妊婦のケア

カールの発達に異常をもたらしたのは、昨日紹介した論説によると、妊娠中に母親が読んだ本が母親の心に与えた印象だと言います。女性の心に強烈な印象を与えると、それによって「その女性の胎内に宿る子どもの発達が遅れたり、止まったり、もしくは障害がもたらされたりすることがある。」というのです。

通常の論説がそうであるように、この論説も最後は教訓で締めくくっているそうです。

「科学的な医者であるわれわれは、…妊婦のケアの方法を、そして母体からの影響の重大さを人々に教示しなければならない。スパルタ人は戦士を育てたが、この世代の人間はよりまともな人材を育てることができるはずだ。後世に役立つ将来への貢献をするとすれば、彼らに母体が胎児に与える影響の重大さを教え、妊婦への手厚いケアを行なうことである。」

「妊婦への手厚いケア」の中にはおそらく、彼女たちが読むことのできる書物を念入りに選ぶことも含まれているのだろうとハリスは言います。

これほど馬鹿げたことはないと思うだろうと言うのです。100年前はかなり愚かだったようだとも言います。さらに、私たちはそれよりはましというのです。そして、こう嘆いています。「今日“専門家”たちが子どもたちが時に望ましくない方向に育つことについて語る内容は100年前と同じように間違っているのではないか。しかもその恩きせがましい様子も当時と変わっていない。」

母体からの影響という考え方、すなわち妊婦の行動および思考は胎児に影響を及ぼすという発想は論説を書いた医者によって考案されたものではないと言います。それは多くの文化において昔から語り継がれ、人々に浸透した考え方なのです。以前、ハリスは古代の親は一般的に自分たちの育て方が子どもたちの将来を決めるような長期的な影響を及ぼすとは思ってはいませんでした。とはいえ、その親たちは子どもたちが皆同じではないことや、中には他よりも望ましい人間へと育つ子どももいることは認識していました。同じ両親のもとでも大きく異なる特徴をもつ子どもたちが育つため、その違いに遺伝がどのようにかかわっているか、その構図を明らかにすることは簡単ではないとハリスは言います。さらにその違いの多くは生まれたとき、もしくは少なくとも誕生直後から見られるので、その理由を胎内にいるときに起こった事象に求めることは決して不条理なことではなかったのです。

こうした推論は多くの伝統的社会の妊婦たちを規則で東縛することになってしまったとハリスは言うのです。行動も、目にするもの、口にするものも限られてしまったのです。時にはそのような規制が父親にも及ぶことがありました。子どもが望ましくない方向へ育てば、近隣の人々はその責任を親に押しつけました。妊娠中に何か望ましくないことをしでかしたに違いない、規則を遵守しなかったに違いないと決めつけたのです。結局、世の中はそれほど多く変わったわけではないとハリスは言います。大きく変わったことといえば、昔は親の有責期間はたったの九カ月しかつづかなかったという点だと言います。

今日では有責期間は果てしなくつづきます。もしあなたが自分の子どもを正しく扱わなければ、子育て神話に基づくと、彼らが望ましくない方向に育ってしまうだけでなく、彼らは「親のあり方としても欠陥をかかえる」ことになるため、彼らの子どもたちもまた望ましくない方向に育ち、それもまたあなたの責任にされてしまうのです。

妊婦のケア” への9件のコメント

  1. カールのお母さんは一体どんな本を読んだのでしょうか。7歳児を殺人犯に仕立て上げるという結果をもたらしたその本の内容はどんなものだったのか。ハリス女史が言う「彼女たちが読むことのできる書物を念入りに選ぶことも」妊婦さんへの手厚いケアになる、ということは、母子2人のままにしておかない、誰か彼かがその妊婦さんと胎児に関わることの大切を指摘しているように読み取れました。「子育て神話」は本当に恐ろしい。いまだに世間では罪を犯した本人のみならずその親についても犯罪の責めを負わせようとします。親は自分の子育てが間違っていたと容易に自分を非難することになるのでしょう。「有責期間」という、私にはあまりなじみのない四字熟語が登場しました。「昔は親の有責期間はたったの九カ月しかつづかなかった・・・今日では有責期間は果てしなくつづきます。」だからいつまでたっても親によるわが子への過干渉や過保護が絶えないどころか、少子化にともなって顕著にさえなってきています。子どもには子どもの世界がある。このシンプルな事実を再認識したところです。

  2. 「100年前はかなり愚かだったようだとも言います。さらに、私たちはそれよりはましというのです。」時代は必ず良くなっていく、この言葉を信じて、これから先の保育の進展を見守っていきたい、そういう気持ちになります。
    「今日では有責期間は果てしなくつづきます。」テレビでは子どもの不祥事を、それがもう子どもとは呼べない年齢に達していても、親子であるという点で、親が謝罪する場面を時折目にします。もしかしたら日本独自の文化なのかと思えてきました。そんなところにも子育て神話の根の深さを感じる思いです。

  3. 〝今日では有責期間は果てしなくつづきます〟テレビなどで、もう子どもだと言わないくらい大きな子どもの不祥事で、親が謝罪しているのを目にしますが、あのようなものは子育て神話に基づくものであるのでしょうね。子どもは友だちの仲間集団から学ぶということを考えていくと、いくつになっても子どもの不始末に親が出ていって謝るというのは…考えさせられます。

  4. 「多くの文化において昔から語り継がれ、人々に浸透した考え方なのです」というのはどの分野でも考えられることなのですかね。語り継がれてきたからそれを守るという、なぜそうなのかということを考えずに。そういったことをおそらく私自身多くしていることだと思います。まさに刷り込みなのでしょうね。そして興味深いのは「有責期間」という言葉です。昔の有責期間というのが9ヶ月というのと驚きで誰がそんなことを決めるのか?と疑問に思うところですが、現在の有責期間は果てしなく続きますという所に関しては親の責任という所でどこまでが…考えさせられますね。

  5. 現在の社会では確かに親における責任は果てしないような考え方がとても大きくありますね。だからこそ、子どもたちに対して親も必死に教育やかかわりを持とうとしてるように思います。実際、自分自身も子どもができたらそう思ってしまう節はありますね。しかし、確かにこういった事例をそのまま考えてしまうととても子育てに余裕がなくなってしまうようにも思います。そうなればなるほど、「子どものため」ということがかえって「子どものため」にはならないのかもしれません。推論が規則に、「なければならない」という意識がかえって親を追い詰めている社会は確かにあります。そこを考えるよりも、子ども一人一人の人格を認めてあげるほうがよりいい環境としてあるのかもしれません。保育でもそうなのですが、方法や論はあくまで参考であり、目の前の子どもをより理解するためのものとして受け止めなければいけないのでしょうね

  6. 最初に書かれてある妊婦のケアについてですが、冷静に考えればそんなはずはないのですが、妊娠に関してとても神経質な夫婦は信じてしまい、忠実に実践しそうですね。実際に過度なストレスなどは妊婦さんには良くないのかもしれませんが、本が胎児に影響するというのは考えにくいような気がします。ただ子どもの責任は親の責任というのは理解できますが、それが世間的にあまりにも敏感になり過ぎているあまり、子どもに対しての過保護や過干渉が増加しているのかもしれませんし、それは親だけでなく乳幼児施設にも同じくらいの責任を課しているからこそ、園児を仕込まないといけない!と強く思い過ぎておかしな方向に進んでいる施設もある気がします。

  7. 文化において昔から語り継がれ、人々に浸透した考え方というものは簡単に拭い去ることが出来ないことを象徴するかのような内容ですね。かく言う私も、その考えが浸透してしまった一人なのかもしれません。子どもに何かしら問題行動が見られると、その責任を親に転嫁することは確かに多いのではないでしょうか。そこから更に遡って胎児の頃のことまで出されたらどうしようもありません。まず目の前の子どもと向き合う事、目をそらさないことが必要であり、受け入れられないからといって別の場所に転嫁すべきではないと感じます。誕生後の子どもの育ちを想い、考えて様々な妊婦ケアの方法がありますが、それと子どもの育ちに関する因果性というものは慎重に見るべきだと思います。

  8. 「こうした推論は多くの伝統的社会の妊婦たちを規則で東縛することになってしまったとハリスは言うのです」とありました。分からないことに対して人は不安になります。だからこそ、そこに因果関係を見つけて、対処できるようにしたいと思うのかもしれませんが、その気持ちが逆に自分を苦しめてしまうというのは自分の経験からも実感するところであります。そのような推論が事実のようなことになってしまい偏見にも似たものが生まれてしまうのは悲しいですね。昔、左利きはよくないと言われて、右利きに直されていたと聞きます。しかし、実際に右利き中心の社会なので、左利きの人がアクシデントに会いやすいそうですね。何が正しくて、何が正しくないのかと言うことを判断できることが大切なのでしょうか。

  9. 読んでいて、私たちはいつから親が子どもの躾をするもの、また、母胎からもたらされた影響などというレッテルに貼れた集団生活を送るようになったのだろうかと考えてしまいます。子どもは、親が育てるものではなく、集団で育てるといった考えかたも今日になれば、別の形で存在していると思います。今は親が子育てをするという形がレッテルを貼られ、存在しています。そんななかでの社会のなかでこそ、育つ必要性、それも、小さい頃から集団生活こそが子どもにとっての社会的学びの場となっていることを全面にだすようなものがないと、なかなか今、3歳までは家庭でという3歳神話のようなレッテルは消えていかないのかなとも思います。

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