母親との距離

 アニータ・セティの幼児研究では、部屋で一緒にいるときに、幼児と母親が無意識に見せる触れ合いを観察しました。就学前までの効果的な自制スキルを発達させた幼児は、たいてい、とても支配的な母親が注意を求めると、そばを離れずにいる代わりに、ほかへ気をそらし、母親から1メートル以上距離を置き、部屋を探検したり、おもちゃで遊んだりしたそうです。支配的な母親から距離を置き、母親が近づくそぶりを見せると、文字通り離れていった幼児たちは、5歳の時にマシュマロ実験で長く先延ばしにすることができたのです。注意コンロトール戦略を使って、欲求不満を「冷却」し、もっと幼かったときに支配的な母親から自分の気をそらしたのと同じやり方で、報酬とベルから気をそらすことで成功したというのです。これとは対照的に、同じくらい支配的な母親を持ちながらも、注意を向けるように言われたときに、そばを離れなかった子どもは、マシュマロ実験に臨むと、誘惑のもとに注意を集中し、たちまちベルを鳴らしてしまったのです。

 母親があまり支配的でない幼児に関しては、話が違っていたそうです。母親が注意を惹こうとしたときに、そばを離れなかった子どもは、5歳になったときにマシュマロ実験で、より効果的な自制と「冷却」の戦略を見せたそうです。彼らは、もっと幼い頃に同じような母親から距離を置いた子どもたちよりも効果的に気をそらし、誘惑のもとにあまり注意を集中せず、より多くの報酬を手に入れるために、長く待ったのです。

 最初にこの結果を見たときに、これは何を意味するのかということが疑問に思いました。ミシェルは、この結果について、こう説明しています。過剰なまでに支配的ではなく、子どもの欲求に敏感な母親を持つ幼児は、母親から距離を置く理由がなく、「新奇な場面」で、母親がストレスを減らしてやろうと近づいたときに、そばを離れません。しかし、自分の欲求にはとても敏感でありながら、子どもが必要なものには、それを子どもが最も必要としているときにも気づかず、子どもを苦しめるようなかたちで、一挙手一投足をコントロールしようとする母親を持つ幼児はどうなのでしょうか?

 アニータの研究結果からは、幼児が母親から少し離れるのは、悪いことではないのだろうとミシェルは言います。それは、5歳になったときに、マシュマロ2個を手に入れるのに必要な自制のための「冷却」スキルを発達させる役に立ちさえするかもしれないからです。

 この可能性を調べるために、モントリオール大学のアニー・バーニーの率いる研究チームは、2010年に、生後1年から13ヶ月の子どもと母親がどのように触れ合うかを観察し、そうした触れ合いが自制心の発達にどう影響するかを研究したそうです。チームは、パズルなどの認知的課題を一緒に取り組むときに、母親が幼児とどう関わるかを注意深く調べたのです。それから、子どもたちが14ヶ月と22ヶ月になったときに、再度テストしてみたのです。すると、最初の研究の時、子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすることで、自主性を奨励した母親の子どもは、のちにマシュマロ実験で、成功するのに必要な種類の認知的スキルや、注意コントロールスキルが最も優れていることが判ったそうです。

 ここからは、どのようなメッセージを読み取ることが出来るのでしょうか?

母親との距離” への14件のコメント

  1. 母親との距離感、これは物理的距離間のみならず精神的距離感を意味するのだということがわかります。「母親があまり支配的でない幼児」は忍耐力を身に着ける、あるいは衝動から逃れる術を知るに及んでいるようです。話は異なりますが、子どもを支配しない親は他者と敵対関係になりにくいのではないかと経験的に思っています。逆に子どもに対して支配的な親は他者に対して、殊に保育園や学校に対して厳しい、つまり子どもを自分の思い通りしているように子どもが通う保育園や学校を自分の支配下に置こうとするような気がします。支配的であったり、過度な関わりを持ったり、そうした親は子どもにとって不幸であるのみならず、社会的にも困った存在となる可能性が大なのではないだろうかと思います。子どもに挨拶を要求する親に出くわすことが時々あります。親自ら挨拶すればいいのに、と私は思います。そうすると子どもは親のいないとき自分で他の人に挨拶をします。このような子ども支配の親は自発的に挨拶することを子どもから奪っているのではないかと思います。「あいさつ運動」などと言って子どもたちに挨拶することを奨励することがあります。子どもにさせるのではなく、大人たちが互いに挨拶して気持ち良い関わりを子どもに見せるなら子どもたちは自然と挨拶をするようになると思います、とても快く。実はこのことは「母親との距離」の問題なのでしょう。

  2. 「幼児が母親から少し離れるのは、悪いことではない」「5歳になったときに、マシュマロ2個を手に入れるのに必要な自制のための「冷却」スキルを発達させる役に立ちさえするかもしれない」など、いかにその実験で待てるということが、その後の人生において、有利に働くということが想像できました。また、親子の距離についても、常に親子が一緒にいなくても必要な能力を獲得することは可能であるということ、冷却スキルが自制心の基盤としてあるということが理解できます。また、「母親から距離を置いた子どもたちよりも効果的に気をそらし、誘惑のもとにあまり注意を集中せず、より多くの報酬を手に入れるために、長く待った」とあり、以外にも、幼い頃の母親との触れ合いのい中に自制心獲得への要素があって、それも子どもの欲求に敏感に反応を示し、「母親があまり支配的でない」という点が重要であることが伝わってきました。子どもを支配しようとしてしまうのは、子どもの氏精神を奪ってしまうということが伝われば、母子関係も変わっていくのでしょうかね。

  3.  『母親との距離』とタイトルにあるように、いくらとても近い存在と言ってもその距離感というのは、とても大切なように思います。年を重ねていく毎に距離というのは少しずつ離れていくもののようにも感じられるのは、目の前の子どもを信じ、させてあげられることの量が、物理的にも増えていくからではないでしょうか。それは、何かとあれこれ指図するような近い距離ではなく、子どもを信じ、見守る、という距離感であると思います。
     大人になると家を出て、一人暮らしをし、自分の足で立って生きていくことを学ぶのと似ていると思いました。ずっと一挙手一投足をコントロールされて育ってきた人ほど、家を出ることが怖くなってしまうように思います。それは、指図して育てるということがイコール、親から〝言うことを聞かないと大変なことになる〟〝親に従っておけば心配しなくて大丈夫〟という、〝恐怖感〟〝劣等感〟から発進するような心を、育ててしまうのではないか、と思うからです。親の考えに反抗し、自分の考えを持つ。そういう意味では、反抗期、というものは、とても大切なものなのかもしれません。

  4. 就学前までの効果的な自制スキルを発達させた幼児は支配的な母親に対して気をそらしながら関わることができたという部分が印象的でした。支配的な母親であっても、自制スキルが発達しているということは周囲の環境や保育園といった環境の可能性を感じます。また「母親から距離を置く必要がなく」とありました。側にいても、離れていても母親は何かあった時には同じように助けてくれるという信頼関係のようなものを感じました。幼児が母親から離れることは悪いことではないだろうということ、それが自制のスキルを発達させることにつながるとあり、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉が浮かんできました。これは子どもに対して支配的にならないようにということでもあり、また子どもが自然と親のもとから離れることができるような、離れても旅を楽しめるような力を養うことの大切さを教えてくれているのかもしれませんね。最後の自由意志がある感覚を後押しする姿勢は保育者にとっても大切な関わり方ですね。

  5. 「イヤイヤ期」や「反抗期」がその後の成長になくてはならない時期であることがとてもわかる内容でした。この時期を経由することで、母子の距離感を正常に戻す、正す役割をしているように感じました。ほとんどの人が中学生ぐらいで「反抗期」を迎える印象がありますが、この時期も「イヤイヤ期」と同様に距離感を正すことで、自立へと歩を進める役割があることに気付くことができました。これらの時期に頭を悩ませている保護者の方々が、この実験結果を、この実験結果からわかる時期の役割を知ることができれば、我が子への対応にも変化が出て、心の余裕が生まれるように思えました。今回の内容は「母親との距離」でしたが、母親に限らず、人間関係には「距離感」が大切であることもよくわかりました。遠すぎず、近すぎずといった適度な距離感が大切であり、その距離感を実践している保育こそが「見守る保育」ですね。見守る保育を実践することで、実践者が子を持つときに、見守る保育で学んだ距離感を活かせるように思え、これも大人が子どもたちから教えてもらっている1つの学びだと感じました。

  6. 母親と子どもの距離についても、一番近くにいる人間同士であったとしても、その距離感は大切なものとなってくるということなんですね。
    必ずしも近くにいればいい、遠くからみていればいいというわけにはいかないのが難しさであり、おもしろさでもあると思います。
    〝幼い頃に同じような母親から距離を置いた子どもたちよりも効果的に気をそらし、誘惑のもとにあまり注意を集中せず、より多くの報酬を手に入れるために、長く待った〟とあり、幼い頃の母親との距離がその後の自制心を持って行動できることの大切なものの一つであることが読みとれます。
    いずれにしても、母親が〝あまり支配的ではない〟ということが重要であるということが理解できました。

  7. 母親との触れ合いでわかるものが多いのですね。そして、「幼児が母親から少し離れるのは、悪いことではない」というのも気をそらすことの1つであることがわかりますし、将来大切なことなのですね。「子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすることで、自主性を奨励した母親の子どもは、のちにマシュマロ実験で、成功するのに必要な種類の認知的スキルや、注意コントロールスキルが最も優れていることが判った」というのは非常に参考になることであると感じます。このブログを夫婦で読み、納得し、今後の子育てに生かしていこうと話しています。「子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすること」というのは見守る保育をするうえでもとても重要なことだと感じます。それは環境であったり言葉かけにも影響はあると思いますが、この根本的な部分というのはいつも念頭におくというより、見守る保育をするうえでは当たり前のことなのでしょうね。やはり、それが将来に大変役立つことになることがよくわかります。

  8. 母親との距離とありましたが、母と娘息子という関係ではなく、子どもも一人の人間ですので、本来であれば人対人という関係が当たり前だと思います。根拠のない「子どもだから」という理由で、人権無視されてきてしまったことにも問題がありそうです。
    保育園では、その子の自立を目指して保育をしていますが、自立しなくてはいけないのは保護者の方ではないかと思ってしまうケースがあります。
    放任でもなく、干渉するわけでもない「見守る」という距離感は高度なことであり、常に意識して保育をしなくてはいけないなと思っています。

  9. 私たちも保育をするなかで、子どもとの距離感を大切にしていることと同じように母と子の距離感の重要性を感じ、そして、自己のパーソナルスペースがあり、そのなかに他人が入り込んでくると不快な思いや相手を排除しようと攻撃的になったりと、どのような場合にも距離感というものは生きていく上で、生きるためのスキルとしてあるべき能力だと思いますし、相手の動機や気分、気質を選別し、その要求を理解できるという、対人知性にも関係性を感じます。”幼児が母親から少し離れるのは、悪いことではないのだろう”ということが子どもの自制心、目の前に広がる刺激的なものが、意識的に気をそらすような方法をとろうとする、ホットな状態になったものをクールな状態にするといったこと、他のものに自身で見立ててみたり、と様々なものへとつながっていると考えると、改めて母と子の関係性が子どもの育ちに繋がっているのかを知ることができます。

  10. 保育と同じで、親と子の距離感というも子ども達の発達上とても重要だということがわかります。支配的と聞くと、どうしても一斉保育が浮かんできます。自分の理想を追求するあまりに子どもとの距離感を忘れてしまいがちになり、大人中心で距離感を勝手に決めてしまいそうな気がします。チームとなるとそれがなくなり、距離感を時と場合によって自由に調節できるので、チーム保育のメリットを読みながら感じました。

  11. 保育においても距離感というものは重要なポイントですが、一番身近な母親との距離感についても同様ですね。また、支配的な母親から距離を置き、母親が近づくそぶりを見せると、離れていった子どもの姿は印象的でした。子ども自らも支配的な状況から生じるストレスに対処するために、そのような行動がとれるということに正直驚いてしまいました。距離感を考える場合、私は大人の側だけが意識することのように思っていたのですが、子どももそういった意図のもとで自ら距離を置くこともできるのですね。もし保育の中において子どもが私の側から離れていくことがあれば、自分の距離感や行をを見直す必要があるサインかもしれません。今回、距離感に対して新たな見解を持つきっかけになりました。

  12. なんとなくの実験結果はこのような結果になるだろうなと思っていましたが、改めて、文章にしてまとめてみると面白いですね。子どもに深くかかわりすぎるよりも、程よい距離を保っていたほうが「必要な自制のための「冷却」スキルを発達させる」ことができる。個人的な感想ですが、アースデイなど自由な考えの人たちが集まるようなイベントでは、こうした子どもたちの姿が垣間見れるような気がします。私自身どちらかといえば前者の関わりすぎの傾向があるので、気を付けて子育てをしていきたいと思います。

  13. 支配的な母親から離れる子ども、離れない子ども、子どもの欲求に敏感な親、子どもの欲求に敏感であっても子どもの必要なときに気づかない母親。様々なケースで検証が行われたのですね。その結果、「子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しするで、自主性を奨励した母親の子どもが、マシュマロ実験で、成功するのに必要な種類の認知スキルや注意コントロールスキルが最も優れていた」というのはとても考えさせられる内容です。いかに人にとって「自由意志がある」というということが大切なのかがわかります。しかし、ここで注目するのは「自由意志がある」ということではなく、そのあとの「感覚を後押しする」という部分にこそ、保育の中で必要な部分があるように思います。「自由意志」は何でも思ったことをしていいわけではなく、「自分で選ぶ」「選んだように思う」ということが大きいことなんでしょうね。真っ先に思い浮かぶのが「順序選択」です。やらなければいけないことはやるのですが、あくまで「子どもが活動するにはどうしたらやりやすいか」ということを子どもたちに選べるようにします。一見、自分で選んだように見えるのですが、結果的に「やらなければいけない活動」は達せられています。そこでは「共感」や「寄り添う」といったことが必要とされ、それを土台として「自分で選択する」ことがあるのでしょうが、この最後の「自由意志~」の文章はまさに「見守る保育」の一端の部分を説明しているようで、改めてこの保育を進めることの目線として見えてくるものがありますね。

  14. 「母親との距離が近いからいい」や「遠くで見ているからいい」という事ではなく「子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすることで、自主性を奨励した母親の子どもは、のちにマシュマロ実験で、成功するのに必要な種類の認知的スキルや、注意コントロールスキルが最も優れていることが判った」という事なのですね。これを読んだときに0歳児が親から離れる距離という藤森先生お話を思い出しました。やはり子どもにとって親というのはいつでも戻れる安心基地であって、そうあることで信頼感や安心感が生まれ自らの意思もコントロールできるようになるのではないかなと思いました。

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