子どもをよく見ている親は、生活の中のあらゆる場面で子どもが自分の感情をもっと上手に表現できるようにさりげなく導き、支援します。レベル1の段階では、親が殆ど子どもをリードします。このため子どもは親がどんな役割を演じているのか認識さえしていません。しかし、この入門段階があって初めて子どもが徐々に高いレベルに進んでいけるのだとキャシーらは言います。最初は子どもが他者とどうコラボレーションし、社会的コントロールするかを親がセットしてあげます。そこから少しずつ介入の度合いを弱めていって、子ども自身が自分で判断できるように仕向けていくのです。
アンディ・メルツォフの研究室でとても興味深いことが発見されました。生後14か月の赤ちゃんがこれまで会ったことのない男がすることを間近で見ていました。その男は口の狭い花瓶にビーズの紐を入れようとしていましたが何度も失敗していました。結局男はあきらめ、ビーズを赤ちゃんの方へ押しやりました。すると赤ちゃんはそのビーズの紐を拾い花瓶の中にストンと入れてしまったそうです。赤ちゃんは男が何をしようとしていたのかその意図を理解し、男ができなかったことを実行したのです。この手の「心を読む能力」が将来、他者とコラボレーションし、他者の感情を理解する基盤となるのです。
赤ちゃんは周囲の人々の意図や気持ちを読みとる力があるのですが、他者とコラボレーションして目標を達成することはまだできません。どうしても「あれが欲しい」に目標が限定されてしまい、長期間にわたる目標は立てられません。赤ちゃんは誰かと一緒に旅行の計画は立てられませんし、遊び仲間として誰を選ぶかみんなで決めることもできません。赤ちゃんは私達大人が当たり前に持っているコミュニケーション装置をまだ持っていないのだとキャシーらは言います。
ただ非常に悲しいのは、どの国においても殆どの学校の教室ではレベル1のまま、その先に進んでいかないことだと言います。もちろん全てではないけれど。子ども達は自分の席にじっと座らされ、話すこともなく、他者と作業することもなく、何のコラボレーションも起きません。
実は大人社会も同じで、多くの人々がレベル1のまま働き、暮らしているのだとキャシーらは言います。「サイロシンドローム」と呼ばれる状態です。同じ会社であるにもかかわらず、各部門が夫々に自分達のカルチャーを発展させ、お互いに交流しません。これはまさにレベル1の状態だというのです。サイロシンドロームの自然のなりゆきとして、とにかく自分の陣地を固く守って外とコラボレートしようとしません。私が、教員をしていた時、それを痛いほど感じました。特に教師は、自分のクラスはある意味で自分のお城なのです。自分は、城主です。もちろん、全てではありませんが、そのような傾向は強かったです。今は、保育の世界でも同じようなことを感じることがあります。みんなで保育を良くしようというよりも、自分は他の保育には口を出さない代わりに、自分も他の人にとやかく言われたくない、と思う園長もいるような気がします。もしサイロシンドロームになってしまったら、イノベーションは期待できなくなるし、結局、誰も大きなビジョンを描けなくなるとキャシーらは言うのです。