暗黙と明示

ベイラージョン博士のグループの研究が、サイエンス誌に発表されました。この研究では、期待違反法を用いて15ヶ月児の誤信念理解を調べたものだそうです。この実験の標準的な誤信念課題の特徴は。登場人物が一人である点だそうです。まず、黄色い箱と緑の箱を置いておきます。そこへ登場人物が現われ、対象を数秒持ち、緑の箱の中に入れます。乳児はこのような様子を数試行見て、馴化させられます。その後、登場人物の前の壁が下りて、登場人物から二つの箱の様子が見えなくなります。この間に、緑の箱に入っている対象が、自力で黄色い箱の中に移動します。標準版誤信念課題では、もう一人の登場人物が玩具を移動するのですが、この実験では対象が自分で動きます。その後、壁が上がり、登場人物が再びあらわれ、テストが与えられます。テストでは、登場人物が緑の箱を探す条件と、黄色い箱を探す条件が与えられました。ここでは、登場人物は玩具が黄色い箱の方に移動したことを知らないわけですから、緑色の箱を探すはずです。この実験が、注意深く設定された統制条件とともに行なわれました。その結果、黄色い箱を探す条件の方が、緑色の箱を探す条件よりも、注視時間が長いという結果が示されたそうです。つまり乳児は、登場人物が黄色い箱を探すことに驚いたということです。これは、乳児が他者の誤信念に対して、感受性があることを示していることになるのです。

様々な研究者が、1歳から2歳の乳児を対象にしてこの実験結果を追試しているそうで、この結果は妥当であると考えられています。さらに、最近では、手法を変えて7ヶ月児でも他者の誤信念に感受性がある可能性も示されているそうです。これらの研究は、洗練された素晴らしい研究だと森口は言いますが、問題は、これらの結果と標準版誤信念課題における4歳半の結果の間の、3年間のラグをどう埋めるかだと言います。乳児研究を推進するベイラージョン博士らは、幼児を対象にした誤信念課題を通過するには、他者の誤信念を推測する能力に加えて、反応選択システムと反応抑制システムの三つが必要であると述べているそうです。反応選択システムとは、課題の質問に答える際に、誤信念の表象に対して言語的にアクセスするシステムのことで、反応抑制システムとは、間違った箱を答えそうになるのを抑制するシステムのこととしています。この三つが必要ということは、幼児版の誤信念課題には不必要な要素が含まれており、誤信念理解を正しく評価できていないのではないかと言うのです。もう一つの考えは、乳児研究も幼児研究も誤信念理解を測定しているのですが、そのレベルが異なるという考え方だそうです。乳児版のように視線で計測されるのは暗黙的な理解であり、幼児版のように言語で説明させるのは明示的な理解であるというものです。

これは、私が乳児研究において常々考えていることで、その姿を見せないと、そのことを理解していないとすること、口紅を塗った鏡を見て自分の顔に手をやらなければ、鏡に映った自分の姿を、自分の姿だと理解していないとすることに違和感を感じるのです。明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかです。

乳児研究の結果を受けて、誤信念課題をつくったバーナー博士らは、発達心理学専門誌で心の理論特集を組み、明示的な誤信念理解の重要性を強調しているそうです。

暗黙と明示” への13件のコメント

  1.  「明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかです。」とても興味深い問題ですね。心の理論を考える際にとても重要なポイントとなる考え方のように思われるところで、物事を理解しているか否かについてその表出の有無をどのように捉えるかという部分は本当に繊細なところだと思います。先生が著書の中で子どもの挨拶について触れられていたことを思い出すのですが、恥ずかしくて保護者の後ろに隠れたとしてもそれがその子の挨拶だろうと考えれば、「おはようございます!」と元気良く言えていないからその子は挨拶のない子だ、と断定することはできないように思えます。暗黙的な、その子の心に他者が思いやって理解できることというものがあり、明示的なことだけで判断しかねないことが多分にあるのではないか、ということが乳児研究における大きな課題であることを再確認しました。

  2. 子どもたちのある言葉を発して判断していた研究から、「暗黙」であっても理解しているという判断が可能になる研究であれば、これまで以上の研究結果が期待できるのですね。「乳児が他者の誤信念に対して、感受性がある」ということも、わかってはいるがあえて言葉を発さない、まだ言葉を発せられないという未知なる部分にいる乳児理解を可能にしたという発見は、なんだか凄すぎて逆に理解できていません。子どもの世界でも「暗黙の了解」のようなものは存在すると、現場を見て感じています。しかし、それは言葉を発してからであると感じていましたが、決してそうではなく、7ヶ月からも理解しているというのは本当に驚きです。

  3. 期待違反法を用いて15ヶ月児の誤信念理解を調べた結果、「乳児が他者の誤信念に対して、感受性があることを示していることになる」ことに驚きました。誤信念理解は4歳半と以前にあったので、その間の3年のタイムラグは不思議ですね。そこから考えられる2つの考え方のうち、後者の「レベルが異なるという考え方」が何となくしっくりくる気がします。「明示的な理解」と「暗黙的な理解」ともあり、15ヶ月児ぐらいの乳児でもできている「暗黙的な理解」から、4歳半ぐらいの幼児になってからできる「明示的な理解」に至るまでに3年程を要するのかなと単純に考えました。これらのように幼児にならないと不可能と言われてきたものが、暗黙的な理解の上では乳児から可能なものがもしかしたらたくさんあるのかもしれないなと感じました。

  4. 乳幼児の研究において、言葉などのはっきりと分かるものが返ってくることを明示的、視線などのことを暗黙的な理解というんですね。その上で、どちらが判断基準として正確であるのか、ということが言われているということなんでしょうか。確かに、難しい問題であるように思いますが、子ども集団で暮らす子どもたちの間には、暗黙の了解の中でのルールや解決などがあるのは確かなことだと思います。乳児研究では、暗黙的な理解を示してくれるからこその今日の発展であるのかな、と感じます。その暗黙的なものを7ヶ月の赤ちゃんでも理解ができているかもしれないということを考えると、耳を疑ってしまいそうです。

  5. “明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするか”といったところから実験の解釈の難しさがあるような気がします。視線による暗黙的な理解では、明示的なものと比べ、分かりやすい結果のように思えますが、考えてみると、脳の発達、拡大のピークであるエモーショナルコントロールの時期であったり、乳児期から相手へ対して感受性であったり、心の理論のような目には見えないなかでの成長は計り知れないものがあることを思うと、暗黙的であるが故に、さらに、可能性を秘めていると考えるこてができます。

  6. 他者の誤信念に対して、感受性があるということが追試実験によって、1歳から2歳の乳児でもあると考えられているのですね。そして、最近では7ヶ月の乳児でも他者の誤信念に感受性があるということまで分かってきているのですね。ですが、「その姿を見せないと、そのことを理解していないとすること、口紅を塗った鏡を見て自分の顔に手をやらなければ、鏡に映った自分の姿を、自分の姿だと理解していないとすることに違和感を感じるのです。明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかです」という藤森先生の言葉がありました。7ヶ月の乳児でも感受性があるということが研究によって分かってきたということは、であるかエア、生まれたばかりの子には感受性がないということにはなりませんね。明示的に示されただけにすぎないのですね。このことからはとても大きな気づきをいただいたように思います。明示的なものが全てではない意識というのは保育や人と関わる上では大切になってくる部分なのかもしれないなと感じました。

  7. 確かに物事の理解をほかの人に示すときは明示的にする事で理解をしていると、と判断しがちかもしれません。しかし乳幼児のように視線での計測でも暗黙的な理解をしていると分かれば、それも立派な理解だと思います。私たち現場としては、どちらの状況もしっかりと受け止めてあげる必要があるように思います。幼児でも理解していても、、なかなか言葉にできない状況の時に、明示的にこだわるのでなく、気持ちに寄り添ってあげることも大切なような気がします。

  8. 「乳児版のように視線で計測されるのは暗黙的な理解であり、幼児版のように言語で説明させるのは明示的な理解である」とあり、さらに「明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかです。」ということですが、正直判断できるところなのかと思うところもあります。乳児の暗黙的な理解もそもそも言葉を発することができないことからそうした表し方であり、こうした実験になっているので、それぞれの実験の仕方ということになるのですかね。最後にある「明示的な誤信念理解の重要性」というのは明示的なことの理解をすることでよりどんなことが重要なのか気になるところです。

  9. 乳児版の誤信念課題があるんですね。その結果、黄色い箱を探す条件の方が、緑色の箱を探す条件よりも、注視時間が長いという結果が示されたんですね。そして、様々な研究者が追試したとこと、結果が妥当であると考えられ、信憑性が増したわけですね。そのあとに、これらの結果と標準版誤信念課題における4歳半の結果の間の、3年間のラグをどう埋めるかとあり、たしかに、この3年はどうなっているのだろうと不思議に思いました。言語で説明する明示的、視線で計測する暗黙的の話があり、明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかとあり、難しいところですね。この後の話では明示的な誤信念理解の重要性を強調しているとありますが、どうなっていったのか楽しみです。

  10. 「明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするかです。」という文章が、印象的でした。乳児と幼児で理解しているとされる基準が違うのですね。暗黙的な理解の時点で理解しているとすると、子どもの持つ力の可能性がさらに広がりますね。今回のブログを読んで、幼児が言葉で表現できなくても理解していることがあると知っておくことが保育士として、大切なことだと感じました。保育は、子ども一人一人のことを理解することで子どもに合った関わりができると思いますが、今回の話でも、乳児と幼児の視点で見るのではなく、一人一人を知り、理解の基準も一人一人異なるのかもしれませんね。”研究”になるとまた、違ってくるのかもしれませんが、そうした意識を大切にしたいなと感じました。

  11. 明示的な理解を理解とするか、暗黙的な理解の時点で理解とするか。これは保育の中でもよく考えなければいけない内容ですね。「わからない」と口では言っていても理解していて意地を張っていることやわかっていたならやることなど、相手の心は覗けないので、こういったときに大人は明示的な行動や行為を求めてしまいがちになるように思います。喧嘩を収めるときに大人が「ごめんなさい」を言わせるのもこれに似ているのかもしれません。しかし、こと心理学においてはこういったことを重要視するほか赤ちゃんのデータをとることができず、その重要性を強調するほかないのかもしれません。これにおいて保育では共感をもとにどう子どもを見ていくことができるのかを議論することがありますが、研究者の方々はこのことについてどう工夫していくのでしょうか。

  12. 早速、誤信念課題通過年齢説を一歩進める実験が行われていることが紹介されまして。研究というものは停滞や遅滞ということがなく、常に進み続けている。流行している、のですね。「3年間のラグをどう埋めるか」こんどはこの「3年間ラグ」の問題が研究対象となり、新たな事実の解明に繋がるのでしょうね。暗黙的と明示的は以前のブログでも取り上げられておりましたが、確かに暗黙と明示の表象相違はあってもその力なり能力があることを信じてもいいのだろうと私は思います。しかし、それではいけないのが研究者の使命なのでしょう。実験という科学的手法により事実を明るみに出す。しかし、科学的手法は何も実験だけではないのかもしれません。AIの進化によって新たなる手法が登場してくると再び新たな事実が私たちのもとに提供されるのでしょう。これまた楽しみです。

  13. 「視線で計測される」暗黙的な理解と、「言語で説明させる」明示的な理解において、そのレベルが異なるというのはわかるきがします。先生がおっしゃるように明示的な理解の方が理解を示す方は多いでしょうね。ただ、暗示的であれ自分の姿を理解しているという所は、子どもにかかわる上ではやはり理解すべきで、そこから言葉で説明する明示的というのはまた別の発達もかかわっているようにも感じます。バーナー博士らは、明示的な誤信念理解の重要性についても詳しく知りたいですね。

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