年齢集団

今日、私たちは複雑な時代に生きており、二つの年齢集団では飽きたらなくなってしまったとハリスは言います。体格的には大人でも、大人になりきれない人がいると言うのです。そうした人のために新たな社会的カテゴリーをつくりだす必要があったのです。その一つがティーンエイジャーだと言うのです。1960年代にまた、新たなカテゴリーが生まれたと言います。私たちの社会にはティーンエイジャーよりも年齢的には上だが、大人として自覚しようとしない人たちがいたのです。その人たちは独自のカテゴリーをもちますが、そこへの移行を示す儀式は何もありません。大学入学のためや放浪生活を送るために家を出ることによって、そのカテゴリーの一員となります。そしてカテゴリーのメンバーたち自身が設定した年齢的な上限に達したとき、そのカテゴリーから離れていくのです。30歳以上は信用するな、と彼らは言います。30歳以上は彼らにとって〈彼ら〉なのです。

その若者世代を結束させたのが反ヴェトナム戦争だったとハリスは言うのです。戦争が終結すると一体感も姿を消しました。今ではこの年齢集団は別々の方向へと進んでいくようです。大学や専門学校で理屈ばかりをこねる者もいれば、子どもをもつ者、コンピューターのプログラミングを手がける者、車を修理する者、もしくは求職中の者もいます。その結果、ティーンエイジャーと大人との間にあった緩衝材はもはや存在しないと言うのです。年齢集団としての違いは事実上なくなったというのです。今日のティーンエイジャーたちはハイティーンや20代前半の人々との接触が少なくなっています。「ヤングアダルト」たちはどこか別の場所へと去っていったと言います。となると真の意味での大人たち、すなわち親や教師、そして警察官といったかわいそうにも彼らを統率する立場にいる者に、ティーンエイジャーたちの集団性の矛先が向けられることになるのです。

私たち人類には小集団を形成し、同じような別の集団と競い、戦ってきた長い進化の歴史があります。こうした競争を勝ち抜いてきたのが私たちの祖先であり、また私たちが自分自身をある集団の一員とみなし、その集団を最も好意的にとらえようとするのはその祖先のおかげです。私たちが他集団に対して簡単に敵対心をいだくのも同様だと言うのです。

狩猟採集民族や部族社会には子どもと大人、その二つの年齢集団しかありません。両者間に敵対心はあったのでしょうか。もしあったとしてもそれは些細なもので表面化することもありませんでした。子どもは進化の過程で、大人に育てたいと思わせるようにつくられました。そのように進化したのは、親から愛されることのできない者は生き残ることもままならなくなるからです。大人は進化の過程で子どもを養い育てるようにつくられました。そう進化したのは、この本能に欠けるものは、自分の遺伝子の運び手となる子どもを育てることができなくなるからです。育てたいという人間の本能は強力です。小さな生命体と同じ遺伝子を共有しているという意識だけがそれを駆り立てているのではありません。子猫や子犬でさえ、人間の赤ちゃんと同じように人をその気持ちにさせることができるのです。ハリスは、洗剤のサンプルの小さなポトルを見て「なんてかわいいんでしよう」と思ったことさえあると言います。