暗黙的

カミロフスミス博士の表象書き換え理論では、表象を大きく暗黙的なレベルと明示的なレベルに分けます。暗黙的表象とは、最も原始的なレベルで、潜在的、無意識的なレベルの表象を指します。子どもはこの表象を利用できるものの、これを他の表象と関連づけたり、要素に分割したりすることができません。たとえば、曲の演奏をするとき、知識として身につけてはいるものの、意識的に柔軟に利用できてはいません。それに対して、明示的なレベルになると、自分なりにその演奏をアレンジしたり、曲の途中に他の曲を挿入したりするなど柔軟な演奏が可能になるというのです。

この理論の肝は、すでに暗黙的に持っているレベルの表象が、書き換えられることで明示的な表象になっていく点です。書き換えるとは、すでに持っている表象を別の形式で表象し直すということであり、ある領域の表象がその領域内の別の表象や別の領域の表象と関連づけられるということです。明示的なレベルにも、別の表象と関連づけられるというレベルと、意識的にアクセスし、言語で記述し他者に伝えることができるようになるレベルなどに区別されるそうですが、発達は、このような書き換えプロセスとしてみることができると言うのです。

スポーツの世界において、名選手が必ずしも名監督になれないのは、暗黙的な表象が明示的な表象にうまく書き換えられず、言語的に他者に伝えられないからかもしれません。このことは、私は、いい保育者が、必ずしもいい園長に、いい教員が、必ずしもいい校長になれるとは限らないことでも同様に見ることができると思っています。いい保育者として、自然に子どもへの対応ができ、子ども理解ができても、園長になると、それを別のレベルである言葉で職員に伝えなければならないからです。言語で記述し他者に伝えなければならないからです。これらのレベルは区別されているようです。

この書き換えプロセス自体は、どのような領域、たとえば、物理、心理、生物領域などでも起こりうる領域一般的なものだと言われており、それぞれの領域の知識や表象の状態によって、いつ書き換えが起こるかは異なるそうです。その意味で、領域固有の考えと領域一般の考えを両方取り入れたものだと言えるそうです。また、ある知識が、明示的なレベルで表象されるようになったからといって、暗黙的な表象が失われるわけではなく、同じ知識が複数の表象レベルで貯蔵されていると言います。

ボールを水平面に落とす実験のような物理的認識の研究で、視線と探索行動の乖離は、暗黙的・明示的な区別で説明できると言います。つまり、視線のような測度は暗黙的な表象を反映しており、探索や言語反応は明示的表象を反映しているというのです。

この点に関して、視線での予測が意識的な認識を反映しているかどうかを検討した研究があるそうです。この研究では、視線と言語反応の両方を指標としたそうです。この実験では、二つの箱のうち一方に玩具が入っているのですが、就学前児は視線を指標にした場合は、正しい箱を見るのに、言語的な反応を指標にすると、不正解の箱を選択したそうです。そこで、この研究は、視線が本当に無意識的な認識を反映しているかどうかを調べたそうです。