2005年8月29日から始まったこのブログも、随分とその趣旨が初めのころと違ってきました。そのために、コメントを入れていただく方々も代わってきました。最初の回に、「“私は何がしたいのだろうか。”という問いを自分にしてみました。するとそのときに読んでいた本(司馬遼太郎著「峠」)の中の文が答えを代わりに言ってくれている気がしました。」とあります。先日、河合継之助博物館から「峠」という会報が送られてきました。この会報の名前は、もちろん、司馬遼太郎著「峠」から採ったものでしょう。
始めた時にこの本の中から引用した言葉は、「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」でした。送られてきた会報の中にあった河合の言葉は、「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ」でした。随分と激しいですが、方谷から学んだ陽明学の心を表しています。私はそれほど激しい心は持ってはいませんが、最近のブログは始めたころに引用した言葉から最近は少しこのような心境になって書いています。
今回、私のところに会報が送られてきたのは、少し前に長岡に講演に行ったときに、河合継之助博物館を訪れ、彼の言葉集という本を購入してきたからです。ブログを始めたきっかけも彼の言葉でしたが、現在の心境を表しているのも彼の言葉です。その言葉をその博物館で見つけたのです。
彼は、藩主であった忠雅の世子・牧野忠恭のお国入りにあたり、経史の講義を行うよう命じられます。しかし河井継之助は「己は講釈などをするために学問をしたのではない、講釈をさせる入用があるなら講釈師に頼むが良い」とこれを跳ね除けたのです。もちろんそのため、藩庁からお叱りを受けるのですが、私も常に、講演をするとき、ブログの書くとき、それを忘れないでいるのです。ということで、ブログを書きはじめたころは、身の回りのさまざまな花鳥風月に心を寄せ、様々なことに好奇心を持ち、心を澄ませ、感応力を鋭敏にすることを心掛けてきました。しかし、そのころに学んだことを、実際に行動に移し、実際の現場に活用しなければ、それまでの知識はただの記録に過ぎず、また、講演は講釈を垂れているだけになってしまいます。
実際に保育を考えるにあたって、最近は様々な知見が生まれています。新しい知見によっていろいろなことが解明されています。先日もある人から、保育を目指す学生さん向けに「皆さんの仕事は、白紙で生まれた子どもに絵を描いていく仕事です」と説明をした人がいたと聞きました。いまだに、堂々とそのような今では否定された考え方を述べる人がいるようです。次々に出される新しい知見を、保育に携わる人、子どもに関係する人たちに、ブログを通して紹介しようということで書いています。随分と内容はときには難しく、私もなかなか理解できないことも多いのですが、少しずつ今までの刷り込みが減ってきたらと思っています。
河合継之助の言葉に「(長崎にて)何を見ても面白し、商売交易の地ゆえか、則ちその心持ちになる様なり」があります。私は今、長崎に向かう飛行機の中でこれを書いています。機内でもネットのできるようになったのですね。