社会的な生き物

視線が本当に無意識的な認識を反映しているかどうかを調べたそうです。具体的には、幼児に確信度を尋ねたのです。確信度は一種のメタ認知過程を含むので、意識的な認識を反映し、無意識的な視線反応には反応しないと考えられます。そこで、幼児が視線を向けたほうの箱に、どれくらいの確信度を示すかが調べられたのです。もし視線が無意識的な認識を反映しているのであれば、子どもは自分が見たほうの箱には全く確信度を示さないだろうと予想されます。実験の結果、この仮説が支持されたそうです。子どもの視線反応は、無意識的・暗黙的な認識の反映の可能性があることが明らかになったのです。

このように、乳児と幼児とで研究結果が食い違うことがあり、研究者を悩ませますが、そのような食い違いは直感に反するからこそ興味深く、議論する価値がある問題と森口は言います。

次には、いよいよ乳児について、近年飛躍的に増えている社会的認識の研究について森口が紹介しています。その前に、ヴィゴツキーによる「発達の最近接領域の理論」という本の中のこんな文章を紹介しています。「あらゆる高次精神機能は子どもの発達において2回あらわれます。最初は集団的活動・社会的活動として、すなわち、精神間機能として、2回目には個人的活動として、子どもの思考内部の方法として、精神内機能としてあらわれます。」

森口は、人間は、社会的な生き物であり、他者と共同して生活をしていると言います。物理的にも精神的にも、一人で生きていくことはできないと言います。社会を形成し、その社会集団の中で、自分の与えられた役割を担って生きています。そして、その他者を時には思いやり、時には欺きながら、集団の中で生きているのです。ピアジェ以降の研究では、乳幼児の有能性を示す研究が大きな流れとなりました。その中で、30年ほど前から急速に進展した研究領域が、他者の心についての認識である、心の理論に関する研究なのです。心の理論研究は、自閉症と接点を持つことなどによって、最も研究が盛んな分野となっているそうです。

まず、ヴィゴツキーの乳幼児観とはどういうものだったのでしょうか?彼は、後にロシアの一部となるベラルーンで生まれたユダヤ人です。生まれた年がピアジェと同じ1896年だそうです。彼が過ごした時代のロシアは、激動の時代だったようです。1917年にロシア革命が起こり、スターリンの独裁下ではソビエトにおける児童学は迫害を受け、ヴィゴツキーの死後には児童学が公式に禁止されるなど、学問に打ち込みやすい時代であったとは言い難い時代だったようです。

ヴィゴツキーは、病気がちで、37歳という若さでこの世を去っています。彼が心理学に携わったのは20年にも満たない期間であり、その期間で偉大な研究をしたのです。彼は、発達心理学はもちろん、教育心理学や芸術論、そして障害児教育に至るまで、幅広い分野に影響を与える理論を構築したのです。彼の理論が国外に知られたのは後のことだったそうですが、行動主義が浸透している時代の中で、ピアジェの理論が広まる中で、一際異彩を放ち、そして革新的だったのです。

ピアジェにとって、乳幼児は活動的な存在であり、科学者でした。周りの他者の影響を重要視せず、子どもは自力で発達していくという考えでした。この点が、ヴィゴツキーとは大きく異なるところなのです。