取捨選択

思春期の子どもたちはもちろん親の考え方をすべて拒否するわけではありません。マリファナ常用者の子どもがマリファナに手を出すこともあります。取捨選択は個人の自由裁量ですが、必ず何かは保持されるとハリスは言います。各世代がそれぞれ振り出しに戻ることはないと言うのです。

取捨選択が個人の自由裁量で行なわれ、さらに先進国社会の若者たちはに同年代の仲間とかかわるので、高校や大学に新たに入学した者たちは、独自の文化を構築することになります。その新たな文化には社会全体、すなわちメディア、世界情勢、そして先輩の文化から迎え入れた情報と、先人たちと差別化を図る目的で文化の構築者たちが新たに加えたものとがプレンドされているというのです。

このような文化の再編成は60年代後半から70年代前半にかけてとりわけさかんだったようです。当時、思春期の子どもたちを研究した心理学者たちは、コーホート、すなわちいくつかの世代が重なって存在する集団への準拠は性格の発達に重大な影響を及ぼすと結論づけているそうです。それぞれのコーホートは各人の性格にそれぞれ独特な一利一害をもたらしてきました。たとえば、1972年の14歳はその1、2年前の14歳よりもはるかに独立していましたが、達成度や忠実度は低かったそうです。先人よりも自由であることへのこだわりが強く、学業成績はさほど重要視されなかったようだとハリスは言っています。時代とともに人も変わると言うのです。

幼い子どもたちの社会的カテゴリーは包括的で、明確な人口学的特徴に基づく場合が多いようです。三年生の女の子は、自分自身を三年生の女の子として自覚しますが、この自己カテゴリーは同級生の女の子たちに好かれているかどうか、もしくはその子が他の女の子たちに好意を寄せているかどうかは関係しないと言います。三年生の女の子の人数が多く、彼女たちをまとめておくものが何もなければ、別の人口学的特徴、たとえば人種や社会経済的地位などに基づき、いくつかの下位集団に四分五裂します。

ところが、学校では集団内にまた集団が形成されています。三年生ですら、自分をどのようにカテゴリー化するか、いくつかの選択肢から選ぶことができます。人数的に多い人口学的集団の中には、行動を共にする子どもたちで形成されるより小さな集合体、同志的小集団が損じします。こうしたクリークに属する子どもたちは、一般的に学業への態度、好きか嫌いかが同じで、他の事柄に対しても似たような態度でのぞみます。小学校の間は、このようなクリークがまだまだ流動的で子どもたちは他のクリークへと移動することもあると言います。クリークが変わると彼らの態度も新しい友人たちと一致するよう調整されるとハリスは考えています。

高校に入るとクリークを移ることははりかに難しくなると言います。子どもたちが高校に入学するころには、同級生の間で、そして彼ら自身によってその子のタイプが決められている場合がほとんどだと言うのです。幼い頃に形成していた一時的なクリークは比較的固定された社会的カテゴリーへとまとまりますが、それはもはや人口学的要素だけに基づくものではありません。今やそのカテゴリーはそこに属する人々の人格、性癖、そして能力を反映するようになっているのだと言うのです。