どのような方法?

エリザベス・スピーゲルが教えるところを観察していたとき、彼女が「グリット」や「気質」や「自制心」といった言葉を使うのを耳にしたことはいちどもなかったそうです。スピーゲルは生徒にチェスの話しかしませんでした。激励したり、モチベーションを高めるようなスピーチをしたりすることもほとんどありませんでした。ではどういった方法で教えたのかといえば、生徒たちの試合を彼らと一緒に熱心に分析し、彼らがおかしたミスについて詳細まで率直に話して、どうしたらよかったかを理解させるのだったそうです。生徒たちのプレーを注意深く、細かいところまで見つめることで、彼らのチェスの能力だけでなく、生活全般への取り組み方まで変えたのでした。

タフ氏は、他にもラニータ・リードの例を紹介しています。リードは、彼が会ったなかで最も上手に気質を育てることのできる教育者のひとりだったそうですが、気質の話などほとんどしませんでしたし、そもそも教師ですらありませんでした。彼女はシカゴのサウスサイドでギフティド・ハンズという名のサロンを経営する美容師で、VAPという青少年支援プログラムのためにパートタイマーでメンターとして働いています。VAPは、シカゴの学校教育部門から委託されて、銃撃事件を起こす、または事件の被害者となる危険が最も高いとされる生徒たちに、集中的な支援活動をおこなっています。タフ氏が出会ったとき、リードはキーサ・ジョーンズという名の17歳の少女を担当していました。キーサは困難と苦痛に満ちた子ども時代を送り、殴り合いのけんかをすることで不満や怒りを表明していたのです。毎朝のように、高校でその日最初に会った相手をつかまえては、おかしな眼でこっちを見るなと突っかかっていました。

数カ月のあいだ、リードは多くの時間を割いてキーサと話をしました。サロンで、ファストフード店で、ボウリング場で。キーサの抱えるトラブルについて聞き、姉のようにアドバイスを与えました。リードはすばらしいメンターでした。共感し、親身にはなりますが、お人よしなわけではありません。虐待されてきたキーサに同情を寄せ、親密な関係を築きながら、同時に、人生を変えるには多大な努力が必要だとわからせたのです。リードの支援のおかげで、キーサはまさに気質を重視する教育者が望むとおりの変容をとげました。より粘り強く、打たれ強くなり、楽観的になり、自制できるようになったのです。長期的な幸福を得るために、短期的な楽しみを控えることも進んでするようになっていったのです。しかしキーサも、非認知スキルや性格の強みについてはっきりした説明を受けたわけではなかったのです。

タフ氏は、前作を書いているあいだずっとこの現象を観察していたそうですが、子どもたちの非認知能力を伸ばそうとする際、ふつうにものを教えるときの方法論を使うのはまちがっているのかもしれない、と思いはじめたのは本が出版されたあとだったそうです。数学を教えるのとおなじ方法で気質を教えることはできないとかんがえたのです。二次方程式について話さずに二次方程式を教えることができないのは自明の理ですが、タフ氏が挙げた事例を読んでみると、自制心の利点についてひとことも話さなくても生徒の自制心を育てられることがはっきりわかるはずだと言うのです。また、数学や歴史を教えるときにうまくいく指導法が、性格の強みを伸ばそうとするときには役に立たないことも明らかだと言います。好奇心のワークシートを埋めることで好奇心を身につける子どもはいません。粘り強さについての講義を聞くことが、何かをやり通そうとするときにおおいに役立つわけでもないのです。

どのような方法?” への8件のコメント

  1. スピーゲル氏の、子どもとチェスの話しかしないのに、子どもたちに非認知能力を育ませたことや、タフ氏の「自制心の利点についてひとことも話さなくても生徒の自制心を育てられる」といった見方に共通する点として浮かび上がってくるのは、「子どもが興味あることをできているか」「好きなものを通して育ませたい能力を育ませているか」という視点でした。スピーゲル氏のもとには、もともとチェスに興味ある子が集まっているという前提があり、タフ氏も「好奇心のワークシートを埋めることで好奇心を身につける子どもはいません」というように、能力がひとつの方向からしか培うこうが不可能であるとは決して思っていない、まずは好奇心があるものに目を向けるべきだと言っているように感じました。

  2. 今回のブログを読みながら、人の心がわかるようになりたいから、大学で心理学を専攻したい、という若者の話を思い出しました。また、自己啓発セミナーに通って、自己啓発に関するさまざまな知識を仕入れ、自分を変えていきたい、という人のことも思い出しました。しかし、今回紹介されているケースは「激励したり、モチベーションを高めるようなスピーチをしたりすることもほとんど」なく「生活全般への取り組み方まで変えた」、あるいは「リードは多くの時間を割いてキーサと話をしました」そして「より粘り強く、打たれ強くなり、楽観的になり、自制できるようになった」というものです。「自制心の利点についてひとことも話さなくても生徒の自制心を育てられることがはっきりわかるはず」。保育教育の世界に通じることだなと率直に思いました。そしてマネジメントにも。

  3. 今回の内容を読んでいて、非認知能力は間接的に伸ばしていくものである能力なのではないかと思いました。非認知能力を直接的に伸ばすのではなく、何か違うことをすることで、結果、非認知能力も付随して高まっていくようなものなんだと理解しました。そこには、やはり興味関心だとか好きなものだとかいうものが必要不可欠であるのでしょう。決して他人から言われてするものではなく、自分から主体的に行うことにより高まる能力。方法や進め方なんかも自分で考え、試行錯誤していくことで非認知能力も付随して高まるものなんですね。そこには「楽しい」という気持ちもついてくるのではないかと思いました。

  4. わたしはチェスについては詳しくわかりませんが、似たゲームである将棋なら少しばかり心得があります。そこで将棋で考えてみたのですが、面白いことに将棋というのは粘り強さであったり我慢強さといったような非認知能力を使う場面に溢れていると感じました。序盤相手の動きを見ながら自分の得意な陣形を組み攻撃を予測する点、相手からの攻めをかわしながら諦めず反撃の機会を伺う点、更には負けてもなぜ負けたかを考えて改善する点など社会で生き抜くのに必要な力で溢れていました。さらに言えばこれは将棋やチェスだけではなく様々なスポーツやゲームでも言えることでした。そういった点からも遊びというのは子供がいきる上でこの上なく必要なことなのですね。

  5. スピーゲル氏の話においても、リード氏においての話においても、どちらにも言えることが子どもたちに対して行うのは寄り添い、共感するということに尽きるのですね。なによりも重視しているのが、その子ども自身が自分で考え、のりこえていくために、大人が動くのではなく、その子ども自身が動くことができるような関わりを持たせるということなのですね。「自制心の利点についてひとことも話さなくても生徒の自制心を育てられることがはっきりわかるはずだ」とあります。大人が子どもに対して「良かれ」と思うことは子どもたちの気質を育てることにはつながらないということがよくわかります。先日、ある経済サイトで「子どもの問題は大人が作り出している」という記事を見ました。まさにその通りなのかもしれません。「子どもの存在を丸ごと信じただろうか」ということが根底になければこういった対応はとれないのかもしれません。

  6. 教えないで教える、この矛盾を成立させることは保育者の大きな仕事の一つと思えてきます。先日ある子が、ラグビーの知識を総動員して、ある先生にどれだけ自分がラグビーのことが好きかを熱弁していました。話の終わりにその先生が一言、ラグビーのカッコよさは選手の方々の真摯さにある、誰も見ていないところで卑怯なことをしたりしない、その姿が僕はカッコいいと思うよ、と話していました。その子にどれだけその意味が伝わったかはわかりませんが、教えないで教えるというのはこういうことかととても勉強になりました。

  7. 「生徒たちのプレーを注意深く、細かいところまで見つめることで、彼らのチェスの能力だけでなく、生活全般への取り組み方まで変えたのでした」とありました。何か一つのことを突き詰める人たちに対して、いつも同じことばかりしていてよくないという見方があるのかもしれません。しかし、一つのことを深めるからこそ、そこからあらゆる気づきを得て、学んでいくように思います。イチロー氏や、羽生氏などなど、野球、将棋を深める中で困難に立ち向かう力や、自制心など多くのことを学ばれたのではないでしょうか。何か一つの能力を取り出して考えるのではなく、あらゆる能力が関連して人を作り上げているというような印象を受けます。こうすればこうなるというような単純な話ではないですね。

  8. スピーゲル氏の子どもへの関わり方は保育者として勉強になります。指導者という立場は叱咤激励して選手のモチベーションを上げさせるのが定番かもしれません(笑)しかし、生徒と一緒になって試合を分析し、チェスだけでなく生活全般も変えたというのは、まさに子どもへの共感だと思います。ここまでくると方法論というのはなく、その子どもに合わせた関わり方が大切ですね。藤森先生が説いた見守る保育の三省がふと頭に思い浮かびました。

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