなかなか難しいですね。ある時、職場の先輩が似たような状況になった時に「まずは一回、いう通りにやってみたら?」とアドバイスをしたそうです。それは勝ち負けではなく、自分の知識を増やすためでもあるように思います。それで失敗したら、次に同じことをやらなければ良いだけです。

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