文化と遺伝子

性格はその一部分が遺伝的に受け継がれるものですが、文化はそうとは限りません。文化を構成する態度、考え方、知識、技術などは遺伝子によって代々伝えられるものではないからです。マーガレット・ミードが文化は学習されるものと定義したことにはハリスは賛成するのですが、一体どうやって学習されたのか、その教師となるのは誰なのかという疑問を持ちます。

メキシコのサン・アンドレス村、そしてアマゾンの熱帯雨林に居住するヤノマミ族では大人たちは攻撃的で、子どもたちも同様の行動様式を身につけます。そして子どもたちもやはり攻撃的な大人へと成長していきます。遺伝以外にも子どもたちと大人の行動の類似性をもたらしたと考えられる環境的作用を四つに分類して考えてみます。

第一は親が攻撃的な行動を奨励する、もしくはたんにそれが懲罰の対象とならないという点だと言います。ヤノマミ族では子どもが遊び仲間に棒で叩かれたと親に泣きついてくると、その親は子どもに棒をわたし、「叩き返せ」と仕返しを命ずるそうです。対照的にメキンコのラ・パス村のように平和な社会では子どもたちの間では戦いごっこでさえ好ましく思われないのです。

その文化で承認されている行動を身につけるには「模倣すればいいというものではない」とマーガレット・ミードは言っていますが、その点でも彼女は過ちを犯しているのかもしれないとハリスは言います。第二は子どもたちが親の行動を模倣しているという考え方だといいます。第三はラ・パスとサン・アンドレスの住民を調査した人類学者ダグラス・フライが好む解釈だそうですが、子どもたちは自分の所属する社会の大人全員を模倣する、という考え方です。そして最後は、ハリスが提案していることですが、子どもたちは別の子どもたち、とりわけ自分より年齢や社会的地位が少し上の子どもを模倣する。この場合、大人社会の影響は間接的なものとなるといいます。環境的作用の中でこの説がまさに私が考えているものと同じです。私は、ハリスを知る前まで、同じように考える人は見つかりませんでした。彼女の考え方とは、いろいろなところで共通してくるので驚いています。

ではこれら四つの選択肢をいかに取捨選択するかについてですが、ハリスは驚くなかれ、取捨選択ができない場合がほとんどだと言うのです。通常の状況下では、これらを区別することは不可能だからだと言うのです。これらのうち、一つか二つ、もしくは三つ、さらには四つすべてが一緒になって子どもたちに見られる作用を引き起こしているのかもしれないと言うのです。人類学者の調査対象となる社会では、親の育児態度は皆似たり寄ったりです。育児態度も文化の一端なのだからです。さらに親は他の側面においても大同小異であるため、皆その文化で承認されている行動様式を身につけるのです、子どもたちが自分の親を模倣しているのか、大人全員を模倣しているのか、区別がつかないのです。確かに、ヤノマミ族の男性が皆戦いに対して同じように意欲的であるわけではないように、同一文化内にも行動にわずかながらばらつきが認められるそうです。しかし、それはその文化のメンバーの遺伝子の違いによるばらつきとも考えられます。戦闘行為に不承不承かかわる戦士の息子が臆病者であったとしても、それは第二の選択肢、すなわち子どもが親を模倣することを実証しているわけではないのです。それはたんに遺伝による影響かもしれないのです。このように同一文化内における行動のわずかなばらつきも、四つの案を取捨選択する手がかりにはならないというのです。

文化と遺伝子” への8件のコメント

  1. なかなか興味深い内容です。「文化は学習されるもの」とするマーガレット・ミード。しかしどうやって。ハリス女史による文化学習による4類型は参考になります。行為の奨励、親行為の模倣、部族全員の模倣、そして「自分より年齢や社会的地位が少し上の子どもを模倣」する。やはり「模倣」か。見て⇒真似て⇒学ぶ。学習、学びとは「真似」。最近、私はこのことを強く思っています。人の話を聴いて「よい学びを頂きました」とは実際学んだことにはならない。真似られたか真似られなかったによって、学べたか学べなかったかが決まるような気がします。学びとは真似られたこと、したがって、文化が学びの産物であるならば、文化とはおしなべて模倣の産物ということになるのでしょう。「四つの選択肢をいかに取捨選択するか」、これもなかなか複雑そうですね。私は単純に「四つすべてが一緒になって子どもたちに見られる作用を引き起こしているのかもしれない」と思います。5領域は発達の切り口、と藤森先生が言われることと通じるものがありますね。

  2. 間接的な大人の存在や行動、そして身近な子ども集団といった環境の中で、それらを模倣することが子どもの学び、学習に繋がるようですね。4つの作用においても、「模倣」の重要性が特に際立っているように感じ、その模倣によって文化も受け継がれているように思えます。文化の継承において「模倣」が大きく影響していることを知ると、保育の中で子どもたちの「真似」や「模倣」のもつ意義が私の中でまた少し変わってきます。
    また、子ども集団での関わりにおいて、大人社会の影響が間接的にあるということも押さえておきたいと思います。今、大人の存在や関わりというものを保育にどう落とし込めるかについて改めて考えているところでしたので、そのことも踏まえた上で悩み考えて行こうと思います。

  3. 「叩き返せ」と仕返しを親に命ずられて、親がしている通りにやるものだと行ってみれば確かに友だちもそういう風にしていて、ところが「自分より年齢や社会的地位が少し上の子どもを模倣する。」憧れの対象は暴力を用いない平和的解決でもってその場の収拾をつけていた時に、その子が果たして何を善とするか、少し想像ができるように思えてきます。文化というものが複雑な流れを持って受け継がれてきているということを知り、受け継がれてきたことには相当の意味があるということを改めて感じる思いがします。

  4. 子ども同士の関わりだけではなく、やはり大人の関りも文化の伝承においては影響するということなのでしょうか。環境的作用の4つの形態についても、状況か周りの人の影響かといったことが言えますが、3つの形態は模倣によって文化を体得していくということなのですね。その取捨選択ができない場合がほとんどだと言っています。実際、どこから模倣しているのかと判断するのは非常に難しいことだとは思いますが、何においても模倣というものは子どもにとって大きな影響を持つことになるということがいえますね。しかし、その中でどんな環境でも反対するマイノリティな人は存在します。その人は遺伝なのでしょうか。それとも単に環境において反面教師にしているのでしょうか。それともそういったことはありえないのでしょうか。考えればかんがえるほど、混乱してしまいます。

  5. 四つ考えられる中でも最後の四つ目の考え方が大人対子どもだけの二者関係だけでは済まされないもっと複雑な人間の社会での影響を表しているのだと感じます。この場合、親は直接の影響ではなくなり、子ども同士での相互の影響を与え合うのでしょう。そして、それが模倣のような学習の基礎となる部分から形成されていくのだということを感じます。模倣はやはり文化を継承していく上で重要なものであるように感じます。

  6. 「子どもたちと大人の行動の類似性をもたらしたと考えられる環境的作用の四つ分類」というのがありましたが、この考えを取捨選択ができないというところを見ると確かに子どもたちはこの4つの要因の中にいる限りどれがより作用されているかというのはわかりずらいですし、実際にそういった環境があればどれも影響するであろうとなと考えやすいですね。文化と遺伝子が共に作用し、今日まで受け継がれてきたことを考えると本当に複雑な社会であることがわかり、その中を生きる子どもたちの善悪の区別というのに疑問が湧きますし、改めて難しさを感じる思いです。

  7. ブログに書かれてある4つの作用、どれもハリス氏は取捨選択ができないと言うのは面白いですね。確かに4つどれをとっても可能性は十分にあり得ることで、1つだけでなう2つ、3つと並行して作用すると言うのも理解できます。その中でも模倣というのは一番、子ども達にとって影響を与える作用だと思います。やられたらやり返すという親が子に命じ、その行為を別の子どもがも見ていたら、自然と自分もやられたらやり返すようになるのかもしれません。私たちの実践でも、子ども同士がケンカした場合、暴力で解決するのでなく、お互いに話し合って解決するようにピーステーブルを用意することで子ども達は自分達で解決するようになります。それを異年齢の中でお互いに見て、学んでいるから保育者が伝えなくとも自然と学ぶ文化が出来上がっているのでしょう。

  8. 「これらのうち、一つか二つ、もしくは三つ、さらには四つすべてが一緒になって子どもたちに見られる作用を引き起こしているのかもしれないと言うのです」という言葉が印象的でした。ついつい何か「これ」ということがきっかけで物事が起きていると考えてしまいがちですが、そうではなく、あらゆる作用が関連して引き起こされているのですね。これは様々な面で大切にしたい考え方だなと思いました。子どももきっとそうで、様々な経験が繋がっていき、成長していくように思います。これをしておけばいいということはないように思います。

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