同化の時期

子ども同様、大人も社会的状況に適合するように自分の行動を調整するとハリスは言います。ウィリアム・ジェイムズは、子どもにはやさしいが自分の管理下にいる囚人には厳しいという男性に言及しています。ところが、このような一時的な行動の変化は若い人に見られるような長期的変化をもたらすだけの力をもってはいません。子ども時代と思春期に人は、生涯にわたって彼らに仕えることになる行動パターンとそのパターンに付随する概念や感情を獲得するのです。大人の性格は変化をかなり嫌い、これをジェイムズは「性格はまるで漆喰のように固められた」と評しているそうです。彼が100年前に「習慣」と呼んだものからは、大人は「コートの袖が新たな折り目をつける程度にしか逸脱しない」というのです。

大人の言語も同様に変化を嫌いますが、その固定化は性格の固定化よりも早い時期に訪れると言います。人は訛りのない言語を獲得するのにわずか13年程度しか与えられていません。アメリカに移住した移民の家族では、きょうだいの一人が当時思春期、もう一人が数歳年下だった場合、大人になってからの二人の英語に違いが生じることがあります。年下は訛りのないアメリカの英語を身につけ、年上の方の英語には昔の訛りが消えずに残っています。

子ども時代は自分のいる社会においてふさわしいとされる行動様式と話し方を学ぶ時期です。この学習は普通なら意識することもないほど深いレベルで行なわれます。子どもたちは親が指摘するまでは、または指摘してもなお自分が仲間たちの訛りや行動を家庭にもちこんでいることに気づきません。これが大人になると、行動様式や話し方を意図的に変えることがいかに難しいか、もしくは不可能であることがわかります。ハリスは、これらのようにたいてい無意識的で何気なしの行動様式について述べているのです。それらはハリスの考えるところ、親からではなく、仲間たちから得るものなのだと主張しているのです。

心理学者たちは、ある不可欠な事象があり、それが起こるべき一定時期を「臨界期」と呼います。その例として頻繁に登場するのがアヒルの刻印づけです。いわゆるインプリンティングと言われているものです。またある事象をもっともたやすく達成できる一定時期を意味する用語として「感受期」を使います。子ども時代は「ネイティブな」言語を獲得し、「ネイティブの」性格を形成する「感受期」です。言語や性格は思春期にはさらに洗練されることもありますが、基本的な枠組みはそのときすでに完成しているとハリスは言います。

同化の時期” への10件のコメント

  1. 今回のブログの中にも「そう、そう」と思えることがいくつもありました。おぎゃあと生まれてから思春期を終える頃までに私自身の性格や行動パターンは確かに確立されていたように思います。「ジェイムズは「性格はまるで漆喰のように固められた」と評しているそうです。」この部分には大きく頷きました。自分がそうであるように他人もそうであるわけですから、自分と違う箇所を見つけて変更することを他人に求めるのは漆喰で固められた壁を素手ではがそうとする行為と同じでしょう。考えただけで骨が折れます。それだったら自分を変えていくほうがよっぽど楽ですね。それから「人は訛りのない言語を獲得するのにわずか13年程度しか与えられていません。」このこともよくわかります。私は現在東京語を使う生活をしていますが、13年間過ごした土地の言葉は現在でも流暢に?話せます。逆に言えば、スムーズな東京語の使用者にはなれていない。つまり「ネイティブな」言語を獲得することには至っていません。子ども時代の「臨界期」や「感受期」は子どもたちの関わりの中から実現される生きていく上で最も大切な時期であることがわかります。今回も良い学びを得られました。ありがとうございます。

  2. 性格は漆喰のように固められている、とてもいい得て妙だと感じました。漆喰に絵の具で模様を書いても簡単に落とせてしまうように、自分の性格を変えようと思っても三日でもとの嫌な部分が表れてしまうようだと感じました。私たちのやっている乳幼児期はさしずめ漆喰を塗るための下地作りといったところでしょうか。この作業で凹凸ができてしまうときれいに塗りきれないように、思春期に向けてまっさらできれいな下地を作り上げられるようにしたいです。

  3. 福島の従兄弟に「東京語が気になる」「こちらからすれば福島の訛りが標準語」と言われたことが思い出されます。子ども時代は「ネイティブな」言語を獲得し、「ネイティブの」性格を形成する「感受期」、その時期にどの集団に属したかということは、とても大きな意味を持つことなのだと改めて思います。また、大人になるにつれ「コートの袖が新たな折り目をつける程度にしか逸脱しない」程に性格や習慣が固められていきます。人間は向上したい生き物のはずなのに、面白いですね。それも、自分でしたいと思ってする向上ならまだしも、人から言われてする向上は苦手というのが多くの人間の性質のようです。新たな折り目を良い意味でつけていけるような、好習慣の中に身を置く毎日を過ごしていきたいですね。

  4. 〝大人は「コートの袖が新たな折り目をつける程度にしか逸脱しない」〟とあります。この世に生まれてから思春期くらいまでの時期をどのように、どのような集団で過ごすのかというのはその人間の一生を左右するものであることが理解できます。言われてみれば、子どもの頃に9時に寝る習慣があったのが、今では9時になると、なんとなく「夜遅く」という感覚になりますし、朝夜の歯磨きも欠かさないです。少し意味は違うかもしれませんが、そのようなことなんだと思いました。ですが、コートの折り目を新たにつけるだけでもコートの雰囲気が変わるように、大人になってからでも自主的に変わろうと思えば変われることも同時に感じました。

  5. [大人の性格は変化をかなり嫌い、これをジェイムズは「性格はまるで漆喰のように固められた」]とあるようにいかに生活の中で固められていくのかがわかります。「子ども時代は自分のいる社会においてふさわしいとされる行動様式と話し方を学ぶ時期」という時期の過ごし方でこんなにも自然と身についているのとが固まるのという習慣や環境の影響の大きさにやはり驚かされます。今自分が小さい頃の習慣が消えていないこともあります。その習慣を変えてみようと変えてみると楽しさを最近感じます。と同時に人が変わる難しさも大きく感じます。人に変わることを求めることを少し考えるようになります。

  6. 「子ども時代と思春期に人は、生涯にわたって彼らに仕えることになる行動パターンとそのパターンに付随する概念や感情を獲得するのです」というのはとても考えさせられる内容です。思春期までに人との関りにおいてどのような友だち関係を作ることができるのかはとても重要なのですね。これまでの教育現場では「道徳」や「思いやり」という言葉は多く出てきたのですが、「子ども集団の形成」というのはそれほど表立って大きく注目されることは少なかったように感じます。あったとしても、「集団行動」や「みんなで同じことをする」といったような集団のとらえ方が強かったように思います。「活かしあう」ことや「関係づくり」など子どもたちに委ねる部分に関してはとても保守的な環境が多くありましたが、それこそ、子どもの可能性を阻害しかねないように思います。ただ、その始まりやあり方、考え方はしっかりと「ヒト」や「子ども観」を中心として考えなければいけませんね。そういった意味でハリス氏の話はとても重要な意見を述べられているように思います。

  7. 「性格はまるで漆喰のように固められた」大人になるとそれまで自分が習慣としてきた事を変えるのは本当に難しく、まさにこの言葉の通りだなと感じました。それに比べて子どもは柔軟性の塊のようなもので、いま、自分がいる社会から文化を学び、習慣として身につけていきます。しかし環境が変わるとすぐさま新たな環境に適応し、変化していきます。最近、長男の話している中で若干関西弁が混ざっている時があります。私たちは関西弁では会話をしないので、おそらく友達の誰かが話しているのを聞いて自然と身についたのでしょう。

  8. 感受期と呼ばれる時期は柔軟性に富んだ時期でもありますね。それがまさに子ども時代であり、様々なことをスポンジのように吸収していく様子を保育を通して実感することが出来ます。かたや、大人ににはその柔軟性に乏しく、自分自身でさえ凝り固まってしまっていることに気が付くことがあります。「言語や性格は思春期にはさらに洗練されることもありますが、基本的な枠組みはそのときすでに完成している」とあり、だからこそ、乳幼児期がいかに大切な時期であるのかを再認識しています。何を感じ、何を受け入れ吸収するかは環境に大きく作用されるわけであり、そのウエイトの多くを占めるのがやはり仲間なのですね。

  9. 臨界期、感受期とありました。ある意味このような言葉に敏感なのが乳幼児期の教育なのかもしれません。幼い頃が重要だからこそ、早いうちに様々なことを教え込まなければいけないというような風潮になってしまうのかもしれません。もちろん、乳幼児期は大切な時期です。今回のブログからはだからこそ、この時期に子ども同士の関係が重要になってくるのだということを感じました。「子ども時代は自分のいる社会においてふさわしいとされる行動様式と話し方を学ぶ時期です。この学習は普通なら意識することもないほど深いレベルで行なわれます」ということからもまさにそのようなことを感じます。そして、それは意識することの難しい深いレベルで行われている。明らかにできることばかりが真実ではないことを感じます。

  10. 自分自身の行動様式というものは、集団を通して習慣化されることは、今までの内容でもあり、”大人になると、行動様式や話し方を意図的に変えることがいかに難しいか、もしくは不可能であることがわかります”とあることは、とても納得できます。我が子を見ていても、私たちが話す言葉ではないことを話の中の言語として使っている姿があります。無意識ではあると思いますが、大人になるまでに、集団のなかで必要な行動様式や話し方を学ばなければどうなるのかとも考えてしまいます。幼児期、学童期にに学ぶ言葉というものが人生の様式や話し方の基盤であるのだと思いました。

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