思春期に入って

同じ現象は部族社会において戦闘を繰り返す村々の間でも見られます。文化的差異を生み出し、視覚的に確認できる指標を用いて、中でも永続的なものが好ましいとされていますが、その違いを強調します。もし指導員たちが両集団間を取り繕わなければ、イーグルズとラトラーズにも同じ現象が見られたでしょう。イーグルズは修行僧のように頭のてっぺんに一帯だけを残して髪の毛を剃り落としていたかもしれないとハリスは言います。ラトラーズは『蠅の王』に登場する悪童たちのように顔にペインティングを施していたかもしれないと言います。こうした指標には象徴性だけでなく実用性もあったのです。たとえば白熱した戦闘の最中でも味方と敵の区別がっきやすいのです。プロスポーツ・チームに所属するメンバーがそれぞれ独自のユニフォームを身につけるのは、ファンにどちらを応援するのかを再確認させるためだけではないのです。

大人への敵対心は思春期に入ってから新たに噴出するのではないとハリスは言います。敵対心は人知れず長い間醸成されていたのです。特に男の子がそうだと言います。既にハリスが述べていますが、集団性は男性の方が強いのです。ラトラーズが使った口汚い言葉がその典型だと言います。彼らは立派で、信心深い家庭の子どもたちです。あの卑劣な言葉遣いは親譲りではなく、年長の少年やお互いから教わったものなのです。

社会学者ゲリー・ファインはリトル・リーグの野球チームに所属するメンバーたちの観察を三年間つづけたそうです。親と一緒のときは、「感じよく、思いやりがあるとさえ見える」少年がチームメートと一緒になると、驚くほどいやらしく、卑劣になることがわかったそうです。ファインが観察した思春期前の子どもたちは、大人に悪ふざけをはたらき、自分の性的知識をひけらかします。女の子の話題も多く、見下すような、性的に露骨な表現を使い、「オカマ野郎」などは侮辱表現としては軽い方だとハリスは言います。アルファベット四文字の表現も今や辛辣さに欠けてしまったため、中流階級の良家のお坊ちゃまは自分の知りうる最も好ましくない表現とされる「ニガー」を連発し、最も好ましくない模様とされる鉤十字を描きまわると言います。このような侮辱的な言葉や、行為はそれぞれの国にあるのでしょうね。ハリスが例に出したような言葉や好意は日本ではそれほどなじみがないどころか、それがどのように侮辱的なことなのかもわかりにくいのですが、日本には日本における言葉があるのです。

人種差別主義者ではない親たちは、息子たちの行為にショックを受けるだろうと言います。もちろんそのことが問題なのだとハリスは言うのです。男の子たちが鉤十字を描きまわるのを「偏見に満ちた反道徳的行為」とみなすことも間違いですが、それを親の責任にすることは、さらに重大な過ちを犯すことになると言うのです。彼らが鉤十字をペンキで描きまわるのは「FUCK YOU」と書いても誰も何とも思わなくなってしまったからだと言うのです。

もっとも、思春期前の子どもたちは反逆行為を楽しんでいるだけなのだとハリスは言います。このように振る舞うのは、親が不在の時だけだと言います。公然とした反逆行為は、体格が大人に追いつき、少なくとも彼らが過ごすべき環境において親なしでやっていけるときがくるまではお預けだと言います。彼らはまだまだ未熟者かもしれませんが、単なるバカではないとハリスは言うのです。