カテゴリー化したがる

子どもにおいては「遊び」と明確になっている場合であれば、不適切な行動も許されるのです。それは大人において「冗談」と明確になっている場合であれば、不適切な発言が許されるのと同じだとハリスは言います。遊びでも、冗談でもないときには、自分の属する社会的カテゴリー、そしてそのときの社会的状況にふさわしい行動、話し方、装いが求められるのです。これはいかなる場所においても、また幼児期を過ぎた全年齢に当てはまることです。ヤノマミ族の少年は成人した男性のようにペニスを結びつけ、成人した男性や女性と同じ髪型をしていても、少年として行動することが求められるのです。

人間は何でもカテゴリー化したがる傾向にあるとハリスは言います。それらが連続体の一部で、便利なかたまりごとに分かれていなくても、物事をカテゴリー別に振り分けようとします。夜と昼は、一方が知らず知らずのうちに他方に移り変わっていきますが、それでも〈夜〉と〈昼〉とに区別されます。自分が知る人々は年齢的につながっていると知りながらも子どもたちは、〈子ども〉と〈大人〉を異なる社会的カテゴリーとしてとらえるのです。

自分がどのカテゴリーに属しているのか、そしてどのように行動することが求められているのかを簡単に認識できるようにするために、ヤノマミ族のような社会では、一般的に指標となるものを設定します。女の子の場合、生まれながらにして指標が授けられているので簡単だとハリスは言います。初潮つまりはじめて訪れる月経がそれだと言います。社会はそれを是認し、受け入れさえすればいいのです。

ヤノマミ族の少女の思春期は優れた書籍である『ナバニュマ』に詳述されているそうです。これはエレナ・ヴァレロという女性の実話だそうですが、彼女は11歳くらいの頃、ブラジル人の親元から毒矢で武装したヤノマミ族の男性の一団によって連れ去られました。その後20年間、彼女はヤノマミ族とともに、ヤノマミ族として暮らしたのです。エレナによると、ヤノマミ族の間では初潮を迎えた女の子は「大切な人」になるといいます。

それに対して、男の子の場合は状況が異なるようです。成人したことを示す便利な指標は生得的には何も授けられないため、ほとんどの部族社会では独自の指標を設定しそれを補うようです。成人儀礼は人類学者が好きな話題で、特に男性の成人儀礼は彼らが最も好んで取り上げる話題だそうです。

詳細はいろいろだそうですが、部族社会における男性の成人儀礼には共通点が多いそうです。数人の男の子たちが集団として成人社会に迎え入れられること。彼らは一時的にコミュニテイから隔離されること。そのために彼らは厳しい修業期間を過ごすのですが、通常はそこで奥義が伝授され、多大な恐怖と苦痛を味わいます。たとえば、ベネディクトは刺す習性をもつ蟻の生息する丘に男の子を埋める部族を通過したことを述べているそうです。その試練を乗り越えると、社会にあらためて紹介され、新たな地位が承認されます。第一級の成人というわけにはいかないでしょう。たとえば戦闘で人を殺すとか、子どもの父親となるといった新たな試練に合格するまでは、半人前のままです。しかし彼らはもう子どもではありません。