韓国報告26

 韓国の3歳以上児に対して「ヌリ課程」というカリキュラムが定められており、それに沿った保育をすることが義務づけられています。そのヌリ課程には、かなり詳細に書かれてあるようです。保育の内容だけでなく、保育者の言葉がけ、保育室の構成、装飾に至るまで具体的に書かれてあるようです。そして、それを作るに当たって、先駆的な各国の保育を参考にし、特にレッジオにおけるプロジェクト保育を参考にしたようです。  その根底にあるのは、子どもの自発的な遊びを中心に、主体的に生活することであり、それを原則にしています。それは、世界中のすべての幼児教育の原理原則であると捉えています。しかし、烏山大学の大学院教授の孔教授によると、日本には、それを原理原則とした日本独自の保育カリキュラムが少なく、私たちが提案する「見守る保育」には、まずその原理原則があるということで、その本の韓国語版を出版してくれたのです。そして、そこにある保育者と子どもの距離感、子ども同士の関係の構築、そんな現在の韓国の抱える課題を見つけ、今後、日韓で連携をしていくことを今回の韓国視察ツアーで約束してきたのです。 もうひとつの課題は、保育の独自性であり、保育者の柔軟な保育を可能にするカリクラムの作成です。19世紀1800年代の末、多くの国で公教育制度が整備され、20世紀初頭には、公教育制度の量的な制度は完成しました。日本でも、学制ひかれ、日本一律の教育が行なわれました。まずは、具体的に、細かく決めることで、日本中の教育水準の引き上げを行なったのです。それが、行き渡った頃、次の課題が見えてきました。それは、「もっと子ども一人ひとりの個性を伸ばしていこう」というスローガンのもと、「個性の尊重」、「自主的・主体的な活動の尊重」が叫ばれることになったのです。

 これらの経緯を振り返ってみると、現在の日本の課題が見えてきます。日本では、戦後の幼児教育では、その原理原則に沿ったスタンダードな形が行き渡らないまま、独自性を重んじた大綱化による要領が作られたために、戦前の幼児教育を残してしまっている園が多く存在しているような気がします。大きな改革をするためには、韓国のような詳細に記載したカリキュラムで、まず日本における幼児教育のスタンダード化を計り、それが行き渡った後、大綱化した要領を出すべきである気がします。いくら、保育所保育指針や幼稚園教育要領の中で、子どもの自発的な遊びが大切であるとか、主体的な生活をすることが大切であると書いても、それのより具体的な保育の取組みが書かれていないため、現場では、なかなか改革が進まないのが現状です。新しい、幼稚園教育要領、保育所保育指針が現場で具体的に活かされていくことを望んでいます。

 そんなことを考えた今回の韓国視察でしたが、保育に関係のないところでも、韓国の文化を知ることができました。まず、毎朝の食事ですが、ホテルの食事は摂らずに、街に出て、一般の人たちがよく食べている食堂に行って、その代表的なメニューを食べることにしました。もちろん、夕食も代表的な韓国料理ですので、韓国を堪能しました。しかし、私はあまり辛いものは得意ではありませんので、なるべく辛くないものにしてもらいましたが、それでも毎日キムチ付けでした。1031日の夕食は、「鶏なべ」、111日の朝食は、「タラの粥」、昼食は、「豚カツ」か「うどん」が「ビビンバ」、夕食は、「辛い鍋+ラーメン」、2日の朝食は、「コムタン」、昼食は、「石焼ビビンバ」、夕食は、「サムギョプサル」、3日の朝食は、「アワビがゆ」、昼食は、「サムゲタン」でした。そして、最後の夜は少し贅沢に「カルビ焼き肉」、韓国最後の朝食は、「味噌立てクッパ」や「うどん」など本人の選択でした。

11月1日の朝食の、「タラの粥」と、昼食の「ビビンバ」と「うどん」
11月1日の朝食の、「タラの粥」と、昼食の「ビビンバ」と「うどん」
11月1日の夕食の、「辛い鍋+ラーメン」と、2日の朝食の、「コムタン」と、昼食の、「石焼ビビンバ」、
11月1日の夕食の、「辛い鍋+ラーメン」と、2日の朝食の、「コムタン」と、昼食の、「石焼ビビンバ」、
3日の朝食の「アワビがゆ」と、昼食の「サムゲタン」と、最後の夜の「カルビ焼き肉」
3日の朝食の「アワビがゆ」と、昼食の「サムゲタン」と、最後の夜の「カルビ焼き肉」

4日の朝食の「味噌立てクッパ」と、毎回でるキムチ

4日の朝食の「味噌立てクッパ」と、毎回でるキムチ

韓国報告26” への15件のコメント

  1. 子どもの自発的な遊び、主体的な生活が、世界中のすべての幼児教育の原理原則であるということをもっと多くの人に知ってもらいたいなと思います。それが基本中の基本、原理原則であるにも関わらず、まだまだ日本ではそのことがほとんどの人に認識されていないように思います。それは教育界でも
    そうであるというのがなんとも歯がゆいです。しかし、見守る保育をされておられる全国の皆さんの園ではそのことが当たり前のように実践されているということがとても心強いですし、すごいことだなと思います。そして、「まず日本における幼児教育のスタンダード化を計り、それが行き渡った後、大綱化した要領を出すべきである気がします」とありました。まさにこれがこれからの日本の課題になっていくのですね。日本における幼児教育のスタンダード化、それが見守る保育の考え方には詰まっています。

  2. 「原理原則に沿ったスタンダードな形が行き渡らないまま、独自性を重んじた大綱化による要領が作られたため」という言葉のように、日本の保育の歴史と同時に、なぜ今のような形になっているのかといった経緯を理解しなくては、現代での積極的なアプローチはできませんね。ドイツのカリキュラム「バイエルン」でも、ケンカの仲裁の仕方が細かく記載されているという話を聞きました。ヌリ課程であっても、このような細かい記載がされているのですね。より多く、より素早く、より大きく何かを広げる浸透させるためにの方法として、マニュアルという詳細が決められたものがあることが必須なのかもしれません。ある種、企業のような戦略というものも参考にできるのかもしれません。他国を視察することで自国を見直すきっかにするように、様々なものに興味を持ち、関心を持って行動したり調べたり、すぐに実践するなどして真理を読み解いていくことが必要なのですね。

  3.  〝日本では、戦後の幼児教育では、その原理原則に沿ったスタンダードな形が行き渡らないまま、独自性を重んじた大綱化による要領が作られたために、戦前の幼児教育を残してしまっている園が多く存在しているような気がします。〟保育園で働く保育者が自分の園の方針や〝やり方〟に違和感をもった時、先ず最初に行き着くであろう疑問の答えが集約された言葉だと思います。時代と合わない保育はそこで働く大人の良心を時に傷つける程に、子ども達に過酷さを強いることがしばしばあります。現状を変えられないが、今の保育に耐えられないと感じた時、そう感じる自分は間違っているのだろうかと答えを探そうと色々調べていく内に、藤森先生がよく仰る〝そもそも〟という考え方に行き着き、上記の答えを得るようになる、というプロセスがあるように思います。
     そして、〝大きな改革をするためには、韓国のような詳細に記載したカリキュラムで、まず日本における幼児教育のスタンダード化を計り、それが行き渡った後、大綱化した要領を出すべきである気がします。いくら、保育所保育指針や幼稚園教育要領の中で、子どもの自発的な遊びが大切であるとか、主体的な生活をすることが大切であると書いても、それのより具体的な保育の取組みが書かれていないため、現場では、なかなか改革が進まないのが現状です。新しい、幼稚園教育要領、保育所保育指針が現場で具体的に活かされていくことを望んでいます。〟次に続くこの文章が悩める保育者の一筋の光になることでしょう。やはり実際に新宿せいが保育園に足を運んでいただき、これからの保育について、今いる園の方針について様々に言葉を交わせたらと、やはりどうしても強く思ってしまうところです。
     それにしても韓国でのお食事、美味しそうです。キムチはやはり毎日なのですね。韓国を堪能!といった内容で、辛い物好きには堪らない(藤森先生にとっては…笑)3日間でしたね。

  4. 日本が隣国のように国を挙げて改革に取り組むのはいつの事やら。日本の政策に関与する学者と言われる皆さんは敢えて保育所保育指針や幼稚園教育要領の大綱化による「建学の精神」と「園の独自性」の保護に軍配を上げているようです。そもそも、21年前に日本が批准した「子どもの権利条約」についても法的措置をはじめとする具体的な施策を引き出す提案も出てこない。まぁ、できないものを願っても詮無きこと。前回のコメントでも触れましたが、幸い、私が従事する職場は、愚直なまでにも、子どもの権利と指針や要領の具現化に努め、さらに、人間とはそもそもどういう存在か、そして社会とはいかなる様態か、このことをしっかりと考えてくれるリーダーと、そのリーダーの考えに惚れ込み、一緒に未来を作り上げようとする人々で満ちています。この現場のことを具体的に発信していくことが私たちの役割でしょう。そして、一人でも多くの方に同調頂き、共に就学前施設のあるべき姿を実現し、一緒に提案し続ける、このことを置いて他にないような気がします。同調せずに、非難や批判する皆さんは、どうぞご自由に。真実はどちらにあるか、曇りなき心でお考え頂ければわかるだろうと信じています。今回のも熱いコメントになりました。なにせ、韓国料理は身も心も熱くしてくれます。それにしても、皆さんと別れて食べた朝食のスンドップチゲの辛かったこと。それまで割りと平気で料理を味わっていました。最終日の朝、これぞ韓国!と言える料理を汗だく、かつ口中をヒリヒリさせながら朝っぱら頂きました。ごちそうさまでした。それから、26回に渡る「韓国報告」ありがとございました。

  5. ヌリ課程には、”保育者の言葉がけ、保育室の構成、装飾に至るまで具体的に書かれてある”とあることから国全体の乳幼児期にたいする重要性に重きを置き、標準の向上が背景に見られます。そして、その背景には” その根底にあるのは、子どもの自発的な遊びを中心に、主体的に生活することであり、それを原則にしています。それは、世界中のすべての幼児教育の原理原則である”といったことが根底にあることが保育者が月案としてプロジェクトを作成し、子どもたちに期待や好奇心を持たせるような保育者側からの仕掛けという形のなかにも、自発的な遊びを中心にといったものが常に一番に考えているのでしょうね。私自身、話し合いなどで常に念頭におくものが子どもの主体性と考えています。一つ、核となるものがあると観点がブレることが少なくなることを感じます。そして、”戦前の幼児教育を残してしまっている園が多く存在している”と言われることが、日本の保育にそういった形が出来上がり、今もなお、それが根底にあることを自覚し、不易流行であることが必要だと考えられました。

  6. 〝子どもの自発的な遊びを中心に、主体的に生活することであり、それを原則にしています。それは、世界中のすべての幼児教育の原理原則である〟とあり、日本にはその原理原則とした保育カリキュラムが少ないとありました。確かに、おっしゃる通り少ないのかもしれませんが、全国の現場の保育士の先生方は普段の子どもたちをみて、どのように感じておられるのでしょうか。自分の主観になりますが、現場の保育士の先生方は上記のことが大切だ、ということを認識しておられるのではないのでしょうか。ですが、昔からの刷り込みやしきたりのようなものがなかなか離れず、もしかしたら悩んでおられるかもしれません。
    自分の嫁は別の保育園で保育士をしていますが、始めたばかりの頃よりも、自分の話しを理解してくれるようになりました。
    そのように、日本も徐々に変わりつつあるような気がしています。

  7. 「スタンダードな形が行き渡らないまま、独自性を重んじた大綱化による要領が作られたため」とあったことが、今の日本の保育の課題ですね。独自性は土台があってこそ十分に発揮されるものだということがわかります。日本では独自性を重んじて大綱化されていますが、スタンダード化ができていない、韓国ではスタンダード化ができているが大綱化にはまだ至らずで独自性に乏しい。少子化や女性の社会進出という現状は似通っていても、ここは対極にあることに不思議さを感じました。しかし、日本ではできていないところを韓国ができていて、その逆も然りなので、お互いにできている部分を参考にし合って、より良い形にしていける良い関係性が今後築けていけるように思えました。
    私は辛いものが好きなので、韓国料理はよく好んで食べます。メニューや写真を見てとても羨ましく感じました。今後韓国に行く機会を作れれば、韓国で実際に行われている保育を生で見てみたいですし、食も堪能したいなと思えました。

  8. 日本の保育の原理原則が明確ではないままここまできてしまっているということがわかりますし、これを理解した上で「 韓国のような詳細に記載したカリキュラムで、まず日本における幼児教育のスタンダード化を計り、それが行き渡った後、大綱化した要領を出すべきである」ということに繋がっていくのでしょうね。見守る保育を始めるときによくまずは真似てみてください。藤森先生がいうように真似てみてから独自性を出していく方がいいのですね。よりヌリ課程のようにより細かくかいてあることで人それぞれにの中に原理原則が染み込んでいき、そこから独自性が生まれていくようなイメージでしょうか。日本はまず明確な原理原則が必要なのですね。その原理原則が「見守る保育」であるように思います。全国に仲間がいることで確実に浸透していることは藤森先生のおかけですし、とても嬉しいことですね。

  9. 「子どもの自発的な遊びを中心に、主体的に生活すること」幼児教育の原理原則というのは私たち「見守る保育」を実践している園にとっては当たり前のことで、大前提です。その言葉を念頭に置いて保育や保育室の環境、保育者と子どもの関わりを考えると自然と同じ様な形態というか、初めて世界と同じレベルになります。そう考えると、日本ではまだまだ保育者主導の一斉保育が主流がn現実です。改めて考えるとなんだか悲しくなってしまいます。ちょうど息子を保育園に預けようと思っても、ほとんどの園が年齢別、一斉保育、という方法なので、どこに預けるのか探すのも一苦労です。ただでさえ待機児童で東京都は問題になっています。ただ逆に考えると東京という中心から保育が変われば日本中、あっという間に変わるのでないのかな?と少し思います。とは言え現実的には難しいと思いますが、あるテレビ番組で、よくメディアに出る有名な学者も8歳までお金をかけるべきだ、子ども同士の関わりが大切だ、と言っているのになかなか変わりません。韓国も既に「ヌリ課程」という世界水準の保育課程を作り実践し、次のステップに進んでいます。日本の幼児教育がますます心配になってきました。
    さて韓国の食文化はやはり「辛い」ものという印象です。私も高校の時に韓国の大学で合宿を行いました。食事も学食でしたが、基本的に辛かったのを覚えています。この辛さが韓国のパワフルな源なのか!と汗をかきながら食べたのを思い出しました。

  10. 私も韓国研修を同行させていただいた中で感じたことは「子ども観」といいますか、いわゆる「原理原則」ですね、それが日本はまだ現場に反映されるほどしっかりと構築できていないことを感じました。それが独自性という保育の大綱化によるものであるというのは明白であり、やはり保育のスタンダード化が必要ですね。なにより、能力や成績重視の日本にあって、本当に日本に必要な人材とはどういった人なのか、社会を支える人はどうしていかなければいけないのかをどう考えていくのか、現場はそこまで意識できるような枠組みではないように感じます。こういった姿勢・動向は韓国の方が意識しているのを受けましたし、ドイツ・オランダと見ても、保育が社会につながっている、意識しているのを感じました。

  11. ヌリ課程には、「保育者の言葉がけ、保育室の構成、装飾に至るまで具体的に書かれてある」とありましたが、スタンダード化することで韓国の保育の質を高めることができたのですね。日本は独自のカラーが強いですが、その保育の質は国が高めるものではなく、その職場でやってくださいという投げやりに近いものを感じます。保育所保育指針という告示化された目指すものがありながらも、まだまだ理解は足りずに保育士一個人の考えが強いように思えます。そうなると監査も保育ではなく、経営や書類ばかりを見てしまうのでしょう。まずは日本が目指す保育、社会を考え直し、スタンダード化することで質を高めてほしいと思います。

  12. ヌリ課程において、保育の内容だけでなく、保育者の言葉がけ、保育室の構成、装飾に至るまで具体的に書かれているというのは、聞けば聞くほどすごいですね。いま日本で同じことを目指そうとすると、いろんな方面からいろんな意見が出てくるでしょうね。こうした理想的な保育理念として見守る保育が一番良いところにあると思うのですが、それを全国に広めるにあたっては、韓国がどのようにしてヌリ課程を作り上げ、理解を得ていったかというところは非常に参考になりそうですね。

  13. 先生が講演で話をしますが、保育園の見学で、早く保育の原理原則の段階で感動しないように、日本の保育界のレベル?を上げていかないといけませんね。
    日本の経緯を今やっと理解できた気がします。なぜ、日本が大綱化してきたのかという経緯を知ると、課題が見えてきますね。また、こども1人1人の個性を伸ばしていこうとした時の、方法が間違うとまた同じような課題が出てくるような気がしますので、そこを慎重にしていかなければいけませんね。
    韓国では、体重が一気に増えて帰ってきましたが、それは確実に食事のせいでした。本当に美味しい料理ばかりで、ついつい食べすぎました。

  14. 「保育所保育指針や幼稚園教育要領の中で、子どもの自発的な遊びが大切であるとか、主体的な生活をすることが大切であると書いても、それのより具体的な保育の取組みが書かれていないため、現場では、なかなか改革が進まないのが現状です」とありました。日本の保育の現状について、改めて理解できた気がします。私は、短大を卒業して一年目から「見守る保育」を見ることができています。このブログ内で書かれている内容は、現場に入ったことのない短大時代には理解できなかったと思います。なぜなら、保育の学校で学んだことは、どちらかというと”保育者が子どもたちに向かって何かをする”ことです。日本の保育がこれから変化していくとしたら、保育の学校の授業内容も変化しなくてはいけませんね。

  15. 韓国の乳幼児教育と比較することで、日本の直面している課題というものがより明確に見えてきました。そして、それは戦後の教育のスタンダード化が十分ではなく、今も尚、その影響を受け戦前の教育の名残を残してし待っているという現状にも驚いてしまいます。時代は常に移り変わっているのですから、日本でもそれを踏まえた上で、早急に原理原則をしっかりと押さえた教育のスタンダードとなるものの見直しや整備が必要だと思います。そのようなしっかりとした基礎があってこそ、独自性というものが発揮されるということを感じました。

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