ネグレクトの影響

平成24年度の厚生労働省の統計によると、平成24年度の虐待件数は平成11年度の5.7倍で、増加の一途をたどっているそうです。森口氏も、これは、わが国でも深刻な問題と言えると言っています。

子どもが直接的に暴力を受けなくても、たとえば父親が母親に暴力を振るうのを見るだけでも、子どもには大きなストレスがかかってしまうのです。夫婦間の暴力はもちろん、口論すら子どもにストレスを与える可能性があるのです。オレゴン大学のグラハム博士らの研究では、1歳以下の赤ちゃんが睡眠中に両親が口論すると、赤ちゃんの脳がストレスを受けることが示されているそうです。それ以外にも、家族にアルコール依存者や薬物依存者がいること、精神疾患を持つ人がいること、服役中の人がいることなども子どもに大きなストレスを与えることがわかっています。このような家庭でのストレス経験のなかでも、子どもの実行機能にもっとも深刻な影響があるのが、育児放棄であるネグレクトだそうです。

ネグレクトとは、子どもや障害者などが、その保護や養育を放棄されることを指します。具体的には、食事を作ってもらえなかったり、親に無視されたりするなどの経験が含まれます。平成26年度厚生労働省の統計では、ネグレクトは児童虐待のなかでも、心理的虐待、身体的虐待についで第3位で、虐待の3割弱を占めているそうです。

ネグレクトを受けて育った子どもは、思考の実行機能の発達が非常に遅れるという研究が報告されているそうです。ミネソタ大学のエグランド博士らの研究では、児童虐待を受けていない子どものグループ、身体的虐待を受けている子どものグループ、心理的虐待を受けている子どものグループ、ネグレクトを受けている子どものグループを比較したそうです。その結果、ネグレクトを受けている子どものグループは、身体的な虐待を受けているグループや心理的な虐待を受けているグループよりも、頭の切り替えの発達が遅くなることが示されたそうです。

直感的には、身体的な虐待や心理的な虐待のほうが子どもにとってストレスになりそうな気がします。なぜ、ネグレクトのほうが深刻な影響を受けるのでしょうか。そのことを考えるうえで、ネグレクトが増加する状況を国家的に作ってしまったルーマニアの例を森口氏は考察しています。

ルーマニアという東欧の国で、独裁者として君臨したチャウシェスクという人物がいます。この人物は、ルーマニアの人口を増やすために、人工中絶を禁止したり、多産を極端に奨励したりするような政策を実施しました。当時のルーマニアは、非常に厳しい財政状況にあったということもあり、食料不足などが生じ、家庭では育てられなくなった多くの子どもたちが、養護施設に預けられました。政権が崩壊したときには10万人以上の孤児がいたということです。多くの孤児がいるので、養護施設の職員にきめ細やかなケアができるはずもありません。必然的に、ネグレクトに近いような状況が生まれてしまいます。

メリーランド大学のフォックス博士の研究グループが、この施設で育った子どもたちの発達過程を検討するために、大規模な調査を行っているそうです。まず、この施設で育った子どもを、二つのグループに無作為に分けました。一つは、以前と同じように施設で育つ子どものグループ。もう一つは、里親を探して、その里親の下で育つグループです。さらに、施設とは関係ない、生まれたときから家庭で育ったグループを加えて、三つのグループの発達を比較したそうです。