レベル3のコミュニケーションとは違う、レベル4のコミュニケーションの背後にある原理は何でしょうか?対話の仕方の違いなのでしょうか。イギリスの言語哲学者、ポール・グライスは良いコミュニケーションを特徴づける「公準(a set of maxims)」を明らかにしています。この公準に違反するとどんなにうまくいっても、気に障る関わりにしかならず、最悪の場合ただ誤解しか生まないと言います。私達はこの公準を意識しているわけではありませんが、そもそも会話している時にいつも言語の使用法について考えることはないのですが、お互いのコミュニケーションを支配している原理だとキャシーは言います。
量の公準とは、会話を行う時は情報をできるだけ提供すべきですが、必要以上に多過ぎてはいけないということです。質間にははっきり正確に答えるのがいいと言います。
質の公準とは真実を言うことです。レベル3のコミュニケーションでは噂が飛び交い、ビジネスや政治の場合、こういった噂が命とりになります。キャス・サンスティーンの著書「噂について」(未邦訳)では、倒産しそうだという噂が流れたために株が売られ、本当に倒産に追い込まれた会社の事例が挙げられているそうです。インターネット時代になり噂は爆発的に広まるようになりました。実際に、数年前のエイプリルフールの時、マンハッタンの私立学校では親のDNAサンプルの提出を義務づけるようになったという話が流れてきて、それを真に受けてしまったそうです。有名幼稚園に入学するには親がまるで大学の志願書に添付するようなエッセイを書いたり、法外な出願料を支払わなければならなかったりするという事態が本当に起きていたので、もっともらしく感じたようです。それはエイプリルフールのネタの一つだったのに噂がそこに紛れ込み、意図的な嘘だとは思わず信じてしまったのです。マンハッタンの有名幼稚園に我か子を入れるためになりふり構わない親達を追ったドキュメンタリー映画『Nursery University』で描かれた場面に、キャシーらも特別参加する羽目になったそうです。
しかしながら質の公準には限界があると言います。人々が聴く必要のある範囲内で真実を言うことは、最も大切なルールですが、多くの大人達は自分の意見をいつも言うべきだとは思っていないと言います。例えば、相手の気持ちを考えずに「あなたの髪型最悪だね」と言ってしまうような場合。このようなことをあからさまに発言すれば、自ら墓穴を掘ってしまうだけです。心の理論を持たない段階の子どもは本当のことを言うのを我慢できない。自分の発言を相手がどう感じるか認識できないからだと言います。お姉さん家族の家にガールフレンドを連れてきたA君。そこにいた五歳の子がガールフレンドに向かって「とっても大きい歯だね」と言い放ちました。それは本当のことでしたが、周りの大人達はこの話題には触れませんでした。
関連性の公準は今話しているトピックに関連する話をすることを要求しています。子どもは何から何まで話したくなるので、トピックに関連する話をするというのはチャレンジです。子どもは心に浮かんだことをとにかく話し、トピックがあるという風に考えないとキャシーは言います。