嫌悪に敏感な人

 この世には、互いに対立する属性を持った言葉があります。積極的と消極的、受動的と能動的、それは、日本語だけではなく、英語にもネガティブとポジティブなど相反する言葉があります。中国の易学では、宇宙の万物を作り、支配する二つの相反する性質を持つ気があるとし、積極的なものを陽、消極的なものを陰としました。このことは、ずいぶんと前になりますが、ブログで取り上げたことがありました。そのときのブログで、「桃太郎は、なぜ、桃から生まれなければならなかったのでしょうか?」ということを書いています。今、園では来週の土曜日のおたのしみ会の準備をしています。昨年から伝統がテーマですので、各クラス昔話を取り上げています。桃太郎は、昨年年中さんが演じました。

この話は、よく考えると不思議な内容です。なぜ桃から生まれたか?という疑問だけではなく、桃から生まれた桃太郎が、「なぜ、鬼退治に出かけたのか?」といった疑問もあります。平安時代、天文暦学の道に精通し、さまざまな奇跡を起こした陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社の境内には、「厄除桃」があるそうです。陰陽の世界でも、桃が重要な役目を持っていると考えられていたようです。ですから、リンゴからでもなく、梨からでもなく、桃から生まれたのです。

なんだか、話はそれましたが、ひとの他人に対する気持ちとして、「共感」があります。そして、この共感は多くの状況で思いやりに発展します。それは、他者の人格を認める糸口でもあるのです。それに対立する言葉として、「嫌悪」がありますが、この気持ちは、たいてい反感につながります。そして、嫌悪を感じると、他者を取るに足らない、むかつくものと見なし、人格を否定するようになると言います。さらに、嫌悪を感じると、他者への評価が厳しくなります。

これについてのさまざまな実験が行なわれてきたようです。この線に沿って行なわれた初期の実験で、クリア・ウィートリーとジョナサン・ハイトは、被験者たちに、ある任意の単語を見たら必ず厳しい嫌悪を感じるように催眠をかけました。そのあとで、被験者たちに、ささやかな道徳違反の物語を読んでもらいました。すると、例の単語を目にした被験者は、単語を見ていない被験者たちよりも、その行為をより不道徳と評価したのです。別の実験では、被験者たちに、散らかった不潔な机で、もしくはおならスプレーを噴射した部屋で、もしくは映画「トレインスポッティング」の、大使が詰まったトイレに登場人物が手を突っ込むシーンを観てもらった後で、もしくは嫌悪を感じた体験について書いてもらった後で、判断を下してもらったところ、こうした環境に置かれた被験者たちは皆、他者の行為について道徳的に厳しくなったそうです。

苦い食べ物を食べたときでさえ、人は、道徳違反により厳しくなったと言います。そして、これらの実験の知見が示唆するとおり、嫌悪に敏感な人は、移民や外国人といった特定の他者に対して、より厳しい態度を取るというのです。

この見解に納得するところが多いですね。園や地域のなかで、違反に対して厳しくなる人や、強く苦情を言ってくる人の中で、思い当たるふしが多々あります。こちらは、「こんな些細なことで」と思っていることについても、厳しい態度を取る人は、嫌悪に敏感な人なのかもしれません。

嫌悪に敏感な人” への14件のコメント

  1.  〝嫌悪〟という、どこか不愉快で、イライラとした気持ちを彷彿させる感情。その中に心を置き続けていれば自然と人への態度というものもそれ相応のものになっていくというのは何とも頷けるところです。
     この度のブログを読んで面白いと思ったのは、〝厳しい態度を取る人は、嫌悪に敏感な人なのかもしれません。〟という言葉に集約されていて、つまり厳しい態度を取る人は、心の中が幸福よりも、嫌悪というものに支配されてしまっていると言えるのではないか、ということです。それを見抜く目を持っているのと、持っていないのでは全く異なると思います。例えば会社で人前で上司に怒鳴られることがあったとして、しかも節々に「君の為を思って言っている」という言葉が含まれているとしても、それなら優しく教えてくれたり、誰もいないようなところで注意してくれればいいわけで、やはりその人は嫌悪で満たされていて、それを表出しているだけなのだと思います。「あの人は根はいい人だけど仕事になると…」と聞いたことがありますが、暴論かもしれませんが、その人は仕事に嫌悪感を感じてしまうのかもしれませんね。どんな状況でも、どんな物事にも〝積極的と消極的、受動的と能動的、それは、日本語だけではなく、英語にもネガティブとポジティブなど相反する言葉があります。中国の易学では、宇宙の万物を作り、支配する二つの相反する性質を持つ気があるとし、積極的なものを陽、消極的なものを陰としました。〟とあるならば、自分の気持ち、感情を乱さないよう心がけて、いつでも陽の面に目を向けられるようにしたいと思いました。

  2. 「互いに対立する属性を持った言葉があります」という言葉がありましたが、どうしてこの世の中には対立するような両極端なものがあるのかなとも感じました。嫌悪という言葉がなければ、嫌悪感というものは感じないものなのかはわかりませんが、両方の言葉が存在する意味というものがあるのでしょうか。また、嫌悪に対する実験というものもすごいですね。人間がどのように嫌悪と付き合っているのかということが理解できます。日々、嫌悪を感じていると、「反感」が生まれやすいというのはなんとなく理解できます。柔軟性や許容するということが難しくなる印象です。そうすると、どうしても何かに反感し、自分の正しさを確認しようとするのかもしれません。そして、イライラは伝染しやすいと聞いたことがあります。嫌悪というものは、そういった性質もあるのでしょうか。

  3. 桃太郎にはそんな理由があったのですね!思い起こせば、島根県に黄泉比良坂という生者と死者の境界と言われる場所があるのですが、神話で死者の世界から逃げ帰る時に、追いかけてきた相手に桃を投げたという話があったのを思い出しました。私も話が逸れてしまいました。共感の反対が「嫌悪」という感情であるというのも思ってもみませんでした。そして、嫌悪を体験した被験者たちが皆、他者の行為について道徳的に厳しくなったという嫌悪に関する研究もとても興味深いですね。その実験を藤森先生の解釈のもと。そ園や地域の人々の姿につなげてもらったおかげで、実験の意味がより理解できました。そういった人々の行動にも科学的根拠があるというのは驚きと同時に、そう考えることで、対処といいますか、生理の仕方が違ってくるのだろうなと思いました。嫌悪に敏感な人とありました。そうなると嫌悪に敏感ではない人もいるということになるのでしょうか。その違いはどこから生じるのかも気になります。

  4. この世のもの事すべて、「必然、必要、ベスト」だそうです。ということは、共感の反対の嫌悪も「必然、必要、ベスト」ということになる。さて、これはどう考えるべきか?「嫌悪に敏感な人」は世の中にはたくさんいるような気がします。「他者への評価が厳しくなります」ということで、その人は一体どんな人間になりたいと思っているのでしょうか。品行方正、礼儀、清潔、衛生、安全安心、人に迷惑をかけない、同じ過ちは二度と繰り返さない、・・・をモットーにしていると、そうではない人がおそらく鼻について仕方がなくなるでしょう。嫌悪感を抱き、そのことが繰り返し行われることによって「嫌悪に敏感な人」に成るのでしょう。ところで、今回も「実験」の結果ですね。しかしまぁ、いろいろな実験を世界では行っているのですね。とても感心します。閑話休題。「嫌悪に敏感な人」は決して他人事ではありません。私自身を振り返ってみても、そのような人になる可能性を己が内に見て取ることが正直できます。これはいけない、と思って日々自分を変えようと努力しているつもりです。「こんな些細なことで」と思えるように自己変革を遂げることが必要だと思っています。その意味で、自分が過ごす環境は殊の外重要になってきます。

  5. 嫌悪について考えたとき、誰かと見たものに対して、同じような気持ちになる、世の中には、様々なイメージできるものがあります。これは、こうだとかそれは、共感的面にも働き、嫌悪にも働くといった隣同士にあるものだと感じると共に、これは、ステレオタイプであったり、レッテルなどといった偏見的な要素も感じられました。
    嫌悪な態度をとることで、雰囲気が悪くなることは、体験したことがありますが、こうして考えてみると、嫌悪を感じる基準というものは、それぞれもっていると感じられ共に生活できているなかには、相手のことを信じたり、相手の意見を聞くといった他者理解の部分を強く感じました。
    “厳しい態度を取る人は、嫌悪に敏感な人”他者へ対して警戒心が強いことも関係しているのでしょうか。また、心に余裕がなかったり、気持ちが焦っていることも関係しているように思います。

  6. 〝厳しい態度を取る人は、嫌悪に敏感な人〟とあり、その〝嫌悪に敏感〟になる要因として、自己の中で何か嫌なことであったり、不快なことが起こってしまったときであったり…というような自分の中でマイナスなことが起こった時に「敏感」になりやすくなるということなんですね。ということは、苦情を言ってくる人のその言葉ではなく、その裏にある背景にもっと目を向けるべきであるように感じました。「そもそも何でこの人はこのように思ったのか」「そもそもこの言葉をチョイスしたのか」など、その根底にあるものに目を向けてあげれる余裕が、受ける側に必要であるんだな、ということを感じました。
    アメリカの次期大統領になった方の数々の発言から、その生い立ちを特集しているテレビがあっていたのと、今回のブログの内容がつながり「なるほどな」と思いながら読ませて頂きました。

  7. 桃太郎は確かに不思議なことだらけですね。フィクションであるという捉え方が「なぜ?」という疑問に今まで至らなかった理由かなと感じます。そう考えると他にも不思議な設定のストーリーが多くあることに気付きます。個人的に設定の背景を探ってみたくなりました。
    物事には極論と呼ばれることなど、相反する考え方や言葉が多く存在しますね。「共感」の反対に「嫌悪」があるとありましたが、他の対義語など、その2つは密接に関連し合っているもの同士とも取れるのでしょうか。例えば、共感に敏感な人は、嫌悪に鈍い傾向があったり、その逆も然りだったりといったことが傾向的にあるのか気になりました。また共感に敏感で、共感できない相手に遭遇したらそれが強い嫌悪に直結したり、嫌悪に敏感で、嫌悪を全く感じない相手に遭遇したらそれが強い共感へとつながることがあると考えると他の対義語の相関性にも興味が出てきました。

  8. 道徳違反の多い「環境に置かれた被験者たちは皆、他者の行為について道徳的に厳しくなったそうです。 」というのは仕方ないことではあるのですかね。さらには人は「 苦い食べ物を食べたときでさえ、人は、道徳違反により厳しくなった 」とあるようにこんなに些細なことでも人は厳しくなってしまうのですね。そしてそれが「反感」を生んでいくというのはなにか理解できるものがあります。こうした見解があることで嫌悪に敏感な人を見ることでその背景を想像し接することができますね。その嫌悪感というのを自覚出来ずに生活してしまうこともあるのでしょうか。自分を客観的に見ることが出来なくなってしまう状況というのもあります。そういった状況の中で無意識に嫌悪に敏感になってしまうこともあるのでしょうか。嫌悪感というのは誰も持つことではあると思いますが、どう付き合うかで大きく変わってくることがわかりますね。

  9. ちょうどブログを読んでいて思い当たるふしがありました。先日、家族で外に遊びに出かける時に紙飛行機を作って飛ばそうということになりました。紙飛行機と言っても妻がお店で買ってきた紙飛行機で折り紙で作るスタンダードな紙飛行機ではなく、色々な形に作れるものでした。しかし説明書というか、折り方の図もなく、ただ完成型の写真しかなく、全く訳が分からず・・・結果諦めました。その紙飛行機に対して私がイライラしてしまったのです。その後に出かけましたが、普段は特に言わないのに、少しテンションが高く、ちゃんとしない息子に厳しくあたってしまったのです。妻が息子に笑いながら「今、パパは紙飛行機でイライラしているから(笑)」と言い、少し冷静になりました。確かに嫌悪を感じたり、イライラしていると普段よりも、他人に対して厳しい態度をとるのは納得します。おそらく、これはほとんどの人がそうなのかもしれませんが、ただ人によって嫌悪を感じる度合いは違うので、やはり敏感な人は些細な事でも嫌悪を強く感じるのでしょう。誰にだって嫌悪を感じる瞬間はあると思いますが、それによって周囲の空気を悪くしてしまったり、他者を嫌な思いにさせ、その人を嫌悪を感じさせてしまい、連鎖反応が起きてしまう可能性だってあります。常に心に余裕を持って穏やかに過ごしていきたいです。

  10. 「嫌悪に敏感な人」こういった方は確かにいらっしゃいますね。自分自身にも少なからず該当するように思います。共感と相反することが嫌悪とあります。嫌悪に敏感な人はやはり嫌悪感を抱くことが多く、それを繰り返されることによってそうなっていくのでしょうか。人種差別は人種をわけることによって差別が起こりやすくなるというように、やはり環境における影響というものは大きいのかもしれません。では、かえって嫌悪の相反である共感は環境の中にあれば、共感のある「こんな些細なことで」と思える社会になるのしょうか。確かに今の社会には共感ということはなかなかできない社会になっているように思います。どうしても、価値観が固定され、型にはめようとすることが多いように思います。合理化が進むことでスムーズになったり、便利になることも多いのかもしれませんが、その反面、意識しないと共感ができないような社会になっているのかもしれませんね。

  11. 共感と嫌悪という話がありましたが、やはり置かれた環境において、嫌悪を感じるかどうかが違い、また少しの嫌悪を感じることで人への評価が変わるのですね。それを知っているか、知らないかだけでも人への関わり方が変わってくるのかもしれません。共感と聞いて、ポジティブな養育を思い出します。それは、子どもだけではなく、大人にも当てはまります。藤森先生が職員にやってもうらうように仕向けることがプロだとおっしゃっていますが、やはりそこには相手に共感する大切さが必要だと思います。しかし、今の自分を振り返りますと、自分と関わってくれている人に対して共感できているか、自分を通そうとしていないかと考えますと、まだまだ自分の未熟さを感じてしまいます。

  12. なぜ桃太郎が桃から生まれたかなど想像したことはありませんでしたが、よく考えると不思議ですね。せめて玉子とか、生まれた子が桶に入って流れてくるとか、そういった話の方がありそうな気がします。ただ、文中にもあるように桃の持つ意味。中国でも桃源郷と呼ばれるものがあるように桃の持つ力を感じます。その逆の意味で嫌悪を感じるもの。個人的には思い当たる節もありますが、その分ほかの面では少しおおらかになれている面もあるような気もします。こうしたも嫌悪を感じるものにも、個人により差があるのは、よくわかりますが、やはりあまり敏感にはなり過ぎたくはないものですね。

  13. 嫌悪についての研究があるのですね。そして、嫌悪を体験した被験者たちが皆、他者の行為について道徳的に厳しくなったという結果は興味深いです。「嫌悪」と聞いくと、悪いイメージしか浮かびません。できれば、嫌悪を感じることなく、他人に優しく思いやりが持てたらいいですね。この研究結果から、嫌悪に敏感な人がいることが分かりました。逆に嫌悪に鈍感な人もいるのでしょうか。嫌悪に敏感な人だとしても、それを他人に向けることなく処理できる方法もあるのでしょうか。こうした研究が、いい方向に活用できればいいなと感じました。

  14. 何に対しても一度嫌悪感を抱いてしまうと、それを払拭することはなかなか難しいことです。それだけ嫌悪という感情が持つ力や影響は大きいものであり、それは自分自身の体験からも感じることができます。人類がこれほどまでに文明を発展させ、生き延びてくることができたのは、共感という力があってこそだというのは理解できるのですが、では何故、それと相反する嫌悪という感情も人は持っているでしょうか?嫌悪は他を排斥をしたり、拒むというようなマイナスのイメージをどうしても持ってしまうのですが、人にこの感情があるのは、生きる上で必要だからこその部分もあるはずです。嫌悪に敏感な人がいたりと、どのようなことに対して嫌悪を抱くのかは、人によっても様々だと思いますが、、どちらか一方だけでなく、共感と嫌悪の相反する両者があるからこそ、世の中や社会が成り立っているのではないかと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です