社会的存在

今やタブレットやスマホなどの優れたコンピュータ技術が、親子のコミュニケーションを劇的に変えています。近くのファストフード店に行ってみると、子どもと食事をしている親の殆どがスマホかタブレットを気にしていて、親子が会話をしていない光景を目にするでしょう。

一方でデジタル技術は一人ひとりに合うような学び方、いわば学習のカスタマイズという恩恵それぞれをもたらしました。例えば中学生や高校生は、夫々自分の強みと弱みが考慮され、個別にプログラムされたオンラインレッスンによって数学を学ぶことができます。ではこれらのデジタル機器の台頭によって他の人と共に学ぶ必要性がなくなったのでしょうか。もちろんそんなことはないとキャシーらは言います。オンラインによる学びの意義は大いにあるとしてもそれは学びの入口に過ぎないと言うのです。ただ知識を吸収するたけでなく批判的に身につけてゆくには他の人と議論することが必要です。学んだことは真実か、どの状况に適応でき、どんな限界があるのかを考え、学び続けるために他の人とリアルに関わって学ぶ社会教育メディアを作らなければならないと言うのです。私達は人々を必要とする人々なのだと言うのです。タブレットでは学べない、他の人とリアルにかかわる学びが人類にとっては大切なのです。

ドイツのマックスプランク研究所の心理学者マイケル・トマセロは、我々に最も進化的に近い祖先であるチンパンジーの研究を通じて、私達がいかに他者に依存しているかということを示しています。人間とチンパンジーは遺伝子の99%が共通しているのに、チンパンジーは学校に行ったり、年長者の徒弟となって学んだりはしません。このことから考えても人間は明らかに極めて社会的な存在なのです。

チンパンジーは非常に賢いです。例えば我々が住む地球上でモノがどのような法則で運動するかなどということに関してはよく解っています。しかし社会的スキルはどうかというと、人間の社会で職業に就けるようなレベルとは程遠いことが解っています。例えば他者と協力して食べ物を見つける時、チンパンジーはどのように振る舞うのでしょう。チンパンジーの振る舞いは人間の幼児と違うのでしょうか?

これを調べるために次のような実験を行ったそうです。逆さに伏せてある黄色いバケツを二つ並べて置いておきます。そのうちの一方にはお菓子が隠されています。実験者が被験者のヒトの二歳児あるいは大人のチンパンジーの目の前に座り、まず彼らを見て、その後食べ物の入っているバケツを指差して見つめます。幼児とチンパンジーは、お菓子がどちらかを当てるのに、実験者の送るあからさまなヒント、つまり視線と指差しを利用することができるのでしょうすか。他の人の視ているものを追うのは社会的推論の第一歩であり、コラボレーションの源です。実験に参加したチンパンジーは、猿の年齢では21歳に相当し、他のチンパンジーとの集団生活を長年経験していましたし、ずっと人間と関わってきました。実験前にはこんな簡単な課題は朝飯前にできてしまうだろうと考えられたのですが、実際はこのあからさまなヒントに気づくことはなかったのです。一方で、ヒトの2歳児はまだ他者と関わった経験がそれ程ないのに、どちらのバケツをひっくり返せばよいのかすぐ理解し、お菓子を貰うことができたのです。

社会的存在” への10件のコメント

  1. 私は、大学に入り、西洋哲学を専攻しました。哲学という学問は、驚きから始まる、とスペイン人神父であり、教授である先生から教わりました。「人間は社会的存在」あるいは「社会的動物」と記録を残したのが、アリストテレス。2400年前に唱えられました。私たちホモサピエンスはそうした昔から「社会的存在」と認識されてきたのですね。そして、19世紀、20世紀という時代に至り、個人の実存が問われ、やがて個人主義という思想が確立されます。しかし、個人だけではどうしようもない、なぜなら私たちは無人島にひとりで暮らしているわけではないから。アリストテレス先生の前にプラトン先生が存在します。そして、その先生がソクラテス先生です。ソクラテス先生は「自分が何も知らないのだということを知りなさい」と言ったそうです。つまり「オンラインによる学びの意義は大いにあるとしてもそれは学びの入口に過ぎない」ということの答えが実に2500年前から出されていた。すなわち、「無知の知」とはその先があるのだ、ということを知りなさい、というソクラテス先生からのメッセージ。今なおその新鮮さは失われていません。「私達は人々を必要とする人々」。問答し合うのです。私たちホモサピエンスとは他者と問答しながら社会を形成してきた生き物だと言えるのでしょう。

  2. 革新的な科学技術によって、人同士の関係性が見直されていることが理解できます。人との関わりがなくても生きていきやすい世の中になっていることは感じています。しかし、それによる弊害の方が大きく、1990年代に名前が生まれた「うつ病」は、まさにその弊害の1つでもあるように思います。また、人との関わりが希薄になることで、議論するとか意見をすり合わせるとか考えを調整する機会は少なくなるのは明らかです。「ただ知識を吸収するたけでなく批判的に身につけてゆくには他の人と議論することが必要」という言葉のように、何かに疑問を抱くスキル、そして、それらを自分の言葉にのせて他者が聞き取りやすいように伝え、より良い答えを見つけられるような関係性であればいいですね。ピーステーブルの価値がますます高まっていると同時に、日常の中、習慣として、子どもの対人関係における疑問をすくいあげ、それを皆にシェアするの確保が重要だと感じました。

  3. 自粛期間中、家族だけでいることは気楽だと感じる意見もあったようです。しかしながらそれもそのはず家族とは一番身近な社会であり、家族というものに気楽さを覚えるということはやはり人々を必要とする人々ということになるのでしょう。一人暮らしの気楽さということもあるかもわかりませんが、よく聞くと一人で家にいるというよりも、気軽にどこかへでかけたり、友達と遊んだり、そういうことがし易いことが一人暮らしのメリットと思うのだとすると、それはやはり人との関わりについてであり、やはり社会というものと幸せというものは結びついているということを改めて感じます。

  4. どんどんと技術は進歩し、自分は追いついていけなくっている側の人間だと思います。そして、それは仕事の面でも遅れをとることになりかねない、そのくらいにぐいぐいとそして確実に、社会の構造までも変えようとしています。ですが、〝タブレットでは学べない、他の人とリアルにかかわる学びが人類にとっては大切〟とあるように、人が人との関わりをなくしてしまうことはデメリットが大きいのではないかと思います。リアルな関わりが希薄になってくると「うつ病」や「ネット上での誹謗中傷」などいろんな歪みが生じてくるのではないかと思います。
    どんなに便利な世の中になろうと、自分たちは〝人々を必要とする人々なのだ〟ということを忘れてはいけないんだということを感じました。

  5. 今回の内容はチンパンジーと人の決定的な違いを明確にしたと共に、我々保育士という職の重要性を再確認する内容のようにも感じました。逆にいえばチンパンジーは他人の影響を受けないことからどのような環境で育ってもある程度は一人前の大人として自然界でも生きていけるのでしょう。しかし人は他人からの影響を、そしてその基礎が作られる幼少期の経験を大きくその後の人生にまで引きずってしまうことから、我々がどれだけ子どもにとっての最善を追求し続けなければならないかを教えられているような気分です。まあチンパンジーにしか解らないようなあからさまなサインがなければの話ではありますが。

  6. 「ただ知識を吸収するたけでなく批判的に身につけてゆくには他の人と議論することが必要」とありましたが、藤森先生が聞く力とは他者の考えを自分の中に増やすことだと仰っており、ようやくですが、最近なんとなく分かるようになってきました。他者の話に耳を傾けることで、自分では気づかなかった視点が増えてきているように思えます。ただ、増えた視点を統合させ、どう答えを導くのかという課題が自分の中にできたため、改めて、見守る保育の考え方の軸をしっかりと持ち続けなくてはいけないと思っています。
    子どもは生まれてくる前から人と関わる力、コラボする力を持って生まれてきているのですよね。このコロナで真逆の方に向かっている今だからこそ、あえて集団の大切さ、人と関わる大切さを保護者の方や社会に訴えていかなければならないなと思います。

  7. 「学んだことは真実か、どの状况に適応でき、どんな限界があるのかを考え、学び続けるために他の人とリアルに関わって学ぶ社会教育メディアを作らなければならないと言うのです」ということからは学びの意味を教えられたように思います。私たちは藤森メソッドという共通の保育があることで、多くの園の方々と同じ話題で課題で話をすることができます。そして、それを実現するためにどういう方法があるか互いに発見し合うことができます。このような場が本来の学びになっているということを感じます。「他の人の視ているものを追うのは社会的推論の第一歩であり、コラボレーションの源です」このあたりの話もおもしろいです。乳児の子たちを見ていると、我が娘もそうですが、ある程度のことはこちらの視線で分かるように思います。こちらが何を思っているかということを理解する力がすでにありますね。

  8. チンパンジーと人間では99%まで遺伝子が共通しているということを考えてみると、違う1%の部分に社会的な要素が入っているのですね。このように社会的な相互作用が求められる中、デジタルメディアというのはどういった役割を担ってくるのでしょうか。確かに最近ではスマホやタブレットの普及により、人との会話よりもそういったデジタルメディアを見る時間の方が多いかもしれません。特に日本はそういった傾向がおおいになるということを聞くことがあります。「ただ知識を吸収するだけではなく批判的に身につけてゆくには他の人と議論することが必要です」とあります。未だに、私はいろいろな人と議論をしてときに間違った話をしたり、それを反省したり、うまく伝えれたりしています。そして、それは相手に伝えるだけではなく、自分を知ることでもあるなと最近特に思います。これはタブレットやスマホではわかりません。何かを学ぶよりも、人との関わりや社会を作っていく方が難しいのです。しかし、だからこそ、人間なのですね。

  9. 人間は人という存在が必要であり、集団のなかで生活しようとします。そして、集団だからこそ、人らしさ、社会性だったりが見えるものだと思います。
    人の脳にあるミラーニューロンのように子どもは、他者を見て真似をする、模倣することをします。
    模倣することで様々な経験をすることができる、そして、自分の発達に必要なスキルを身につけるための手段を見ることができます。そうした学びには、
    “タブレットでは学べない、他の人とリアルにかかわる学びが人類にとっては大切”であることがわかります。社会の中で人同士が関わりを持つ生活には、人のらしさを育てること要因があることがわかります。

  10. チンパンジーの実験結果を見る限り、我々、人類がいかに人に依存して生きているかが理解できます。依存というと少しマイナスな言葉かもしれませんが、それだけ人類は弱い存在だからこそ一人では生きていくことが難しいという事を示唆しているのだと私は思います。チンパンジーと人間は99%遺伝子が共通しているのに、たった1%の違いがこんなにも大きな差の1%であると聞いて、いかに人類の1%を残していけるような生き方をしていく必要があると思いました。

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