心の理論の獲得

ダンバーは、そもそも私たちを人間たらしめているものは何なのか?その答えを探っていくと、他者の心を理解できる能力にどうしてもたどりついてしまうと言っています。発達心理学の最近の研究によって、人間の子どもも生まれたときはその能力を持っていないことが明らかになっています。すなわち、「心の理論」が獲得できていないというのです。4歳くらいで急に出現するのだと考えられています。それまでは、自分が見たり、聞いたりするのとは別の世界が存在することが理解できないというのです。缶の中のお菓子を誰かがこっそり食べたのを目撃したら、ほかのみんなもその事実を知っていると思うと言うのです。しかし、成長するにつれて、お菓子が食べられたことを知らない人もいるのだとわかってくると言われています。

心の理論は、人間らしさを構成するすべてのものの入口であると言われています。文学作品が生まれるのも、宗教が出現するのも、科学が実践できるのも、すべて心の理論あればこそだと言うのです。政治的なプロパガンダや広告は、他者の心の内側を理解すること、その中身に手を加えて行動を変えさせることが二本柱になっていると言うのです。

心の理論は、独特の能力であり、言葉それ自体も心の理論に支えられていると言います。しかし、すべての人がこの能力を有しているわけではないのです。自閉症患者には心の理論が欠如しています。というより、そのことが自閉症の決め手となる最大の特徴なのです。しかし、自閉症患者は、それ以外の知的能力は正常だったりしますし、ときにはずば抜けた能力を発揮することもあります。そのことを、ダンバーは映画「レインマン」を例に挙げています。この映画でダスティン・ホフマン演じたのは、数字に関しては超人的な記憶力を持つ自閉症患者でした。そのいっぽう、自閉症患者は人間関係を築くことが極端に苦手です。他者の心情や考えに思いが至らないので、人と人が接するときの微妙な反応が理解できないのです。

ここで浮上してくるのが、「心の理論は人間にしかない能力か?」という疑問です。イヌやネコが飼い主の心を見透かしたかのような賢い振る舞いをすることがありますが、人間以外の動物が他者の考え方や気持ちを読めるという明確な証拠はありません。唯一の例外は、大型類人猿だけですが、人間で言うならばせいぜい4歳児並みだそうです。その年齢ですと、心の理論はまだ発達途上なのです。

しかし、ここで疑問が立ちはだかります。私たちが道徳心を持ち、人間らしくいられるのは、心の理論をはじめとする特別な認知能力に支えられているからだというのです。そうした認知能力は、人間以外では大型類人猿も持っていると言われています。大型類人猿しか持っていないと言うべきかもしれないとダンバーは補足しています。そのいっぽう、人間なら全員あるかというとそうではなく、幼児、自閉症患者、精神面で重いハンディキャップを持つ人は、この能力が欠落しています。大型類人猿とヒトのあいだにはむろん遺伝子的な隔たりがあるはずですが、ではいったい誰が道徳的な存在で、誰がそうではないのでしょうか?

自閉症患者が人間であることを疑う人はいません。1歳児についても同じことです。もちろん、すべての人権は両者に保障されてしかるべきであるとダンバーは考えています。彼らがコミュニティの正当かつ対等な構成員であることを認めるのであれば、むろんそうすべきですが、遺伝子的にはいささか離れるとはいえ、同じ認知的能力を備えた種はどう扱えばいいのでしょうか?

心の理論の獲得” への14件のコメント

  1. ヒトをヒトたらしめている能力が「他者の心を理解できる能力」とダンバー氏。いわゆる普通の「大人」には「他者の心を理解できる能力」があるのか、と私は疑問に思うことがあります。そして、自閉症の子や3歳未満児には「他者の心を理解できる能力」がないと決めつけるエビデンスはどこにあるのか?という問題意識もあります。「4歳くらいで急に出現するのだと考えられています。」とありました。「急に出現する」という理解自体、これでいいの?と思います。3歳になるまでヒトは他者理解は不可能、理解とは別な原理で他者と関わる、ということか?本当か?と考え込んでしまいました。そこは、一般人と学者の違い、直感に頼る人とデータによる人の違いでしょう。私には信仰心があります。データ信者はデータにできないヒトの心は論外なのだろうか。何だかいろいろと考えさせられます。「そもそも私たちを人間たらしめているものは何なのか?」この問は私自身の問いでもあり、私自身の生、妻や息子の生きざま、職場の同僚や子どもたち、そして保護者の方々の有り様、について考える際の指標にもなります。

  2. 心の理論は、人間らしさを構成するすべての入り口とありました。人は心の理論を獲得しているからこそ人であるということがありました。そして、疑問として浮上していることにも繋がりますが、「自閉症患者が人間であることを疑う人はいません」とあるように、それでも他者の考えていることが理解できない自閉症患者のような人は人ではないという考えにはなりませんね。では「遺伝子的にはいささか離れるとはいえ、同じ認知的能力を備えた種はどう扱えばいいのでしょうか?」とありましたが、難しい問題です。なんだか禅問答のように思えてしまいますが、このようにあらゆる疑問をとにかく潰していくというか、解決していった先に新しい発見を見つけるヒントが見えてくるということなのでしょうか。子どもたちが考えていることを大人が感じる上でもこういったことが大切になってくるのかもしれません。子どもの行動の中には「どうしてそんなことをするんだろう?」と思えることがたくさんあります。ただ、悪いこと、良いことと決めつけるのではない考え方を持っておかなければいけないなと思わされました。

  3. 人間たらしめているのもは何なのか?その答えをかを探っていくと「他者の気持ちを理解できる能力」とあります。これまでの話の流れからもなんとなく理解できているつもりです。しかし、その後に自閉症患者の話になります。自閉症患者は極端に他者との関係を構築するのが苦手であり、他者の気持ちをなかなかつかみとれないとあり、この人たちはヒトではないのか?いいや、そんなことは断じてない。うーん、例外のない答えを出すのは難しいですね。しかし、こういった人間たらしめているものは?という疑問を考えつつ、それが人間らしいこととつながって、これから大切にしていかなければならないことにつながること、すごく勉強になります。昔はみんなで協力し、育児や狩りなどをしていたそうですし、そういった社会ではなおさら他人を理解していかなければ叶わないことだと思います。技術の進歩でひとりでもできることが増えていますが、大切なことを見失わないように気をつけたいです。

  4. 心の理論を「缶の中のお菓子」という例えにしたら非常にわかりやすかったです。「成長するにつれて、お菓子が食べられたことを知らない人もいる」というのは、まさに社会というものを理解する上でも必要ですね。目には見えないところで、自分が知らないところで、物事が進んで行っていること、多くの協力者がいるということを理解するというのは非常に大切ですね。それを理解するには「4歳くらいで急に出現する」とあるように、2・3さいのイヤイヤ期が過ぎ去った頃から、理解できるようになるということでしょうか。イヤイヤ期がもたらすものが意外にも関連しているような気がしました。このような心の理論を獲得する過程が、同じ認知的能力を備えた種によって異なるのであれば、それは気になります。そこから、保育方法が見えてきますね。

  5.  「ダンバーは、そもそも私たちを人間たらしめているものは何なのか?その答えを探っていくと、他者の心を理解できる能力にどうしてもたどりついてしまうと言っています。」螺旋階段のように心の理論への学びをしてきているように感じ、過去に学んできたことが壮大な布石となり、こうして繋がっていくことに感動を覚えます。
     そして、「缶の中のお菓子」の話のように、まだその段階にある大人も少なくないと感じました。心の理論についての勉強をこうして深めれば深める程、保育においての重要な部分、本質というものが見えてくるように思うのですが、その手前でやりとりをせざるを得ない例が日常の中に多々あるというのが現状であると思います。言ってみれば、こうした教えに触れることのできない人こそ実はとても可哀想な存在で、とても息苦しい生き方を迫られているのだと思います。「成長するにつれて、お菓子が食べられたことを知らない人もいるのだとわかってくると言われています。」人間は成長を求められているのですね。

  6. 「心の理論」というのは4歳頃に急に出現するんですね。ということはそれまでは、例にもあるように〝自分が見たり、聞いたりするのとは別の世界が存在することが理解できない〟とあり、そのことを考慮した接し方が必要であるということなんですね。
    心の理論が出現するためには、2歳児での発達を踏まえていないと表には出てこないということで、「自我の芽生え」などが必要なものであるということなのかもしれないな、ということを思いました。

  7. 「心の理論は、人間らしさを構成するすべてのものの入口である」とあったことが印象的でした。また、この心の理論は「人間の子どもも生まれたときはその能力を持っていないことが明らかになっている」とありました。人は生れながらに能力を備えていて、それを引き出せるかは環境次第であることを以前のブログから学んだので、今回もそうなのかなと思っていましたが、心の理論は違うのですね。そして、「4歳くらいで急に出現する」とありました。ということは、何か4歳になる前くらいで心の理論出現における大きなきっかけがあるということでしょうか。パッと浮かんだのは魔の二歳児でのイヤイヤ期ですが、どうなのでしょうか。また最後の「同じ認知的能力を備えた種はどう扱えばいいのでしょうか?」というのは難しいですね。その線引きを明確にし過ぎてしまうとまた新たな議論、論争が引き起こりそうですが、こういったこと一つ一つとしっかりと向き合っていくことが次なる発見などにつながるのかなと感じました。

  8. まず、ダンバーが、そもそも私たちを人間たらしめているものは何なのか?という疑問を持ったことにすごいなと感じます。そんなところに気づく?というような発見ができる人というのはなんだか素直といいますか、真っ直ぐというような印象を受けます。
    心の理論について、缶の中のお菓子が例にあげられていました。4歳になるまでは、「ほかのみんなもその事実を知っていると思う」のですね。そして4歳から「心の理論」が身についてくるのですね。このことを今回のブログで知りましたが、発達の過程を知ることでより子どもが何を思っているか理解できると思いました。普段の子どもとの関わりの中で、ブログで取り上げられたことがでてくると、より楽しいと思いました。

  9. 一方の知識、見え方を幼い頃はしていても、成長をすることで別の見え方もしていくことが広がりを持つことができますね。認知的能力とありますが、もしこれが欠如していた場合、よくサイコパスと耳にしますがそれもこれにあたるのでしょうか。道徳とありますが、全ての人に当てはまりますが、全ての人が理解しているのかといえば難しく、それを推し量ろうとしても断定できませんね。

  10. ただ間違えてはいけないのは、同じ人間だということだと思います。なんらかの障がいを抱えているヒトはいます。大学の心理学の先生が言っていたことを思い出しました。「障がいのある人は目に見えているだけで、私たちにもなんらかの障がいはあります」これは、健常者と障がい者区別する必要はないという言葉です。脱線しましたが、等しく同じだというのが、道徳の前提にあるものなのではと思いました。

  11. 心の理論が出てくる時期が4歳頃に出てくるというのは、理解力、想像力や自分と他者の区別ができるようになるための経験が構築されてくるような時期なのでしょうか。゛
    心の理論は、人間らしさを構成するすべてのものの入口である゛と言われていることからも人が人格を形成していくなかでなくてはならないものは、対人という心を通わせることができるヒトとヒトとのつながりのように思えました。また、゛自閉症の決め手となる最大の特徴゛とあることからも、確かに行動面から見れば、コミュニケーションの部分で、他者との共存や他者理解という意味では、気持ちを汲み取ることが苦手だったりと表面的にでています。こういった面のケアというものがやはり、ヒトであり、理解を得た配慮を行うことで、様々な関わりをもつ機会を得ていると思います。こういった自閉的な要素を持ち合わせたことをわたしたちはより一人の形成者だと意識し、保育するなかで互いの気持ちを共有する経験をしていくのでしょうね。゛ではいったい誰が道徳的な存在で、誰がそうではないのでしょうか゛という言葉からも心の理論が出てくる、出なかったもので、認知的能力の有無を決めるのはおかしなことで、むしろ、互いにできる部分と苦手な部分を補い合う関係性が作れるのではないかと思います。道徳心とはなにか、考えていきたいです。

  12. 4歳で急に「心の理論」を獲得できるということですが、私の息子が今年の9月で4歳になるので、楽しみです(笑)ただ息子が最近になって「どうして?」「なんで?」とやたら聞いてくるようになりました。おそらく純粋にわからないことに疑問を持ち、知りたがっている様子ですが、おそらくこういった行動はだいたいの子どもが通る道だと思います。個人的に思ったのは、これも「心の理論」を獲得使用している第一歩のような気がします。物事に対してでなく、人に対しても疑問を持ち、やっていい事とダメな事を理解し、なぜダメなのか?相手がどんな気持ちになるのか?と共感しようとしている気がします。とは言え、私個人の勝手な考えですが、少なくとも心の理論を獲得するには、やはり人間同士、集団が重要になってくると思います。一人で学べることは限界があり、それを越えてくれるのが集団のような気がします。

  13. 「自分が見たり、聞いたりするのとは別の世界が存在することが理解できないというのです。缶の中のお菓子を誰かがこっそり食べたのを目撃したら、ほかのみんなもその事実を知っていると思う」というのは非常にわかりやすいですね。幼児クラスになるとお友だちがこっそりなにかしていることや体調が悪そうなことを先生に教えてくれます。そういったことが心の理論を理解し始めているということなのですかね。そして「いったい誰が道徳的な存在で、誰がそうではないのでしょうか?」という問いというのもまた難しく「自閉症患者が人間であることを疑う人はいません。」とあるように線引きというのは難しいことでもあるのでしょうか。「同じ認知的能力を備えた種」どう理解していったら良いのか次も読み進めて深めていきたいところです。

  14. 「心の理論」を人間が持っているというのは間違いないですが、それは大型類人猿も程度はあれど、その力は持っている。反面、人間は自閉症や精神面でハンディキャップを持つ人、幼児などは心の理論が欠如している。というと「心の理論」が人の独特の能力ではない。また、人は道徳心を持ち、人間らしくいられるのは心の理論をはじめとする特別な認知能力に支えられているが、そうした認知能力は大型類人猿も持っている。まとめて書き出せば書き出すほど、より難解になってきます。結局、「何思って人間なのか?」という疑問から解消しなくなります。「大型類人猿よりも能力が高度だからなのか」ということにしか、答えが見つからないです。しかし、保育をしていて感じるのはその高度化できるのは集団の中でコミュニケーションを行っているからのようにも思います。特に乳幼児期にどうかかわりを持たせるのか、とか、じりつという方向をどう持たせるのかで、「心の理論」における意識水準の幅にも影響があるように感じます。

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