意味ある学び

ピジネス、科学、芸術、運輸、どの分野においても、あっという間に学び方や情報処理の仕方が変わり、地理的境界を簡単に超えて物・人・情報が行き来するようになりました。この時ピジネスリーダーと発達心学者は、これからの子どもや従業員に必要だと考える資質について同じ見解を持っていましたし、それを評価する共通の基準を探し求めていました。しかし学校システムだけが、過去の制度にとらわれているようにキャシーには思われたそうです。

2009年には「21世紀スキル育成のための協同事業」は、「21世紀の学びの枠組み」を発刊し、書籍だけでなく、全米共通学力基準に対応した教材、教員研修用マニュアルを提供しました。ピジネス界での調査に基づき、これまでも学力の基礎とされた読み(Reading)、書き( wRiting)、算数(aRismetic)という「三つのR」とクリティカルシンキング(Critical Thinking)、コミュニケーション(Communication)、コラボレーション(collaboration)、クリエイテイピティ( Creativity)という「四つのC」を教育することを目指しました。発表された枠組みでは、情報・メディアリテラシーのスキルと共に、生活や職場で必要とするスキルを付け加え、個人で学びを進めるという従来の考えを後退させたところに大きな意味があったと言います。しかしアメリカの教育は、このアイデアを出しただけでストップし、先に進んでいないとキャシーは嘆いています。

2009年にキャシーらは、「幼稚園でプレイフルラーニングを必修にしよう!」(未邦訳)という本を出版しました。この本では、子ども達がお互いに活発に関わり合い、意味のある学びこそ、遊びであると主張しています。この主張は面白いですね。普通ですと、「遊びこそ学びである」と言いそうなのに、「意味のある学びこそが遊びである」というのには、どのような意図があるのでしょうか?最近の親は、学びをさせたいと思っているので、それを先に持ってきたのかもしれません。

こんな例をキャシーらは出しています。子ども達はボードゲームでコマを進める数を数えながら算数を学び、アーサー王と勇敢な騎士達のお話を通して物語を理解します。学習科学の知見を子育てに活かすことを目指し、研究室で構想された「五つのC」とキャシーらが呼んだスキルを、家庭の中でどう使うか明らかにしたのです。「五つのC」とは、コラボレーション:子ども達が一緒に作業することを学び、他者の視点を取り入れて考えられるようになる、コミュニケーション:話したり、聴いたりすること、コンテンツ:読みき算数、歴史、科学、芸術、クリティカルシンキング、クリエイテイプイノベーションで、こうしたスキルの殆どが砂場の遊びによって育ていくと彼女らは言うのです。

2009年の年末に、キャシーらが「ニューヨークタイムズ」のコラムを書くときには、リスクがあっても挑戦しようとするコンフィデンスを加えて6Csへと変化したのです。これで学びの発達に必要な要素はすべて出そろったと言います。六つに絞り込むまで、カルチャー(Culture)、キャラクター(Character)、カリスマ性(Charisma)、明晰さ(Clarity) を含め、約40種類の「C」について、検討したそうです。

意味ある学び” への10件のコメント

  1. 6Csの誕生までの過程を知ることができました。3つのR、4つのC、5つのC、そして40種ものCから厳選されたのが、6Csであったのですね。また、キャシー氏の「こうしたスキルの殆どが砂場の遊びによって育ていく」という言葉のように、ある1つの遊びが複数のスキルを身に着けさせ、価値ある意味ある学びであると認識することは大切ですね。そして、同じように「子ども達はボードゲームでコマを進める数を数えながら算数を学び、アーサー王と勇敢な騎士達のお話を通して物語を理解します」というように、ボードゲームや物語、絵本など、何気なくそこに存在している環境がいったいどんなスキルにつながっているのかを知ることは非常に面白いです。

  2. 私たちのたいていは、「学び」と言われるとまずは学校で習う「国語算数理解社会等々」をイメージするのではないでしょうか。まぁ、臥竜塾ブログの読者の皆さんは最早そのレベルではありませんが、一般社会では依然その傾向が強いように思われます。特に学校に子どもを通わせている親御さんには単純にそう思う方々が多くいらっしゃるような気がします。ところで、学校現場の先生たちはどうなのでしょう?とおよその分野を云々する前に、自分たちが関わる就学前施設の有り様を振り返る必要があるでしょう。キャシー氏らが唱える「子ども達がお互いに活発に関わり合い、意味のある学びこそ、遊びであると主張」。このことをちゃんと理解できているでしょうか?私が勤めている園の子どもたちの様子を観ることが時々あります。ある時、オセロやろう、と私が誘われ、やってみました。その子の、何と強いこと!それから、将棋もやっているし、チェスもやっているとか。絵本を読んだり、ボードゲームに真剣に取り組んだり、精緻な塗り絵、立体物の製作などなど、本当に驚かされる園児たちの現実を目の当たりにすることができます。しかも、最近では、科学実験的なことにも取り組んでいます。これらを学びと言わず、何を学びというのでしょう。「遊びが大切ですよ」と軽々しく言えないことに気づきました。

  3. 「四つのC」、興味深いのですが、どれも個人で突き詰めるものでなく、2人以上の集団の中で高め合っていくような類のあるものであることがわかります。チーム保育の実践とは全くこれを指すように思えてくるのですが、個人の関わり方のスキルがいかに高くても、チームとしてのまとまりが崩れてしまえば、それは単独行動と捉えられてしまいかねません。そもそも個人の関わり方のスキル、と表現してしまい、例えばスキルというものがあるとしてそれの高い、低いとは一体何を指すのか、それ自体に疑問の湧くところでもあるのですが、子どもにとって保育者とは人的環境であり、それ以上でも以下でもないでしょう。チームもまたそうであり、チーム間の良好な関係が子どもに好影響を与えるのは、家族間においての両親の関係性から見たとしても、それは明らかです。チームが良好な関係を保てるよう、持ち得る「四つのC」を最大限に用いながら、また、互いに学び合い、高め合いながら、そんな日常が日常としてあるからこそ、保育の質も自然高まるのではないか、そんなことを感じます。

  4. 学校での「学び」というのがコロナの影響で問われているのではないかと思います。「学び」とは単純に授業のことだけを指すものであるのなら、何のために学校に行くのか、という問いの説明がつかない時代がすでにやってきています。学校にいかなければ身につかないものを身につけるために学校に行く、その力は6Csやソフトスキルなのではないかと思います。〝意味のある遊びこそ学びである〟という言葉がやはり印象的ですが、学校に行き、学校での生活全てで学んでいるということを考えると、休み時間や給食待ちのちょっとした時間、掃除時間などいろんな場面に意味があることを感じました。

  5. 果たして意味のない遊びとは存在するのであろうかと考えてしまいました。いっけん意味のないように見えても、後からこじつけられてしまうのが面白くも難しいところで、例えばおもちゃを投げることを楽しんでいるこは投げる力を鍛えているともいえますし、ブロックを散らばせていればその色彩を楽しんでるともいえます。ただ投げるのであれば外でボールを投げればいいし、色彩を楽しむのであれば四季折々の自然や美しい絵画をみることで代替は効きますから、意味のない遊びというのはつまりその場所で行うには非効率な遊びとも言い換えられるのかもしれませんね。

  6. コロナ禍で通学もできず、「国語算数理科社会」のカリキュラムができないと困るようなことを小学校の先生が言っていたり、授業を受けられないことが不安で教育格差が生まれることを不安に思う保護者の方もいるということ知りました。
    そこで、ふと「保育園におけるカリキュラムってなんだろう?」と考えた時に、遊び、食事、生活がその全てが小学校と同等な大切なカリキュラムであるにも関わらず、休園し、そのカリキュラム(保育)を受けられないことの問題点を指摘する人はいません。遊びは学びということは、世間的にも広がってきてきますが、実際の保育園における教育という認識はその程度であり、やはり、保育者自身が、教育的価値を発信していく必要がまだまだあるのかなと感じています。

  7. 「意味のある学びこそが遊びである」確かに意味を考えてみると、しばらく考え込んでしまいます。遊びがいかに重要であるかということを印象つけるような言い方でもあるように感じます。遊びは学びではなく、意味のある学びが遊びであるという。同じような意味でもあるのかなと思う反面、何だかいいコピーのようなものでもある印象を受けます。子どもたちが主体的に生活している姿からこの6cを見ることができます。また、さらに遊び込んでいるからこそ、6cが見られるように思います。しかし、何もない環境ではやはりそれらは起こりにくということも感じます。やはり子どもが遊び込めるようなきっかけとなる環境、藤森メソッドにおけるゾーン環境が重要になってくるということも感じました。

  8. ビジネスリーダーや発達心理学者が、これからの子どもや従業員に必要だと考える資質について同じ見解を持っていた上に、それを評価する基準を探し求めていた中で、学校システムだけが、過去の制度に囚われているとありました。このことを見ると「あ~アメリカでも同じことが起きているのだな」と感じざるを得ません。なかなか、こういったことが理解がされていても、いざ実現化されるかというと流れが急に止まってしまうように思います。その時に多くは「理想論だ」とか「言いたいことはわかるけど」といった話になり、一向に一歩が踏み出されないことも多くあります。特に足並みをそろえようとする日本はよりその傾向が強いかもしれません。「意味ある学びこそ遊びである」このことをもっとよく理解する必要があると思いました。まだまだ安易に自分自身も「遊びは学び」と言っていますが、そこをもっと掘り下げて具体的に考えることをしていかなければいけないのだなと感じます。

  9. 学ぶイコール学習という概念がいつの間にか固定化され、学ぶの意味が理解されないまま、乳幼児期まで下ろされ、小さい頃から勉強、椅子に座っての学習が必要と解釈され、早期教育の必要性が現れてしまったように感じます。本来であれば、遊びを通した学びこそが、子どもたちにとって必要なものであり、”意味のある学びこそが遊びである”と書かれているように遊び方にしっかりとしたものが必要であり、それは、様々な素材や自然物、学習科学など、子どもたちが楽しく喜び合い、味わうような遊びである、そのための集団が重要な役割を成しているように思います。意味のある遊びに、ゾーン体験できる環境がつながります。

  10. 「意味のある学びこそが遊びである」まだまだ「遊び」に対して偏見を持っている人が多いような気がします。入園前見学でも「文字や数など教えないのですか?」と聞かれることがありますが、やはり教育というと文字や数、英語などを指導することが教育であり、学びと思っている親が多いです。いかに乳幼児期での遊びが重要であるのか?しっかりと伝える必要もあると思います。しかし、その前提として保育者自身も遊びにどういう意味があるのか?を理解することも大切ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です