キャロル・エッカーマンとその研究チームは同年齢同士の遊びがどのように発達するかを、さまざまな年齢の赤ちゃんを対象に「実験室に二人の赤ちゃん」方式で調査しました。しかし、ここで取り上げたのは私たちが居住するような先進国の都市化社会における子どもたちの仲間との遊びの発達です。こうした社会では、子どもたちが他の子どもたちと遊ぶ機会をもつのは当たり前という風潮が親たちにもあり、そのため親は進んでその機会を子どもに与えます。保育園や託児所に行かせていない親は、子どもたちのためにプレイグループを結成したり、同年代の子どものいる友たちを見つけたりします。大卒であろうと、高校中退者であろうと、また行動遺伝学者であろうと社会化研究者であろうと、子どもの発達にとって仲間とのつきあいが重要であると考えない親はまずいないとハリスは言います。
子育て神話とは異なり、遊び友だちは重要であるという考え方は万国共通の概念です。ところが工業化、都市化を果たす前の社会では、幼い子どもが同年齢の友達と遊ぶ機会はほとんどなく、世界には今もってそういう状態の地域があるそうです。部族社会及び村落社会では、幼い子どもは母親の膝から卒業し、年齢に幅のある子どもたちで構成されている遊び集団に属するようになります。はじめは誰もがグループいちの最年少です。その年齢幅はその社会の人口密度にもよりますが、2歳半から6歳までだったり、2歳半から12歳までのこともあります。その地域に子どもの数が十分そろっていれば、年長の子どもたちは独自のグループを形成するようになります。
さまざまな年齢の子どもによって構成されている遊び集団については、以前ハリスは述べています。そのような社会では拡大家族はともに集団を形成する傾向にあり、一般的に遊び集団は親戚同士で構成されます。子どもたちはきょうだい、いとこ、若い叔母や叔父と遊ぶことになります。グループ内の年長者が年少者の面倒を見ます。年少者にふさわしい振る舞い方、遊び方の多くを教えるのは年長者です。彼らの教え方はやさしくはありません。力ずくはもとより、からかったり、バカにしたりするのも当たり前で、理屈に基づくことはありません。5歳児が幼い妹ビシに砂を投げてはいけないと教えるのに「もしビシがあなたにそれをやったらあなたはどう思う?」などとは説明しないでしょう。それでも喧嘩や深刻ないがみ合いはまれなのです。西洋社会においても、子どもたちは親や教師の監督下で遊ぶときよりも、自分たちだけで遊ぶときの方がいがみあいは少ない傾向にあるようです。おそらく大人の前だと喧嘩が増えるのは、度を過ぎれば大人が止めに入ってくれるだろうとの期待があるからなのだろうとハリスは考えています。
伝統的な社会の子どもたちはまた、言葉も遊び集団で学習することになります。2歳半ではようやく言葉を話しはじめたばかりの頃です。親が子どもに話しかけることも少ないので、親から学習することはありません。子どもの話し相手といえば、他の子どもたちなのです。年長の子は年少相手であれば、多少は簡単な言葉を選んで話しますが、私たちの社会において親がその幼児に教えるような言葉の教え方はしません。問いかける、忍耐強く生徒の間違った言い方を正しく言いなおす、とりわけよく言えたときに徴笑んだり、軽く肩を叩くといったことなどはしないのです。そのため伝統的な社会に生きる子どもたちの言葉の習得速度は遅いようです。それでも言語を習得することに変わりはありません。どの子もその地域社会で使われている言葉を十分使えるようになるのです。そしてどの子も皆社会化の過程を終えるのです。