親から受け継ぐもの

エイミーは完全に嫌われた子どもでしたが、彼女には別の家庭に養子に出された一卵性双生児の姉妹、ベスがいたことから注目されます。ベスは嫌われっ子ではなく、むしろ母親のお気に入りでした。彼女の親はとりわけ教育熱心ではなかったため、双子の姉妹として共有していた学習障害は、さほど問題にはなりませんでした。ベスの母親はエイミーの母親とは異なり、気持ちのわかる、寛大で明るい人でした。それでもベスはエイミーと同じ性格上の問題をかかえていました。二人を研究した精神分析学者は、もし一方しか見ていなければその原因を家庭環境に求めるような説明を考えつくことはいとも簡単だったと認めています。ところが、実際には二人いたのです。同じ症状を呈していますが、育った家庭はあまりに違っていたのです。

同じ症状、同じ遺伝子。こうなると偶然とは考えられないとハリスは言います。エイミーとベスが生みの親、それは二人を養子に出した母親とその母親を妊娠させた男性ですが、この二人から受け継いだ遺伝子の中の何かがこのようにまれな症状を引き起こす素因となったに違いないのです。エイミーとベスがこのような素因を生みの親から「受け継いだ」と言っても誤解しないでもらいたいとハリスは念を押しています。彼女たちの生みの親は同様の症状を呈していないかもしれないと言うのです。遺伝子の組み合わせが少しでも違えば、大きく異なる結果をもたらすことになり、まったく同じ組み合わせをもつのは一卵性双生児だけなのです。二卵性双生児は驚くほど異なる場合があり、それは親子間でも同じです。子どもは両親のいずれにも見られないような性格をもつ場合があります。ところが、心理的な問題をかかえている人が同様の問題をかかえる生みの親や生物学的な子どもをもつ可能性については偶然よりも大きくなるという統計学的関連性が認められているそうです。

遺伝は、問題をかかえる親の子どももまた問題をかかえるようになることの原因の一つとして考えられます。それは単純明快、否定することのできない事実であるとハリスは言います。それでいながら、心理学でこれほど無視されることの多い事実もないと言います。発達心理学者および臨床心理学者たちは遺伝に注目しませんので、今もまだジョン・ワトソンが12名の乳児を医者、弁護士、乞食や泥棒にでも育てあげられると言った時代にいるのではと思えてしまうとハリスは言うのです。

盗人、これは新たな解釈をはじめるには格好の題材だとハリスは言います。彼女は、子どもの犯罪行為をその親が与えた環境、すなわち親の育児態度やこれといった態度をもたずにいたことにその原因を求めることなく説明してみようとしています。ですが、遺伝にすべてを押しつけるつもりはないので心配はいらないと言います。しかし、遺伝抜きには説明できないとも言います。

ハリスは、自分の子どもを盗人に仕立て上げるならどうするかと問うています。チャールズ・ディケンズの『オリヴァー・ツイスト』に登場するファギンならワトソンに一言二言、言いたいことがあっただろうとハリスは言います。私も、この小説の中に登場する少年たちのことを思い浮かべます。この小説の中で、ファギンは、お腹をすかせた男の子四、五人に〈われわれ〉意識を養わせ、スリの手ほどきをし、彼らを〈彼ら〉である裕福な人々にけしかけたのです。そこではじまるのは集団間の戦いであり、それは私たち人類に昔から伝わるものであり、正常な人間、とりわけ男性においてはほとんどどこででも見ることのできる現象だと言うのです。ハリスは、「すがすがしい朝の表情を見せながら学校へ通うあなたのかわいい息子さんも薄っぺらい仮面をかぶった戦士にほかならない。」というのです。このような解釈をハリスがこの小説にするのは、とても興味深いです。

親から受け継ぐもの” への10件のコメント

  1. 私たちは簡単に「双子ちゃん」と言ってしまいますが、どうやらそんなに簡単なことではないような感じを今回のブログの内容から受けました。「まったく同じ組み合わせをもつのは一卵性双生児だけなのです。二卵性双生児は驚くほど異なる場合」があるとか。一卵性か二卵性かは生みの親に訊いてみないとわからないことでしょう。一卵性双生児のエイミーとベスは育てられた環境は相当異なっていても「同じ症状を呈しています」とあります。遺伝子の結果か。「発達心理学者および臨床心理学者たちは遺伝に注目しません」と断言されています。これは驚きです。園児の中で発達に偏りがあるのでは、とみられる男の子がいます。巡回相談の対象にするかどうか保育士さんたちが検討しています。その子の父親は自分も子どもの頃こうだったようだと言っているそうです。ジョン・ワトソン氏が今回も取り上げられましたが、遺伝ということを考えなければ氏のような発言となるのでしょう。「親から受け継ぐもの」、これは無視できないものであることを改めて認識した次第です。

  2. ワトソンの、子供を預かればいかようにも育てることができる。という言葉、たしかに盗人や罪人のように堕とすのはその分野の学問を専攻していなかったとしても比較的容易にできる気がします。しかし、持ち上げるとなると一筋縄ではいかないのではないのでしょうか。精神白紙説を唱える者もいますが、今回の内容にあるように遺伝を無視することはできない場面が来ると思います。ただ、それを含めても医者にでも弁護士にでも育てられるというのであれば、この身を削ってでもその方法を学びたいですね。

  3. 父の素養、母の素養を受け継いだのには遺伝が関係している、ということを信じられるように思えるのは、何と言っても顔が似ていたり、手の形が似ていたりするからかもわかりません。骨格が近ければ声も似ているようで、声変わりがあった最初の頃は、家の電話に出るとよく父と間違われました。そういった性格のようなものとは一見関係のなさそうなものが実は複合的に結びついたりして今の人格形成に至っているということを、一概に否定できないような気がしてきます。遺伝も無視できないし、もちろん環境も無視できない。複合的な要素でもってその人が在るということなのでしょうね。

  4. 〝遺伝は、問題をかかえる親の子どももまた問題をかかえるようになることの原因の一つ〟とありました。遺伝子というのはそのように性格にまで影響を与えているということなんですね。親と顔だけでなく、声が似てきたりすることもあるようで、声変わりしたての頃は親戚の方からの電話などでよく父と間違われていたのを覚えています。そんなところなど、あまり性格とは関係なさそうなものからはじまり、似てくるのかもしれないなと感じました。そして、それだけでなく、集団の影響も受けて形作られる個人。やはり、人間一人に関わるものが複雑に絡み合い、その人一人を作り上げているんだなと改めて思いました。

  5. 未だに環境によって子どもは変わると妄信的に考えている節はまだまだあります。各夕自分自身も遺伝による影響はあるとは思っていますが、環境による影響も大きいということはいえます。結果としてどちらが影響があるかではなく、どちらも影響があるのだろうと思います。しかし、現在ではまだまだ遺伝ということはあまり重視されているとは思えません。それは子どもそのものを受け入れるというよりも、大人が子どもをなんとかするという意識が強いから出てくるのかもしれませんね。確かにこどもの研究をすることで「子どもを知る」ということは大切だとは思います。しかし、それを利用して「育てる」ではなく「子どもを作る」というような子どもとの関係になっているように思います。よく、「子どもをペットのように」というように言われることもありますが、どこかで「すべては親のせい」といったことがあるからより親も必死になって、余裕もなくなってかえって子どもたちの選択肢を狭めているのかもしれません。遺伝に向き合うにはより、子どもたちのことを一人の人格者として見ていかなければ納得のいくものにならないのかもしれませんね。

  6. 「まったく同じ組み合わせをもつのは一卵性双生児」とあり、現在、一時保育で双子の子どもをお預かりしています。なんだかそんな視点で見ているとやはり面白く、自然と二人が同じところにやってきて同じ遊びをして同じタイミングで泣いています。泣き方も同じですね。その2人にはお兄ちゃんがいます。お兄ちゃんも赤ちゃんの頃見ていたので泣き方もそっくりです。泣き方に関して遺伝?なのかですかね。そして以前私が中国のお子さんを受け持ったときに怒りっぽく、起伏が激しい子がいました。後半はもはや環境ではなく中国の血と遺伝なのではと考えるようになっていました。環境と遺伝この二つのバランスというのが人間にはどんな割合なのですかね。

  7. 生得的に親から受け継ぐ遺伝子に関してはどうしようもない部分があります。そしてその良し悪しは子どもを取り巻く環境によっても左右されるのではないでしょうか。なので、エイミーの件に関しても、受け入れる側の考え方、対応次第であると感じてしまう部分があります。遺伝的な行動様式、考え方について矯正しようとすることは、その人自身を否定することにも繋がると思われるので、それに対する周りの対応、環境というのは生きていく上でも非常に重要な要素だと感じました。受け継いだ遺伝子とそれを取り巻く環境との関係性は子どもの育ちにとって非常に重要だと思います。

  8. エイミーとベスの話はとても重要な話しだと思います。発達に偏りがある子どもを持つ親からすると自分自身を振り返る機会になり、人によっては子育てという重圧から解放される場合もあるようにも感じます。実際に私自身、こうした話を聞くと、いい意味で諦めがつくというか、我が子に対してイライラしなくなるというか、しょうがないか!という気持ちになります。自分がそうだったので・・・。そういう私を作り上げてきたのは紛れもなく、親であり、祖父であり、先祖代々受け継がれてきたと思うと、自分の持つ遺伝子に対して特別な感情が芽生えきました。

  9. もともと持っているものがいかに引き出されていき、大きくなっていくのか。そんなことを感じます。遺伝として持っているものがその後の環境によって異なった引き出され方をしていくということになるのでしょうか。教育は子どもの持っている力を引き出すということですが、これは子どもは白紙ではない有能な存在であるということにも繋がっていくと思うのですが、この遺伝の話からもそのようなことを感じました。「遺伝にすべてを押しつけるつもりはないので心配はいらないと言います。しかし、遺伝抜きには説明できないとも言います」とありました。このような考え方をしていかなければいけないなと思いました。何かに偏ってしまうのはいけないが、それを無視してしまうのもまた違いますね。

  10. 考えていると、環境と遺伝子のつながりが遺伝子が環境下によって作用されるというより、環境によって遺伝子の持ち得た特性が何らかの形で表出されるのだろうということを改めて感じます。同じ遺伝子を受けついだものが違った環境で生活して遺伝子的に似てる部分があると、特徴として、現れてくる、そういった面については、親による子育て力ではないことが考えられました。

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