一般的な傾向その二は、抱きしめられることの多い子はやさしい子になり、叩かれることの多い子は難しい子になりやすいというものです。この文脈を逆に読んでも、同じようにまことしやかに聞こえます。すなわち、やさしい子は抱きしめられるようになり、難しい子は叩かれやすいということになります。抱きしめるから子どもがやさしくなるのか、それともやさしいから抱きしめられるのか、もしくはその両方が正しいのか。叩かれるから子どもが難しくなるのか、それとも難しい子だから親の堪忍袋の緒が切れてしまうのか、それともその両方が正しいのか。一般的に、社会化研究では、これらの前後逆転する解釈を区別する術はなく、その困果関係をはっきりさせることはできないようです。ですから、だれでも納得しそうな一般的な傾向その二は、立証されているようで、立証されているとはいえないとハリスは言うのです。
ギリシャ神話におけるカストールとポリュデウケースや、ローマ神話に開けるロームスとレムスのように、昔から双子の存在はそれを見る者、読む者を魅了してきました。行動遺伝子学者にとって、双子は研究材料として欠かせない存在でした。別々に育てられた双子である必要はありません。実際、行動遺伝学研究の対象となった双子の多くは同じ家庭で、同じ生みの親に育てられた双子たちだそうです。その双子たちをどのように研究するかというと、彼らを一卵性双生児と二卵性双生児の二つに分け、、一卵性双生児の類似性と二卵性双生児のそれとを比較することによって、双子のもつ特定の特徴が遺伝子に支配されているのか否か、もし支配されているとすればその程度を判断します。たとえば、体を動かすことへの指向性について調べるとします。もし一卵性双生児のそれそれの指向性が、二人とも常に活発に活動しているか、もしくはテレビの前にじっとしているかというようにかなり似ており、二卵性双生児間の類似性がそれより明らかに低ければ、その特徴には遺伝子の作用が関与していると立証されたことになります。
社会化研究者たちは、その根底にある仮説である「一緒に育てられた二卵性双生児二人の環境は一緒に育てられた一卵性双生児二人の環境と変わらず類似したものであるという考え方」は疑わしいとしてこの手法に反論しています。もし実際に一卵性双生児が同性の二卵性双生児よりも似た環境で育つのであれば、一卵性双生児において類似性が一段と高まるのは、似た遺伝子が多いからではなく、もしくはそれに加えて環境の類似性が高いことによるものであるとも考えられるというのです。
では一卵性双生児の方が二卵性よりも似た環境で育つのでしょうか。それは洋服の枚数やオモチャの数を比べればよいというものではないとハリスは言います。彼らそれぞれに注がれる愛情やしつけの程度が問題なのだと言うのです。同じだけ抱きしめてもらえているか。同じだけお尻を叩かれているのか。調査結果を見るかぎり、親は二卵性双生児に対してよりも一卵性双生児に対しての方がより似た態度を示すようです。思春期の双子たちに、親からどれだけ大切に、もしくは冷たく扱われたかと質問したところ、一卵性双生児は二卵性双生児よりも一致した見解を述べる傾向にあったそうです。一卵性双生児の一方が、親の愛情を感じたと答えれば、他方もたいてい同じように答えています。