アイオワ州のアメリカ先住民族社会に住むメスクアキー族の少年たちを調査した人類学者は、彼らは近くの英米人の町にいるときとメスクアキー社会にいるときとでは行動が違うと報告しているそうです。メスクアキー族の仲間集団は、その人類学者はギャングと呼んだのですが、彼らは町にいるときには英国系アメリカ人の行動様式に、自分たちの社会にいるときには先住民族の行動様式に切り換えていたそうです。これらの少年たちとミケーレのような古典的なコード・スイッチャーとの違いは、メスクアキーの少年たちはそれら二つの文化を共有する仲間たちがいたという点だったそうです。
郷に入れば郷に従う。子どもたちにとってはそれ以上なのです。郷に入れば、郷の人となれ、です。親がイギリス人だろうと、中国人だろうと、メスクアキーだろうと、ローマに入ればローマ人になれ、となります。家の外の文化と中の文化とが異なるとき、勝利の女神が徴笑むのは家の外の文化の方なのだとハリスは言うのです。
ハリスは、ある世代から次の世代への文化の伝わり方を決定づけるのは、親の育児態度でも、子どもが親を模倣.することでもないという結論に達したと言います。これで残る可能性は二つ。子どもたちが社会の大人全員を模倣する、もしくは、子どもたちが他の子どもたちを模倣する、の二つです。これら二つの可能性のどちらが正しいかを識別するためには、子どもたちの文化がその社会の大人たちの文化とは異なるケースを探さなくてはなりません。かかるケースは確かに存在するとハリスは確信を持ちます。
「言語とはある特定の部族に属することを示す会員証だと痛感しています」というのはASL( American Language、通称「アメスラン」)の教師であり、通訳でもあるスーザン・シャランだそうです。ASLとはアメリカの聾者たちが使用する言葉であり、彼らが彼らの文化に属することを示す会員証の役割を担っているものでもあるそうです。シャラーは、聾者文化の集団性、いわゆる「〈われわれ〉対〈彼ら〉」意識になじむのに多少時間がかかったと振り返っているそうです。
「Deaf〔聾〕の文化に浸りきっている人々にとっては、いまさら聴力を身につけることを願うなんて、理解にあまる余計ごとなのであった。はじめ聾者にあったころ、わたしはそうしたことをまるで理解していなかったと思う。聾についての無知ゆえに、わたしはひところ、手話のジョークがほとんど理解できなかった。アメスランを英語に翻訳しても、ジョークの理解には役立たない。わたしはあい変わらす聾者を、たんに耳の不自由な人たちとみなしていたが、ジョークの聞かせどころは、つねに文化的相違に関連していたのである。誰かが聴者の男性との結婚について冗談を言ったときに、わたしはようやくこの問題についておぼろげながら理解しはじめた。」(中村妙子訳『言葉のない世界に生きた男』晶文社)
この態度はなんら特殊でないとハリスは言います。これはあらゆる少数集団、実際に集団性が顕著な集団であれば必ず見られる特徴なのだと言うのです。聾者の文化が他と異なるのは、それが親たちから子どもたちへと伝えられないからだと言います。聾の子どもたちの親の大半は正常な聴力をもっており、聾の世界については何も知りません。また両親ともに聾者である家庭に生まれる子どもの大半は正常な聴力をもち、彼らは聴者の世界の一員として迎え入れられます。
それにもかかわらず、聾者たちは確固たる文化を保持しているのです。それは聴者の文化に負けず劣らず耐久性に優れていますが、いくつかの点ではそれとは異なると言います。彼らには独自の行動規範、信念、そして姿勢があるというのです。