精神間

ヴィゴツキーは、他者が子どもの発達に重要な影響を与えると考えました。そして、彼が特に重要視したのがハンマーのように物理的な道具と、心理的な道具です。心理的な道具の最たるものは、言語であるとし、ほかにも数字や計算記号なども含むと考えました。物理的であれ、心理的であれ、道具は人間の社会的経験が歴史的に蓄積されたものであると考えたのです。ヴゴツキーによれば、これらの道具が私たちの思考を支えるとしました。彼は、特に言語による思考を強調し、それにより私たちは抽象的な思考ができるようになると考えたのです。

言語や、それに基づく言語的思考はどのように獲得されると考えたのでしょうか?この点について、ヴィゴツキーは、精神間機能から精神内機能へ移行すると考えたのです。これは、最初に森口が紹介したヴィゴツキーの言葉に表れていますが、言語や概念形成のような高次な精神機能は他者との社会的な相互作用を通じて、外側から与えられ、徐々に子どもの中に内化していくことを意味します。これが、乳幼児は他者とのやり取りを通じて発達していく、社会的な存在であるという彼の主張です。

言語は私たちの思考を支える最も重要な心理的道具の一つです。言語は、まず、精神間機能としてあらわれます。乳幼児は文化の先輩である他者と言語的なコミュニケーションをすることで、外的に言語を与えられます。他者と乳児の「間」に言語があらわれるわけです。ところが、乳幼児期半ば頃までに、言語は子どもの中に内化されていきます。精神内機能ととしての言語、つまり、思考のための言語という機能を持つようになるのです。言語以外の様々な精神機能も、まず他者から与えられて、子どもは徐々に内面的に獲得していくとヴィゴツキーは考えたのです。ずいぶんと回りくどい言い方をしていますが、乳児にとっても他者の存在はとても重要なことがわかります。

言語が内化していく過程で見られる子どもの独り言についての、ピアジェとの有名な論争があるそうです。この議論は、ヴィゴツキーの主著「思考と言語」の中にあるそうです。ピアジェは、子ども同士のコミュニケーション場面において、子どもがそれぞれに独り言を発する様子を「集団的独言」とよび、子どもの自己中心性のあらわれであるとしました。会話をしているように見えても、お互いに自分が言いたいことを言っているだけだと主張したのです。それに対して、ヴォゴツキーは、独り言は、思考のために用いられる言語が内面化されていない様子だとして、ピアジェの説を批判しました。コミュニケーションのための言語(外言)が、思考のために内面化される(内言)過程に見られるのが独り言だというわけです。

ヴィゴツキーの理論は、その説得力の高さから幅広く支持されているそうです。しかし、その理論の中には、実証的な検証が比較的最近になって始まったものもあるそうです。たとえば、独り言の研究では、3歳児は様々な状況で独り言を発するのに対して、4歳児は問題解決場面のように負荷がかかる場面においてのみ独り言を発することが示されたのです。このように、ヴィゴツキーは乳幼児が社会的な存在であると見なしました。しかし、これは、心の理論の話とは直接には結びつかないものの、それらの研究のルーツになったことはたしかだと森口は評価します。