成績格差

富裕層の子どもと貧困層の子どもの成績格差をどうやって埋めるのか、そもそもこうしたギャップは埋まるものなのかという議論をしているのは、なにも政治家や慈善家だけではないのです。国じゅうの教師が逆境にある子どもたちの苦闘を日々まのあたりにしているし、ソーシャルワーカーやメンター、小児科医など子どもの支援に携わる人々、それに親たちも同様であるというのです。貧困や虐待などの逆境のなかで育った子どもに対していくら支援の手を差し伸べても、その子どもの不安を和らげたり、やる気を起こさせたり、気持ちを通わせたりすることはむずかしいといいます。ごく一部の生徒との関係では、こうした障壁を乗りこえることのできた教師は大勢います。しかしタフ氏はここ何年かのあいだに、生徒相手の仕事によるストレスで燃え尽き、自暴自棄になりかけた教師も何百人も見てきたというのです。

彼は、こうした教育上の格差を乗りこえようとすれば、多くの障害、それは経済的、政治的、お役所仕事的な障害に直面することになるというのです。私たちは、子どもの逆境の背後にあるメカニズムをまだ完全には理解できていないと言います。貧困家庭に育つことの何が問題なのか?何が多くの厄介な結果を生んでいるのでしょうか?いい換えれば、豊かさのなかで育った子どもにあって、貧しさのなかで育った子どもにないものはなんなのでしょうか?

これはタフ氏が10年以上にわたって答えを出そうとしている問だと言います。彼の最初の著書『どんな犠牲を払おうと』では、劣悪な「環境」に置かれた子どもたちを支援するニューヨークのNPOであるハーレム・チルドレンズ・ゾーンの創設者、ジェフリー・カナダの活動に焦点を合わせ、居住地域が子どもたちの将来にどんな影響を与えるか、貧困の過酷な地域に暮らした経験がいかに子どもたちの可能性を制限するかを検討したのです。私がブログで紹介した、彼の2番めの著書『成功する子失敗する子』(英治出版)では、恵まれない子どもたちが抱える課題をベつの「レンズ」、つまり、彼らが子ども時代に身につけた、あるいは身につけなかったスキルと能力を通して再検討しました。

『成功する子失敗する子』でとくに焦点を合わせたのは、「非認知スキル」あるいは「ソフトスキル」と呼ばれることの多い一群の要素、粘り強さ、誠実さ、自制心、楽観主義などが、貧しい子どもたちが困難を乗り越えて成功するために、どのような役割を果たしているか、ということでした。「性格の強み」とも呼ばれるこうした気質は、近年、子どもの発達を研究する人々のあいだで注目され、前向きな取り組みを促進してきています。低所得層の子どもたちの成果を改善するためには、こうした気質が決定的に重要になると、いまやタフ氏自身を含め、多くの人々が信じていると言われています。

この確信を支える科学的根拠であるエピデンスは、神経科学や小児科学の分野にも見られるようです。過酷な、あるいは不安定な環境が、成長過程にある幼少期の子どもたちの脳や体に生物学的な変化をもたらすことが、最新の調査で示されているそうです。そうした変化は、思考や感情を制御する能力の発達を損なうと言われています。これが損なわれると、情報を処理したり感情を制御したりすることが困難になり、学校生活をうまくこなすことがむずかしくなるというのです。

成績格差” への9件のコメント

  1. 性格の強みという気質は、この後の人生を左右する重大な気質でありながら、人は自分がされてきた教育に固執し、それを信じ続けている傾向が非常に多いと感じます。その子の強みはなんだろう、その子が他に貢献できる分野はどこにあるだろう、他と違う視点を認め、その能力を活かせる環境とはなんだろう、などと話せているうちは、私たちは裕福で豊かな国にいるといった指標になるでしょうか。格差をなくそうとする行動が実を結ぶかは明確でないこの世の中においては、今はそこに向かおうとする人の心意気に価値を置くしかないのかもしれないとも感じました。

  2. タフ氏の問題意識には共感できるものがあります。貧しい家庭環境及び地域環境にある子どもは、その環境ゆえに、でしょうか、なかなかその貧しさから脱出できないかのようです。この貧困からの脱出は、抽象的に捉えられない、むしろ個々のケースによってどうその脱出を支援していくか、ということでしょう。家庭や地域が貧困及びその影響下にあるのであれば、せめて、保育園等の就学前施設が公的に運営され、家庭や地域においては実現できない子どもの欲求需要に応えていかなければ、と思うのです。つまり、貧しい家庭の子どもであっても、園においては裕福な子と一緒に遊べたり、遊具や玩具、教具に思う存分触れられ、そしておなかいっぱい食事が頂ける、ということです。21世紀はホモサピエンスの生存が可否が問われる世紀になりそうです。生き延びられるようになるためには、格差によって社会が大きく分断されてはならないと思うのです。国が様々な施策を講ずるでしょう。しかし、やはり、地域において、私たち一人ひとりが問題にどう関わるのか、その辺が大事だと思います。

  3. 格差をなくそうとする試みが数多くなされていますが、今までは単に「それが良いことだから」という理解でしたが、最近の内容によりその理由が鮮明に理解できています。なぜ、貧困層に支援が必要なのか、そして、そうした人たちを支援することは、いずれ自分たちに返ってくるということなんですね。そして、これまではその対応策は日本ではあまりうまくいってないようですね。そうした上で今後はどうするのか、検討が必要であろうと思います。諦めてしまうとこれまでの対応が、どれも無意味なものとなってしまうという状況はあまり得策ではないなと思います。

  4. 格差により子供に害があるならば格差をなくしてしまえばいいと社会主義にすれば競争がなくなり廃れ、かといってこのままの社会ではさらに貧富の差が生まれ格差が広がる。何事もバランスが大事とは言いますが、理性と共に欲をあわせ持って生きている人間が決まりを作っているとなると果たして理想に近づくことはできるのかと不安になりますね。

  5. 優れた教育プログラムにして、それに子どもを参加させるに保護者はどれ程までにそれを理解しているのだろうかとふと疑問に思ってしまいました。以前、消費者感覚という感覚が教育においてかなりの弊害をもたらしていることを知りましたが、保護者の理解があって、ある部分では二人三脚で進めていくことも少なくない保育という仕事は、保護者からの意見に時にその速度を落とさざるを得ない時があるように思えます。貧しさが人の心を貧しくすることはイコールではないと信じていますが、金持ち喧嘩せずのような、ある意味での精神鍛錬が行われていなければ、どのように優れたプログラムもなし崩しにされてしまいかねないこでは、と考えてしまいました。

  6. 非認知スキルというのは子どもたちの成長において必要な力というだけではなく、様々な格差を解消するためにも必要な能力なのですね。当たり前のことといえば、当たり前のことなのですが、改めてその必要性を感じました。11月25日の日経に「人間関係築く教育を」という記事が載っていました。またに、社会性の獲得が困難になっているという記事なのですが、昨今では成績のことよりもこういった社会性における問題が新聞でも多数紹介されるようになってきているように思います。もちろん、学校の成績や学歴というものが重要なものとしてあるのでしょうが、やはりそれ以上に教育の必要性はそういったところではなく、「社会」というものがもっと意識されていかなければいけないものなのだと思います。そして、非認知スキルというものほど、座学でどうにかなるものでもないようにも思います。根本的な教育のあり方を見直す時代がきているように感じます。

  7. 「貧困家庭に育つことの何が問題なのか?何が多くの厄介な結果を生んでいるのでしょうか?いい換えれば、豊かさのなかで育った子どもにあって、貧しさのなかで育った子どもにないものはなんなのでしょうか?」この部分ですね。何が問題なのか、なぜ、貧困だとそのような状態になってしまうのかということが明確ではありませんね。貧困=としてしまうのではなく、さらに細かい部分まで知ることが大切なのかもしれません。イメージではありますが、やはり、安定していないということが与える自信のなさのようなものがあるのでしょうか。貧困からくる、後ろめたさや、何とも言えない感情が、もしかすると、子どもたちの意欲であったり、困難に向かっていく気持ちを持つ以前のベースを作らせていないのかもしれないなと思いました。情緒の安定がなければ、というのは保育の世界でもありますが、まさにその情緒が安定していないということが言えるのかもしれません。

  8. 成績格差というか、子ども達が教育を受ける環境では家庭によって格差があると思います。乳幼児期はそこまで無いと思いますが、小学校や中学校になると塾に通う子どもがいると思いますし、その塾も高額な塾もあると思います。それに通わすことができる家庭とできない家庭があるのは、やはり所得によって大きな差があるからだと思います。ただブログに書かれてある「非認知能力」「ソフトスキル」というのは塾では学ぶことができない分野だと思います。「性格の強み」これこそがすべての子ども達に身につけて欲しいスキルではないでしょうか。1日の大半を園で過ごしている子ども達はやはり園から受ける影響は大きいと思います。もちろん家庭環境も大切ですが、まずは我々の現場から成績格差を埋める為の意識改革をしないといけませんね。

  9. 豊かさのなかで育った子どもにあって、貧しさのなかで育った子どもにないものは何か。藤森先生の講演を何度も聞いていると、その答えはざっくりと「非認知能力」と言われるものだろうと思います。これは環境が大きく関係しているのだろうなというのが、何と無くの予想です。そのような環境を貧富の格差に関係なく、平等に提供できれば少し変わるような気がします。

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