意図的行動

ロシャ博士は、繰り返し行動のことを「自己模倣」ということばで表現しているそうですが、2ヶ月頃の乳児は自己模倣を行なうことで、ある行為をすると何かの結果が得られるという経験を繰り返し。目標に到達するための手段を持った自己感覚を手に入れると言っているそうです。例えば、自分の足を動かして、その動きを見ることによって、行為と結果の連鎖を乳児は学習することができると言うのです。このような行為を何度も重ね、様々な組み合わせを試すことで、乳児はある手段が特定の目標に到達することにつながることを理解するようになると考えられています。その結果、ある目標に向けて手段を選ぶという、意図的な行動、計画的な行動ができるようになるわけなのです。ロシャ博士は、このような意図的行動が出現することの重要性を強調し、このような発達が見られる2ヶ月齢での変化を2ヶ月革命と表現しています。他者認識の研究で、トマセロ博士が、9ヶ月革命という言葉を使ったことに対応しています。

他者認識の革命が、9ヶ月とすれば、自己認識の革命は生後2ヶ月ことということになるのです。2ヶ月にも9ヶ月にも革命が起こるとしたら乳児は大変ですし、研究者によって2かがT革命の意味も異なるようだと森口は付け加えています。いずれにしても、2ヶ月革命によって意図的な行動が出現すると、徐々に自己を対象として捉えることができるようになるのです。これらの自己像が、言語などの象徴化する能力などと組み合わさることで鏡像自己認知ができるようになると考えられているのです。

これまでの研究を整理すると、2ヶ月に自己認識の革命が起こり、9ヶ月頃に他者認識の革命が起こり、4歳頃に誤信念を理解できるようになるということになります。これらの流れは、ある程度実験的に確認されていますが、森口は、「研究は、常に進展しており、今日真実だったことが、新しい発見によって明日には誤りになってしまうこともあります」と言っています。

乳児における誤信念理解も新しい発見があるようです。4歳頃の誤信念理解は、他者認識の発達のひとつの到達点として見なされてきました。しかし、これらはすべて、サリー・アン課題のような課題が、幼児の誤信念理解を正しく測定できているという前提の下での話だというのです。もしこの前提が間違っていたら、幼児の研究の多くは、吹き飛んでしまう可能性があるのです。誤信念課題は、その当初から、課題の構造が複雑すぎることや、言語能力に依存することなど、様々な問題点が指摘されていたそうです。誤信念課題を開発したパーナー博士自身、この問題について意識していたのか、ある論文で、3歳児は誤信念課題において登場人物がどちらの箱を探すかを質問されると、間違ってしまいますが、視線を調べると、正しいほうの箱を最初に見ることを指摘しているそうです。つまり、視線という指標を使えば、3歳児でも正解ができるのです。これは、暗黙的な表象と、明示的な表象の違いについての議論と一致すると言います。

このようなことは、他の乳幼児を使った実験でも聞いたことがあります。以前のブログでも書きましたが、幼児を対象の実験では、実験だと構えてやるわけにはいかないので、遊びとして導入することが多いそうです。いわゆるゲーム感覚で質問するのです。すると、幼児は自分にとって当たり前のことを質問されると、遊んでいると思ってわざと違うことをいうことがあるそうです。また、質問する大人の、どう答えることを望んでいるかという気持ちを察して、答えてしまうことがあるというのも聞いたことがあります。乳幼児対象の実験は、難しいですね。

原初的な自己感覚

現在、ルージュテストを、2歳を過ぎる頃には多くの子どもが通過することができるようになり、2歳前後になると、恥ずかしがったりするなど、自己と関連するような感情を示すようになり、また、自分の名前を呼ぶようになったりすると言われています。1歳半から2歳頃という時期が、自己の発達の重要な時期のようだと言われています。では、2歳以前の乳児には自己認識がないのか、という研究が近年盛んに行なわれているそうです。他の能力同様、自己認識は乳児にはないと考えられていました。偉大な心理学者であり、哲学者でもあるウィリアム・ジェームズは、乳児は自分と世界が未分化な、混乱した環境の中に生きていると考えていました。しかし、最近は新生児ですら、視覚的な対象に手を伸ばすことが示されているのです。自分の身体と対象とがどのような空間的関係にあるかを認識できないと、このような行動は見られないはずだと考えられます。また、新生児は自分自身の手で頬を触るときと実験者が触る時を区別する知見なども考慮すれば、ある程度は新生児においても自己と世界の分離ができているようです。

これは、ルージュテストで見られるような成熟した自己認識ではなく、生態学的自己の表われと見なされているそうです。生態学的自己とは、「環境の中で分化され、位置づけられ、まわりに影響を及ぼすものとしての自分自身」とロシャ博士は、彼の著書「乳児の世界」で言っているそうです。そして、概念的もしくは表象的な自己ではなく、知覚的な自己のことを指すそうです。人間は、発達早期から、原初的な自己感覚を持っているというのです。

2ヶ月を超えると、自分の身体的動作についての認識ができるようになると、ロシャ博士によって示されているそうです。この研究では、特別な装置を使って、乳児が自分の足を直接見えない状態を作りだし、乳児に二つの映像を見せます。ひとつは、普段のように、乳児の視点から見える乳児自身の足の映像です。もう一つは、それを上下反転した映像です。これは、乳児の視点からではなく、乳児と相対した大人の視点から見た乳児の足の映像です。この映像はライブ映像なので、乳児が自分の足を動かすと、映像中の足も動きます。片方の映像では、普段乳児の視点から見ているように自分の足が動き、もう一方の映像では、それとは異なったように足が動きます。

乳児が自己の身体を把握しており、その身体がどのように動くかについての期待を持っているとすれば、普段とは異なる後者のほうの映像を見るはずです。この実験の結果、3ヶ月以降の乳児がそのような反応を示したそうです。すごいですね。生後3ヶ月と言えば、ほんとうに生まれたばかりという感じです。

2ヶ月以降で見られる自分の身体についての行動は、言い換えると、自己の身体を探索し、確認する行動とも言えると森口は言います。ピアジェの第一次循環反応と類似していますが、ロシャ博士は自己に着目して議論を行なっているそうです。ロシャ博士によれば、2ヶ月頃に、生態学的自己のような知覚レベルの自己認識から、鏡像自己認知で見られるような表象的な自己認識への発達の兆候が見られると言っています。

私が、経験から、どうも乳児は早い時期から自己認識をしており、鏡に映る自分の顔を他の人が映る姿と区別していると感じていることは、表象的な自己認識への発達の兆候であるというとらえ方をロシャ博士はしているようです。

過去や未来

鏡に映った自己を認識するかどうかを調べるために、ルージュテストとよばれる実験をします。それは、本人が知らない間に口紅を顔に付けて鏡を見せたときに自分のその部分を触れるかどうかを調べたものです。また、逆に鏡に口紅を付けて、そこに自分の顔を映したときに、自分の顔に口紅が付いていると思って、顔のその部分を触ろうとするかということを試したものです。このルージュテストに通過できるようになるのは、2歳前後であると結論づけられています。1歳以下の乳児は、鏡を見せられても、他者がいるかのように振る舞うと言われています。18ヶ月以降になると、鏡に映った自己像を見て、自分の顔に付いた染料を触れるようになることがわかっています。2歳を過ぎる頃には、多くの子どもがこのルージュテストに通過することができるようになります。このことと関連して、2歳前後になると、恥ずかしがったりするなど、自己と関連するような感情を示すようになり、また、自分の名前を呼ぶようになったりすると言われています。1歳半から2歳頃という時期が、自己の発達の重要な時期のようだと言われています。

私は、鏡に映った自分の姿や、写真に映った自分の姿を認識するのは、もう少し早い時期からできるようになるのではないかと考えています。それは、実験からではなく、乳児の観察から感じることです。自分の顔を他者と区別して認識するのは、新生児模倣と同じ時期である気がしているのです。それは、模倣というのは、他者と自己を区別し、他者の行為を自己の行為に映すことで、コアノレッジのひとつではないかと思うことがあります。それは、新生児模倣と同じように、新生児から他者に対してつられ泣きをするというのも自己と他者を区別することで行ないます。それは、自分の泣き声を聞かせてもつられ泣きをしないということでもわかります。

ここで、興味深いことがあります。それは、ルージュテストを通過でいる2歳児も、過去の自分の認識は十分でないようだと言うのです。比較認知科学者であり、俳優業もこなすポヴィネリ博士らは、ルージュテストを修正した課題でこの点を検討したそうです。この研究では、実験者が、子どもに気づかれないように頭にステッカーを貼ります。この様子をビデオに収録しておき、数分後に実験者と子どもが録画された映像を見ます。つまり、映像の中で自分がステッカーを貼られた様子を見るのです。ルージュテストとそれほど変わらないように思えるこの実験では、3歳前半の幼児でもステッカーを取ることができなかったそうです。3歳後半になると、ステッカーを取れるようになったそうです。

さらに、開博士と宮崎博士は、子どもの頭にシールを貼った後に、数秒間遅延が入る映像を見せました。映像にはシールが頭についた子どもの姿が映っており、子どもが動いた数秒後に映像が動くように工夫されています。つまり、時間的な随伴性を狂わせるのです。遅延が入らない映像では、ステッカーを取ることのできる3歳児も、遅延がある映像を示された場合にはステッカーを取ることができなかったそうです。これらの結果は、2歳児は「今、ここ」の自分の姿は認識できても、過去や未来といった時間的側面を含んだ自己認識は不十分であることを示しているのです。3歳から4歳にかけて、過去の自分や未来の自分というものを認識できるようになると言うのです。

 

他者認識の発達経路

ゲルゲイ博士とチブラ博士の研究によって、乳児は、顕示手がかりによって大人から情報を受信する準備をしていることが明らかにされました。しかし、この理論はまだ新しいため、彼らが主張するように、顕示手がかりが般化可能な知識を促進するという側面については、まだそれほど証拠は多くないそうですし、顕示手がかりの効果そのものに対しても批判が見られるそうです。今後の研究が待たれるところですが、大人と乳児のコミュニケーションに関する興味深く、本質を突いた理論であることは間違いないと森口は言います。ここでも、乳児は社会的かつ社交的であり、社会的な学習者であることが示されているのです。

生後1年に達する前に、乳児の他者認識には革命が起きています。とはいえ、誤信念理解までには2年以上の時間があります。この間をつなぐ他者認識はどのような発達を遂げているのでしょうか?発達というのは連続性があり、突然ある能力が生まれるのではなく、その準備がいるのです。

近年、ウェルマン博士らは、1歳半頃から4歳頃までの他者認識の発達経路について提案しているそうです。彼らによると、他者認識は、多様な欲求、多様な信念、知―無知の区別、誤信念の理解、そして、隠れた情動の理解の順序で発達していくと考えました。多様な欲求とは、好みの違いを理解することです。人によって、それぞれの欲求が違うということを理解できるようになるのが、1歳半頃だと言われているそうです。ゴブニック博士らは、このことを、ブロッコリー実験で調べたそうです。例えば、皿にスナックとブロッコリーをのせて乳児の好みを聞くと、たいてい乳児はスナックと答えます。次に、実験者が皿を自分の方へ引き寄せ、ブロッコリーを食べるふりをし、それが好きである様子を示します。その後「食べ物をひとつちょうだい」と乳児に求めます。もし乳児が、他者と自分の好みが違うことを示していれば、ブロッコリーを実験者に渡すはずです。この実験の結果、18ヶ月頃の乳児は、正しくブロッコリーを選択することができたそうです。

また、知-無知の区別は、他者の知識状態の理解であり、誤信念理解の直接的な必須要件とも言えます。例えば、幼児は、自分が箱の中をのぞいた後に、箱の中をのぞいたことのない人が、箱の中身を知っているかどうかを聞いてみます。この課題は、3歳児や4歳児でも容易に通過することが示されているそうです。このように、1歳から4歳までを対象にした研究によって、他者認識の発達経路が確認されているそうです。

さらに、他者認識と密接に関連しているものとして自己認識があります。ここでの自己とは、考える主体の自己ではなく、考えられる対象としての自己のことです。それは、自己概念とも言われるそうです。自己認識については、哲学に長い歴史があり、近年は脳機能イメージング研究が盛んになるなど、大きな研究領域になっているそうです。

自己認識の発達は、発達心理学では鏡を用いた実験で調べられてきました。私たちは、通常他者の顔を見ることはできても、自分の顔を見ることはできません。鏡は、私たちが自分の姿形を認識できる数少ない手段の一つです。では、鏡に映った像が、自分であることを理解できるのはいつ頃なのでしょうか?この研究に、私は少し疑問を持っています。そのことについて私は、2011年1月29日、2012年8月20日のブログで、ミラーニューロンに関して鏡のことを考察しています。では、森口はどのように考えているのでしょうか?

聞く準備

ゲルゲイ博士とチブラ博士は、「自然な教授法」と言われる理論を提唱し、大人と乳児のコミュニケーションの中に、人間の学習の本質があると主張しました。彼らは、大人と乳児のありふれたコミュニケーション風景を理論にまで仕立て上げました。それは、このような自然なやり取りにおいて、乳児は様々な知識や概念を効率よく学習できると主張したのです。大人が自然に表出する、乳児へのアイコンタクトや乳児向けの発話のことを、ゲルゲイ博士らは顕示手がかりと呼んでいます。コミュニケーションに関する理論である関連性理論に由来していますが、顕示手がかりとは、情報の発信者が、受信者に発する「今からあなたに情報を伝えますよ」というサインのことです。この顕示手がかりによって、情報に発信者は、受信者に対して、次にやる行動には、伝達する意図があるということ、伝承するという文脈を準備することと、誰に対して伝達がなされるかということを伝えます。

大人同士のコミュニケーションだと、「ねえねえ」と言って、話の聞き手に対して、「今から話をする」ということを伝えます。大人と乳児のコミュニケーションだと、アイコンタクトなどをすることによって、養育者は乳児に対して、「今からあなたに伝えますよ」という意図を伝えるわけです。これまでのブログで紹介してきたように、乳児には、他者の視線に対する高い感受性があり、大人が発するそれらの手がかりに素早く注目することができます。言い換えると、乳児は顕示手がかりを検出し、養育者から何らかのことを学習する準備をするのです。

なんだか難しい言い方をしていますが、私たちは保育をする上で、子どもとコミュニケーションをしようとするときに、何かしらのサインをまず子どもに出して、あなたに何か伝えようとしているという情報をまず伝えます。こちらに注目させるのです。そのサインによって、子どもはこれから話されることから何かを得ようとする準備をするというのです。それを乳児からしているというのです。すなわち、顕示手がかりによってコミュニケーションの場が設定され、乳児が学習する準備ができると、その次に、養育者は指さしなどの参照サインを出し、具体的な伝達内容を特定します。例えば、ネズミのぬいぐるみを指さして対象を特定し、「ミッキー」と発話することで、ぬいぐるみの名前がミッキーであることを特定し、ハンマーの操作方法を教えるのです。つまり、顕示手がかりで学習するための場面を設定し、その後に参照サインで伝達内容を特定してから情報を伝えることで、コミュニケーション文脈における乳児の学習は成立しているのです。また、あるハンマーの操作方法を学習した乳児は、別のハンマーにも学習した知識を般化できます。ゲルゲイ博士らは、このように、乳児はある特定の場面や機会に依存しない、般化可能な知識を得ることができるということを強調しているのです。

実際の研究では、顕示手がかりがある場合とない場合を比較して、乳児の行動がどのように影響を受けるかを調べたそうです。例えば、6ヶ月児を対象にした研究では、大人の実験者が乳児とアイコンタクトをした後に、実験者の前に置かれた二つの物体のうち、一方の物体を注視したそうです。この条件と、実験者が乳児とアイコンタクトをしなかった条件とを比較したところ、アイコンタクトをした条件の乳児は、実験者が注視した物体を注視しましたが、アイコンタクトがない条件の乳児は注視しなかったそうです。顕示手がかりによって乳児が大人から情報を受信する準備をしていることが明らかになったのです。

文化の進展

チンパンジーはエミュレーション、人間の子どもは真の模倣をするということが示されたそうです。すなわち、子どもは不要な部分まで真似してしまったのです。これは、どういうことなのでしょうか?エミュレーションの方が、有効な戦略のはずですから。ところが、人間の乳幼児は、他者の行動を逐一真似してしまったのです。近年、「過剰模倣」という言葉を使う研究者がいるくらい、乳幼児は不必要な他者の行動すら真似してしまうのです。森口は超模倣者と言うくらいです。しかし、トマセロ博士によれば、この真の模倣こそ、累進的な文化学習に重要だというのです。文化が世代を超えて累進的に蓄積されていくには、教わったことをまずそのまま再現することが必須だと言います。誰かが開発した素晴らしい道具を、その用途(目的)だけ理解して別の道具を作ろうとしても多大なコストや時間がかかりますし、うまくいかないこともあります。まずは、モデル通りに道具を作ったり使えたりするようになって、その後でアレンジすることによって、文化は徐々に進展していくというのです。近年は、トマセロ博士は、乳児は他者から学習するだけでなく、他者に教授する存在であることも示しているそうです。

このトマセロ博士の人間における視点はとても興味深いです。それは、乳児が生得的に持っている能力と言うだけでなく、人間が大人になっても文化を学習し、それをより進展させていくためにも必要なことです。ヒトは、特に大人になると、他者の真似をすることに抵抗します。真似をするということは、自分がないというか、自ら何も考えていないかのように思われてしまわないかと考えてしまうことが多く、ためらうことが多いような気がします。また、真似をする場合も、そのまま真似をすることはよしとせず、一部だけを取り入れることも多い気がします。しかし、その目的だけを真似ても、多大なコストと時間がかかりますし、うまくいかないことが多いというのも頷けます。

また、乳児から他者の真似をするだけでなく、教えたがるというのも重要です。これも以前のブログで2014年09月12日の毎日新聞記事の紹介をしました。そこでは、「赤ちゃんは、“教えたがり”…受動的な子供観見直しも」ということで、何も知らない赤ちゃんは、大人が教え、赤ちゃんは教わる存在であるということが言われてきましたが、実は、赤ちゃんは教わる存在というよりも、教えようとする存在でもあるという九大の橋弥和秀准教授(比較発達心理学)らの研究が紹介されていました。この研究は、米オンライン科学誌プロス・ワンに掲載されました。

次にトマセロ博士と並んで現在の発達心理学を牽引するゲルゲイ博士とチブラ博士の主張について森口は紹介しています。彼らは、「自然な教授法」と言われる理論を提唱し、大人と乳児のコミュニケーションの中に、人間の学習の本質があるという主張をしているそうです。彼らの理論が優れているのは、大人と乳児のありふれたコミュニケーション風景を理論にまで仕立て上げたところだと言われています。大人と乳児のコミュニケーションを思い浮かべると、大人は対自然と乳児向けの行動をしてしまいます。乳児に何かを教えるとき、乳児の名前を呼び、アイコンタクトをし、それから乳児に向けて物の名前を教えたり、道具の使い方を教えたりします。大人は、自然にこのような行動を発信し、乳児はそれらの行動を受信します。これらの行動を理論化していったのです。

文化学習

少し前から、様々な領域における乳児における有能さが明らかになっています。乳児研究から、色々なことが、乳児から認知していることが示されているのです。とくに最近明らかになってきたのが、他者との関係においての認知能力です。それは、乳児は、母子関係だけで育てられてこなかったことを示しているのかも知れませんし、乳児から他者との関係を構築する必要があるのかも知れません。乳児が、さまざまな人との関わりの中で育てられてきたからこそ、愛着が必要なのでしょう。まったく、安心した二者関係の中でだけの関わりであったり、常に養育者に抱っこされて育っているのであれば、それほど負の状況になることは少ないでしょう。多くの人と触れ合い、他の子どもと関わり持ち、その中で、感情をコントロールすることを学び、社会で生きていくための様々な知恵を学んでいったでしょうが、その関わりの中では、不安になったり、コントロールできる能力を超えるほどの状況に陥ることもあります。そのときに、その気持ちを受け止めてもらえる人が必要になります。それが、愛着存在です。そのいちばんは、もちろん母親だったかも知れません。しかし、母親はいつもそばにいるとは限りません。そこで、複数の人との愛着関係を築いておく必要があります。それが顕著になるのが、生後9ヶ月頃からのようです。

トマセロによれば、累進的な文化学習こそが人間の文化の特徴だと言っています。この累進的な進化の欠かせないのが、模倣学習だというのです。模倣にはいくつかの種類があります。森口は3種類に分けて説明しています。この三つの区別で重要なのは、観察者がモデルと同じ行動をとるかという点と、モデルの目標を理解するかどうかという点だと言います。

まず、ミミックと呼ばれるものがあるそうです。これは、観察者はモデルと同じ行動をとりますが、目標は理解していないというものです。新生児模倣はこれに含まれると言います。二つ目は、エミュレーションと呼ばれるものだそうです。これは、モデルの目標は理解していますが、モデルと同じ行動はとらないものです。三つ目が、真の模倣と呼ばれるもので、モデルの目標を理解した上で、モデルと同じ行動を選択するものです。例えば、ある道具を使って食べ物をとるという状況において、他者が行なったのと全く同じように道具を使って食べ物をとれば真の模倣であり、他者とは異なる仕方で道具を使って食べ物をとればエミュレーションだというのです。

エミュレーションと真の模倣の違いについて、比較認知科学者のホワイトン博士らの研究を森口は紹介しています。この研究では、道具を用いて箱の中の報酬を得ることが求められます。箱には二つの穴があるのですが、一つの穴は正解で道具を使って報酬を取り出せますが、もう一つの穴ははずれで、取り出せません。この研究で、モデルは、外れの穴に道具を入れたあとに、正解の穴に道具を入れ、報酬を得ました。モデルの前半の行動は、報酬を得るためには不必要な行動です。この状況で、モデルがやった行動を逐一真似するのが真の模倣であり、前半の部分を省いて、いきなり正解の穴に道具を入れるのがエミュレーションということになります。

この研究は、チンパンジーと人間の子どもを対象に行なわれ、チンパンジーはエミュレーション、人間の子どもは真の模倣をするということが示されたそうです。子どもは不要な部分まで真似してしまったのです。これは、どういうことなのでしょうか?

革命

他者もしくは他個体の意図を理解・共有する能力は、人間において特に発達しているのです。そして、他者が意図を持った存在だと認識し、それによって他者と共同作業できるようになったことの一つのあらわれが、三項関係だというわけだと言います。事実、他者の意図理解は、生後1年ぐらいでできるようになるのです。意図理解に関する先駆的な研究は、新生児模倣について研究したメルツォフ博士によるものだそうです。この研究では、乳児に二つのパートから成り立つダンベルを、実験者がはずそうとしていますが、結果的に外せない様子などを見せてます。その後、乳児に同じ道具を与え、どのような行動を示すかを検討したのです。この場合、乳児が他者の意図を理解できているのであれば、乳児は他者がしようとする行為を再現することができるはずです。この実験の結果、18ヶ月児は、他者の意図を汲んで、ダンバルを二つのパーツに分けられること、ただし、機械がそのダンベルを二つのパーツに分解している様子を見ても乳児はパーツを二つに分けないことを明らかになったのです。近年は、12ヶ月以下の乳児でも他者の意図が理解できることが示されているそうです。研究によって、意図という言葉を使ったり、使わなかったりだそうです。おおむね9~12ヶ月頃に他者の意図を理解できるようになると言われているのです。

他者が意図を持った存在であると言う理解を獲得することによって、乳児は他者と注意や意図を共有し、道具に共同で働きかけることができると言うのです。他者の視線を理解するにしても、他者の指さしを理解するにしても他者が意図を持った存在であるという理解があってこそなされるわけなのです。つまり、9ヶ月を過ぎる頃から、乳児は他者の意図を持った存在として認識し、他者との三項関係を築くことによって、人間が培ってきた文化の中に参入し、その文化の中で学習するとともに、文化の担い手になるということになるのです。言い換えると、この頃に、他の動物とは異なった他者認識能力を獲得し、人間らしさを特徴づける精神活動に参入することができるのです。

これが、トマセロの言う、「9ヶ月革命」です。

文化に参入することで乳児は心理的道具としての言語を獲得することができ、言語やその他の記号を用いたコミュニケーションを通じて、様々な知識や情報を吸収し、より複雑かつ抽象的な思考が出来るようになるのです。特に、乳児は他者とコミュニケーションをし、時にはコミュニケーションに失敗しながら、さまざまな視点を取り入れ、例えば、誤信念課題の通過に見られるような心の理論を発達させていきます。また、カミロフスミス博士は、知識を様々なレベルで再記述できたりするようになると言っています。乳児は社会や文化を通して学ぶ、社交的な存在であるわけだと森口は言っています。

乳児は、9ヶ月革命によって、他者の意図を理解できるようになるということは、例えば、他の乳児がある玩具で楽しく遊んでいる場面を見たとき、その楽しさに共有することによって、自分はその玩具で遊ぶ気持ちをコントロールしているのではないかと私は思っています。他の自分より幼い乳児が、大人に抱っこされているのを見て、他の乳児の意図を理解して、自分が抱っこされたい気持ちを抑えているのではないかと考えています。ですから、この時期から感情抑制力をつかさどる脳機能の拡大が行なわれるのではないかと私は考えるのです。

9ヶ月

いよいよ私が最近特に興味を持ち、いままで何となく思っていた色々な仮説が、納得いくものになった考え方を紹介します。それは、「9ヶ月革命」です。この考え方を強く主張しているのが、やはり以前に特集で何日にもわたって取り上げたトマセロです。「9ヶ月革命」という言葉も今年の6月に初めて紹介しましたが、当時は、その言葉自体にはあまり注目をしませんでした。しかし、脳の機能の拡大のグラフの中で、エモーショナルコントロールという脳機能の拡大のピークの時期を知ったときに、この9ヶ月という時期とリンクすることに気がついたのです。

最近の研究により、9ヶ月から12ヶ月頃にかけて乳児は他者と何かを共有するという三項関係に参入することができることがわかってきました。この変化の重要性を強調する研究者は多くいます。ちなみに私も非常に重要視しています。その代表的な存在が、「ヒトはなぜ協力するのか」とか、「コミュニケーションの起源を探る」という本を2013年に出したマイケル トマセロです。彼は、心理学を含む様々な領域の研究を行ない、世界中に大きなインパクトを与え、近年では最も影響力のある研究者の一人だと言われています。彼は、ヴィゴツキーにも影響を受け、人間における文化伝達の理論を構築しています。また、人間と人間の近縁種であるチンパンジーなどを比較することを通して、人間と他種の違いは、人間特有の文化的継承に見られると指摘しています。ヒト特有の文化継承には、累進的な文化進化プロセスと社会制度の二つの側面があると考えています。社会制度の側面とは、規範や慣習など、それぞれの集団に所属する個人が従うべきルールのことだと説明しています。それについては、2015年の4月あたりのブログで「ヒトはなぜ協力するのか」という本を取り上げたときに、説明しました。

では、もうひとつの累進的な文化進化プロセスとは、誰かが発明したものを、別の誰かが忠実にそのまま受け継いだ上で、その発明品を改良していくプロセスということです。ここでの発明品とは、ヴィゴツキーの道具に対応しており、ハンマーのような物理的道具も、言語などの心理的道具も含まれます。トマセロ博士によれば、人間以外の生物も発明はするし、広い意味での文化的継承は生じると言っています。ただ、人間の特徴は、誰かの発明を継承し、それを蓄積してよりよいものを構築する点だというのです。いわば、歴史的な視点の重要性を強調しているわけだと森口は言います。

累進的な文化進化プロセスは、模倣による学習や共同作業による学習などでなどでなされますが、これらの学習の基盤にあるのは、人間特有の他者認識能力です。人間特有の他者認識能力とは、人間が、他者を、自分と同じような意図や精神生活を持っているものとして理解する能力であるとトマセロは説明しています。さらに、その意図や目標を他者と共有する傾向のことだとしています。

他者の意図を理解し、共有するからこそ、他者の行動を模倣できますし、教育から学ぶことができると言うのです。また、他者が意図を持った存在だと見なし、目標を共有するからこそ、共同作業や協力行動ができるわけだというのです。眼前の他者から学ぶことはもちろん、書物や道具そのものを通じて、私たちは間接的にも他者から学習できるのも、それらの意図や用途を汲むことができるからなのです。このような他者もしくは他個体の意図を理解・共有する能力は、人間において特に発達しているのです。

二項関係での他者認識

ウッドワード博士らは、同じパラダイムを用いて、リーチングできない3ヶ月の乳児は他者の行為の目標を理解できないこと、3ヶ月の乳児にリーチングの訓練を施すと、他者の行為の目標を理解できることを示しているそうです。また、板倉博士と鹿子木博士は、6ヶ月児において、リーチング能力と他者の行為の目標を予測する能力の間に関係があることを示しているそうです。この結果は、乳児の他者認識の指標です。他者の視線への感受性、随伴性の理解、行為の目標の理解は、コアノレッジ理論における他者の領域における代表例であると森口は確認しています。ただし、森口は、人間の乳児だけでなく、チンパンジーなどの近縁種も持っているそうです。人間に特有の中核的な知識とは言えないのではと考えています。

このように、生後6ヶ月までに、乳児は様々な他者認識を示すことが明らかになっています。私は、乳児からこの能力を持っているということは、かつて人間は乳児からさまざまな人との関係の中で育てられてきたためであるという気がしていますし、また、この能力を伸ばすためにも、様々な他者との触れ合いが大切ではないかと思っています。しかし、この時期の乳児と他者の関係は、あくまでも二項関係のなかでと言われています。あくまでも乳児と他者の1対1の関係だと言われています。乳児と他者が何かを共有しているわけではないというのです。

一方、生後9ヶ月頃から見られる他者認識は、乳児と他者と「何か」の三項関係になると言われています。例えば、乳児と母親は、絵本を共有することができますし、父親が変な髪型をしていたら、それを指さして一緒に笑うことができます。このような、乳児と他者が何かを共有するような関係は、今年の6月のブログで取り上げた、三項関係です。6月には、トマセロやこの研究の中心であるウッドワード博士の研究も紹介しましたので、今回は簡単にします。

この三項関係について、森口は、乳児が行なう指さしについて、こんなおもしろい例を出しています。レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた「岩窟の聖母」という絵画があります。この名画は、イギリスのナショナルギャラリーとフランスのルーブル美術館にそれぞれ所蔵されていて、しかも、その二つには異なる部分があるそうです。その一つが、絵画の右端の天使が指さしをしているかどうかです。この指さしがヨハネを指しているのか、イエスを指しているのか、また、この指さしは何を意味するかなど色々と推測がなわれているそうです。指さしひとつで解釈が色々と生まれるほど、人間にとって指さしが需要な意味を持つということかもしれないと言うのです。

また、この三項関係から社会的参照を説明しています。例えば、乳児が初めてゴキブリを見たとします。乳児はゴキブリを見たことがないので、これが自分にとって安全なものなのか、危険なものなのかわかりません。このような状況で、乳児は母親の行動を参照します。つまり、対象の価値を決める際に、同じ対象に注意を向けた他者を参照するという意味で、共同注意行動とも言えます。この際に、母親が鬼のような顔をしていたら、乳児はこの対象は自分にとって危険なものだと認識し、その対象から離れます。逆に、母親がその対象に足して微笑んでいたら、その対象に近づくことになります。

私は、乳児のそのような行動から、慣らし保育の時期には、乳児を一生懸命に慣れるようにすることではなく、保育者と養育者が親しげに乳児の前で話すこと、養育者の安心した表情で乳児を保育者に預けることが必要だと主張しているのです。