親の在り方

もしあなたが自分の子どもを正しく扱わなければ、子育て神話に基づくと、彼らが望ましくない方向に育ってしまうだけでなく、彼らは「親のあり方としても欠陥をかかえる」ことになるため、彼らの子どもたちもまた望ましくない方向に育ち、それもまたあなたの責任にされてしまうと言います。ですからハリスはそんな人を楽にさせてあげようと、つまるところはその人の責任ではないという証拠を提示したいと思っていると言います。ただし、これはギブ・アンド・テイクだというのです。ハリスは、その証拠を提示するかわりに、あなたにもしていただきたいことがあると言います。それは、自分の子どもはどのように扱ってもかまわないとハリスが言っていたと人に言い触らすことはやめてほしいというのです。ハリスは、そのようなことは言ってもいないし、それをほのめかしてもいなければ、そのように考えてもいないと言います。自分の子どもを邪慳に扱ったり、疎かにしたりすることは決して正しいことではありません。それにはいくつもの理由があるのですが、何をおいても子どもとは考え、感じることのできる、そして繊細な人間であり、しかも自分の生活にかかわる年配の人々に頼りきっている存在だからだと言います。彼らの将来を操ることはできないかもしれませんが、私たちはまさに彼らの今日を手中におさめ、彼らの今日をひどく不幸にさせてしまうこともあるのです。

しかし、これを忘れてはならないと言います。親もまた考え、感じることのできる繊細な人間であり、子どももまた力を保持しているのです。彼らだって親をかなり不幸にすることがあると言うのです。

ハリスは、ある年の父の日に掲載されたマンガには、かわいくてぽっちゃりとしたキャシーが親と一緒に家族アルバムを見ている様子が描かれていたそうです。「ほら、私がちょうど一歳のときの父の日よ、パパ」とキャシーは言います。「私のはじめてのアイスクリーム・コーンをもってくれているのね」次のコマにはキャシーに綿菓子をはじめて与えたときの写真を三人で見ている様子が描かれています。その二つ後には、パパが学校の劇で恥をかいたキャシーをなだめるために買ってあげた大きなチョコレートの箱が登場します。フライドボテト、キャラメルポップコーン、モルテッド・ミルク、それらは全部パパに買ってもら「たにアイスクリームを混ぜたものそこでママがびしやりと言った。ほら、これで証明できたもの。

そこでママがぴしゃりと言いました。

「ほら、これで証明できたわね。太る原因はすべてあなたのお父さまが与えていたのね。いけない食習慣はすべてあなたのお父さまから受け継いだのね。ついに身の潔白を証明できたわ。あなたの体重に問題があるのは、それはすべて彼の責任よ!」

とはいえ、母親はそう簡単に重責から解放されるわけではありません。キャシーは母親の身の潔白に納得していません。しかもマンガの作者は読者に二つの選択肢しか与えてくれていません。ママの責任か、もしくはパパの責任か。

これが子育て神話の威力だとハリスは言うのです。もしキャシーの体重に問題があるとすれば(実際に問題があるのだが)、それは親の育て方に問題があったに違いない、と誰もが真っ先に考えます。

親の在り方” への10件のコメント

  1. 本当は怖い「子育て神話」。今回のブログを読んで、まずこのことを思い浮かべました。子どもを持つ親は、自分の子が他の親の子と比較されたとき、自分がみっともない思いを抱かないように、子ども自身というよりは、誰かに植え付けられた理想の親像に即して、あれこれとやってあげることがあるでしょう。たとえば、小学校の高学年になったら学習塾に行かせる、中学校になったら学習塾はマスト、行かせない親は「信じられない」、という親たちの間の不文律を普遍化します。これも「子育て神話」の一種だと思うのです。受験競争にわが子が勝てなくなる、ひいては負け組になる、と「子育て神話」ウイルスに侵されて、子が望まないレールを敷いてしまうことがあるようです。罪なことだと私は思います。かつて学習塾を営んでいた経験上、余計にそう思うのです。「私たちはまさに彼らの今日を手中におさめ、彼らの今日をひどく不幸にさせてしまうこともあるのです。」このことを私たちは常に意識して子どもの育ちに寄り添っていきたいものです。「子育て神話の威力」とはまさにその通りです。神話は私たちを幸せにもしますが、不幸に陥れるパワーも有していると思うのです。

  2. 自分は体を動かすことが好きですが、これは決して親のおかげではないと思っています。もちろん親は様々な運動を教えてくれましたし、様々なアスレチックのような運動施設に連れていってくれました。しかし同じように育てられた姉は運動があまり好きではありません。本人の意思、周囲の集団の特性、そしてさらには関わった大人など様々なものが絡まってこの性格が作り上げられたのだと思います。キャシーの体重に関しても似たようなことが言えるのでしょうか。

  3. 「自分の子どもはどのように扱ってもかまわないとハリスが言っていたと人に言い触らすことはやめてほしい」見守る保育を見ているだけ、自由保育、放任保育と誤解を受けることに似ていて、その奥行きはこうしてハリス氏の主張、見解に触れなければわからないものなのかもわかりません。そういう極端な解釈をして非難をするようなことがどれだけ学びを損ねた行為であるのか、それを様々な場面でやってしまっていないだろうか、自省の気持ちが湧いてきます。
    キャシーの体重問題、どこかの国で、その会社の食べ物が好きで食べ続けた結果体重が増加し、その責任はその会社にあると訴えたという話を聞いたことがありますが、その人の自制心の問題と思っていましたが、もしかしたらその人を取り囲む仲間集団がそれを助長させてしまうような集団だったのか、とも思えてきました。どちらにしても食べ過ぎれば太るわけで、太ってもいいけど私は食べるんだ、くらいの覚悟が何にしても必要なのかもわかりません。

  4. 〝自分の子どもはどのように扱ってもかまわないとハリスが言っていたと人に言い触らすことはやめてほしい〟というのはなんとなくですが、自分がしていることを説明すると見守る保育を自由保育、放任主義のように考える人がいたことを思い浮かべました。自分の説明も悪いのですが、話しから勝手に予想を膨らませて解釈することで、ある意味の刷り込みのような感覚で物事を理解することが損であることを説くには説明する人にも、その物事を理解していることが必要であることを学びました。発信することの意味はこのようなところ、自分のスキルアップにもつながることであるのだと感じています。

  5. 「ギブ・アンド・テイク」というのが何かしっくりくるような思いです。ハリス氏の奥深さをより理解していなければ楽にさせてあげたいという証言を簡単に人に言ってはいけない理由がわかりす。「私たちはまさに彼らの今日を手中におさめ、彼らの今日をひどく不幸にさせてしまうこともあるのです。」という部分もまさに親である以上念頭に置いておかなければなりませんね。親の在り方というのは常々考えさせられます。

  6. 「マンガの作者は読者に二つの選択肢しか与えてくれていません。」確かにこういったことはよく起きることかもしれませんね。物事の一面的なものを見てしまうとつい目に見えるちかくの要因に問題があると考えてしまいます。これは親だけに限らず、保育をしているうえでも保育者に置き換えて話す可能性はあるように思います。もちろん、それは悪い要因だけではなく、良い要因においてもその可能性はあるわけで、確かにそれに振り回されるだけではなく、広い視野をもった見方が求められるように思います。子どもにおいても、親においても感じることや考えること、選択することがあり、どちらも「人格がある」ということを忘れがちになるのかもしれません。以前、赤ちゃんは白紙で生まれてはこないというのと同じですね。子どもの見方や子ども観というものはトライ&エラーは当然というくらいのほうが育児や保育は楽しんでできるように思います。

  7. 親も子どもも同じ一人の人間であり、そのどちらか一方に責任を転嫁することはできませんね。親と子が全く同じ土俵にいると言うと語弊があるかもしれませんが、少なくともお互いの関係性によって幸せになったり、不幸になるということを感じます。子育て神話における親の責任は確かに大きなウエイトを占めており、それに悩まされている人は実際に多いはずです。しかし、私は子どもの育ちに影響するのが親との関係性だけではないということを知っています。子ども同士の関係、集団など子どもの育ちには様々な要因が関係しています。そういったことを多くの人が理解し、子どもの育ちについて誰もが多面的な視点で捉えることが必要だと感じています。

  8. 子ども達の人生を不幸にさせてしまっていると思うと、私たち、大人の接し方は本当に考えないといけませんね。子どもの為を思ってとした事が実は逆効果だったり・・・もしそうだとしたらショックですね。キャシーの体重問題にしても聞いた瞬間、父親、母親、どちらかの責任と思ってしまいます。与え過ぎた父親のせいなのか、もしかしたら厳しい食習慣させていた母親のせいか、そうでなくとも最後は子ども自身が正しい食習慣を身に付けることができるように導いてあげることが大切のような気がします。

  9. 「自分の子どもを邪慳に扱ったり、疎かにしたりすることは決して正しいことではありません」とありました。これまでハリスが主張してきたことは、このようなことが肯定されるものではありませんね。そのような考え方は例にもありましたが、太っている原因は父親にあるのだということを決めつけてしまっている思考と同じであるような気がします。「こうである」と決めつけることはとても危険なことなのかもしれませんね。日本では、このような親信仰がとても強いように思います。子どもが悪いことをすると親に原因があるという思考にいきやすいのかもしれません。それが全くないということではないと思うのですが、必ずそうであると決めつけるのも違いますね。それは、子どもは子どもという人格を持った一人の人であるという意識が弱いからなのかもしれないなと感じました。

  10. “これが子育て神話の威力だと”ハリス氏がいうことも文章を読んでいても、感じてきます。行動と結果が繋がっているような内容であれば、そうなのか?からそうであるように疑問から確信へと変わっていくものへなってしまいますよね。しかし、実際には、周りの集団のなかでの刺激によるものによってそうなることと考える必要があり、そして、そうでなければならないように感じました。

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