遊びに先立つもの

ルビン、ファイン、ヴァンデンバーグの子どもの発達に関するレビュー文献によると、子どもの遊びは心理的傾向、行動、遊びを支える、すなわち遊びに先立つ文脈という3つの次元で定義されています。行動生物学者も複数次元に沿った遊びの定義を提唱しており、構造的である行動的 、結果的である遊びに伴う行動、遊びが生じる関係的基準を提唱しているそうです。

おそらく遊びの基準として最も一般的に認められているのは、遊びは一見、即時的な目的をもたないことです。ルビンたちの枠組みによると、その即時的な「目的をもたない」という基準は、「目的よりも手段」を重視する心理的傾向と関連しているようです。目的よりも手段に着目するということは、子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定しているということなのです。また、動物の遊びの定義においても目的より手段が重要であることを、行動生物学者は最優先しているそうです。

遊びには目的がないという基準と深く関わるのが、遊びの中でセルフハンディキャップがよく行われることです。つまり、遊びにおいて、より強いあるいは卓越した者は、より弱いあるいは小さい者が遊びで優位になるようにするというのです。たとえば、追いかけっこで、より早いリスは最初に同種個体を追い抜いてしまいますが、近くに戻って来て、また追いかけっこを始めるそうです。子どもでも、年長の子どもは仰向けになったりして、年少者が遊びで上位の位置にいると思えるようにすることが多いようです。この行動は、上位の者は結果的に何の資源も得られないでしょうから無目的のように見えます。

傾向という次元に加えて、遊びは遊び行動自体に先立つ現象および続く現象からも定義されてきたそうです。ルビンたちは、遊びに先立つものを、文脈つまり遊びを引き出し支えていく状況という点から定義づけたそうです。遊びを可能にする文脈の諸側面には、安全で友好的な、物的にも人的にもなじみのある環境、大人が最低限にしか立ち入らないこと、子どもにストレスや空腹、疲れがないことなどがあります。マーティンとベイトソンは、空間関係を用いて遊びなどの行動を分類する同様の方法を生み出しました。つまり、もし行動がある特定の状況や、子どもなどの特定の集団内で同時に起こったら、その行動は同じカテゴリーに属することができます。たとえば、運動場で観察されるすべての行動は通常、遊びと見なされます。

同様に、遊びはその結果や、遊びに伴う行動という点から定義づけることができると言います。この方略は、行動生物学者がよく用いるもので、子どもの発達に関する文献でも、取っ組み合い遊びや、平行遊びなど、特定の遊びの側面を定義するのに用いられているそうです。たとえば、 取っ組み合い遊びとは、他の文脈では攻撃的であると見なされるような格闘をしたり、組み合ったり、蹴ったり、転がったりする活発な行動のことを指します。もしその一勝負が終わっても子どもたちが一緒にいたら、その行動は攻撃行動ではなく取っ組み合い遊びと分類されます。もし、別々になってしまったら、それは攻撃行動と定義されます。遊びを分類する際には、遊びに先立つ側面と遊びの結果の次元から、遊びを構造的に定義づけることが役立つといいます。

遊びに先立つもの” への9件のコメント

  1. こうして「遊び」ということについて紹介されると、「遊び」に関する論考にも長い歴史と様々な見解が存在していることに気づかされます。遊びに目的があるか?ないか?「一見、即時的な目的をもたない」とするルビンらの見解の「一見、即時的な」というところが遊びの深遠さを示唆しているようです。遊びはそれ自体が目的であって、プロセスと結果・目的が表裏一体、子どもの遊びを観ているとそんな感じがしますね。また、自分自身の遊びをメタ認識した際にも同様の思いを抱くのです。プロセスが目的であり、目的がプロセス、遊びにはそんな楽しさがありますね。「遊びを可能にする文脈の諸側面」についても多くの気づきを得られます。特に、「大人が最低限にしか立ち入らないこと」、これはとても大切なことですね。立ち入るとするなら、大人は一瞬でも自己内の子ども性によって立ち入ることが必要になってくるでしょう。「取っ組み合い」が遊びのままか、攻撃行動に展開していくか、その判断を得るためには子どもの関係の質を大人は理解していなければならないでしょう。「見守る」ことが重要になってきます。

  2. 「遊びを可能にする文脈の諸側面には、安全で友好的な、物的にも人的にもなじみのある環境、大人が最低限にしか立ち入らないこと、子どもにストレスや空腹、疲れがないことなどがあります。」家族で外へ遊びに出て、露店でお昼を買ってそのまま外で食べようとセッティングして、子どもが食べる時と食べない時とが思い出されます。遊びが楽しくて仕方ない時は相当にお腹が空いていなければ、お昼の時間よりも遊びを継続する方が子どもにとっては魅力的なのでしょう。子どもとの貴重な時間、これからはお昼を無理に勧めず、子どもの空腹を頼りに休日の流れを考えてみようと思いました。

  3. 〝子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定している〟とあり、積み木を積み上げて遊んでいる子どもたちがまさに、その言葉通りであるように感じました。黙々と作っていき、隣の友だちとぶつかると話し合い、一緒に作るようになり、また友だちとぶつかり…と大きな作品ができていく過程を子どもたちは楽しんでいるようです。どんな作品かは作っていく過程で想像し、変貌していくものであり、結果的には自分の中の「できた」が楽しみであるかのような姿は毎回のことですが、大人には真似ができないものであると思います。
    子どもたちの貴重な時間をこれからも大切にしなければならないと思いました。

  4. 「目的よりも手段に着目するということは、子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定しているということなのです」とありました。結果より過程が重要とよく聞きますが、子どもたちの世界でもそれは同様であることに気付けました。だからと言って結果を軽視するわけではなく、よりプロセスを重要視していけたらと思えました。また「遊びにおいて、より強いあるいは卓越した者は、より弱いあるいは小さい者が遊びで優位になるようにする」ことは興味深く、子どもたちの姿からも確認できます。この点においても異年齢児保育の利点が垣間見えた気がしますし、対人知性のように、友達の気持ちや心境を察し、それに合わせた行動を選択していく能力を引き出し、乳幼児期から培っていくことが重要であるように感じました。

  5. “子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定している”あることが根本にあることを考えるだけで、遊びが結果的に完成しなくても、そのプロセスが楽しければ、良い。と思うと、遊びを途中で中断させたり、やめさせたりすることは、子どもの関心をもち、取り組んでいるものをなすことにつながり、関心を無くしていることと同じだなと思いました。また、”遊びを分類する際には、遊びに先立つ側面と遊びの結果の次元から、遊びを構造的に定義づけることが役立つ”とありました。理解がまだまだ、できていませんが、この遊びにおける先立つ側面と結果の次元によって、その遊びが実際にはどういった遊びなのかが分かる、行っている遊びだけでは、実際にどういった遊びという行動が本来、定義づけできるものではない、といった子どもの行動を見るなかで、そういった子どものもつ特性や性質を理解した上で、見ていくことが重要だと思いました。

  6. 「子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定しているということなのです。」というところが印象的です。大人と遊んでいるとこうなるとわかっているからその結果を早く求める傾向があるように感じます。早くその結果に行けるようにサポートしがちですが、そのプロセスに関心があることを念頭におくことで大人が「待つ」ということができます。そうすることで子どもがじっくり楽しめるということがわかります。そして「もしその一勝負が終わっても子どもたちが一緒にいたら、その行動は攻撃行動ではなく取っ組み合い遊びと分類されます。もし、別々になってしまったら、それは攻撃行動と定義されます。」これに関してはなるほどと行った感じです。ただ、現場ではその見極め次第で怪我につながるので恐いところです。

  7. 子どもは行動の結果よりもプロセスを重要しているというのは、少し意外でした。確かに考えてみても、遊びをしている最中はもちろん集中し楽しそうな姿をしています。それが、年長になり先を見通すという能力が身につくと、結果を気にするようになるのかもしれません。大人が最低限立ち入れないと書かれてありますが、大人が介入することで、直ぐに結果を考えてしまうのかもしれません。それこそ、子ども達の遊びを「見守る」スタンスが重要になってくるのだと思いました。

  8. 「動物の遊びの定義においても目的より手段が重要であることを、行動生物学者は最優先しているそうです」とありました。目的を持たないとなると大人の意識ではなんだかあまりよくないことのように思えてしまいますが、そうではないんだろうなと感じます。大人を見ていると、手段が目的になってしまっているということがしばしばあります。私もそんな時があります。そうではない子どもたちを想像するとやはり楽しんでいるんだろうなと思います。また「遊びを可能にする文脈の諸側面には、安全で友好的な、物的にも人的にもなじみのある環境、大人が最低限にしか立ち入らないこと、子どもにストレスや空腹、疲れがないことなどがあります」とありました。遊びを可能にするというのが印象的でした。子どもたちが遊び込むための条件があるというのはおもしろいですね。

  9. 「目的よりも手段に着目するということは、子どもは行動のプロセスそれ自体に関心があって、行動の結果は気にしないと仮定している」というのを見て、乳児の遊んでいる様子が思い起こされました。おもちゃをもって歩いているが途中でぽとっと落としたりします。もって何かをするのではなく、持って歩くことが重要であるのかもしれません。特に乳児は大人ではあまり意味のないと思えることをたくさんします。それはこういった行動のプロセス自体に関心があるからなのかもしれませんね。また、今回「取っ組み合い遊び」といものが紹介されましたが、これに悩まされる保育士は多いでしょうね。これを遊びとしてとらえればいいのか、攻撃行動ととらえればいいのか、しかし、これも日本に限ったことではなく、世界のどの国でも興るような幼児期の遊びの形なのでしょうか。であるなら、なにか意味のあることなのでしょうか。いつも不思議に思ってみてしまいます。

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