いつから待てるのか?

 発達心理において常に課題となるのは、それが生まれつきであるのか、その後の環境によるものであるのかと言うことです。子どもたちが欲求を先延ばしする能力を持っているのか、持っていないのかは生まれつきであるのかという疑問を持ちます、また、持っていない我が子に対して、「すでに手遅れである」とか、「もっと早く知っていればよかった」という後悔の念を持つ人も多くいます。ミシェルは、自分が子育てを始めた頃に、同じくらい年齢の子どもを持つ友人に尋ねてみたそうです。すると、欲求充足を先延ばしする能力を持っているかいないかは、ほとんど誕生時から見て取れたとだれもが言い切ったそうです。具体的に誰々は持っていて、誰々は持っていないということを、具体的なエピソードから自信たっぷりに話したそうです。そんな活発なやり取りから、ミシェルはこの疑問は将来取り組むべき懸案であると考えます。それは、彼がマシュマロ研究を始めてからおよそ15年経っていたのです。

 誕生時からこのような能力を持っているかいないかを考察するためには、赤ちゃんを対象として実験をしなければなりません。しかし、赤ちゃんにお菓子を食べないで待っていなさいというような指示は出来ません。また、待った結果よりよい状況が生まれるということも理解させるのは難しいことです。彼は、赤ちゃんには、このような実験をします。

 小部屋から母親が出て行き、大学生のボランティアの他人と、床に置かれたおもちゃを残します。1歳半の乳児が、母親の帰りを待つのは非常に酷なことであったと振り返ります。ごく幼い頃に、主要な保育者がときおり姿を消し始めたとき、普通はすぐ戻ってきてくれるのですが、この短時間の別離はストレスとなりますが、どんな子どももそれに耐えなければなりません。

 誕生後2年目の半ばには、主要な保育者に対する幼児の愛着が、どれだけ不安感や安心感、あるいは相反する気持ちに基づいているかには、大きな個人差が出たそうです。そんな別離の間と再会の時に子どもたちが見せる行動から、人生初期の、彼らの人間関係と対処スキルがうかがえます。

 愛着の研究として有名なのは、心理学者のジョン・ボウルビィです。彼は、1930年代から、人生の初期段階における子どもたちの愛着経験の影響、とくに、戦時中にいやというほど見られた、ストレスの多い経験である主要な保育者との別離の影響を研究しました。その弟子であるメアリー・エインズワースは、この関係を観察する手段として、「新奇な場面」というものを考案します。それは、制御された当たり障りのない条件下で、短時間母親が姿を消し、それから戻ってくる状況を模したものでした。赤ん坊が痛ましいほどの泣き声を上げたり、必死にドアを叩いたりして極度の不安を訴えたら、母親はただちに助けに戻ってこられるようにしました。実験は、周到に計画された三つの段階からなっています。その実験をミシェルは紹介しています。

 それぞれの段階は、「自由遊戯」「別離」「再開」です。ミシェルらは、これらの実験結果が、マシュマロ実験にどのような影響を及ぼしたかということを考察したのです。

 

いつから待てるのか?” への15件のコメント

  1. 赤ちゃんが母親や愛着関係のある保育者と離れてしまった場合に感じる不安感というのも相当なものだと感じます。キョロキョロと周りを見渡す今にも泣き出しそうな不安気な赤ちゃんの顔を思い出すと、受けている不安感、ストレスな大きなものだろうなと思いますし、自分がそうだったらと想像してみるとすごく不安だろうなと感じます。そういったストレス下にいる状況が多いとやはり前頭前皮質も正常に機能していかなくなってしまうのでしょうね。藤森先生の講演の中で、愛着関係はなにも乳児期だけではなく、中学生でもそれ以降においてもそういった関係は必要であるというような話があったのをよく思い出します。人が何かをしようとしたり、挑戦しようとしたり、不安なことを乗り越えていくためには誰かとの安定的な関係があるからこそというのを子どもたちの姿をみていて感じます。常に不安といった感情を抱いてしまうと欲求を先延ばしにする力にも影響してくるのかなと感じました。

  2. ミシェルの友人たちの「欲求充足を先延ばしする能力を持っているかいないかは、ほとんど誕生時から見て取れたとだれもが言い切った」という話には驚きですね。大学の教授も、自分の子どもの行動観察する部分から、多くの疑問や気づきがあり、そこから調べていったり、知人たちからの情報収集をしていたそうです。やはり、実際に子どもの姿を目にすることということが重要であり、多くの情報とすりあわせたりする上での気づきであるのでしょうね。また、誕生時の時点で、どのような場面から子どもの欲求を先延ばしにできたという感覚になったのでしょうかね。欲求をしばらく泣かずに待っていることでしょうか。それとも、大人の行動を先読みできた姿があったのでしょうか。そして、メアリー・エインズワースの「新奇な場面」実験では、興味深い内容がありそうですね。「自由遊戯」「別離」「再開」という場面において、子どもの自制心をどこで把握するのかなと楽しみです。

  3. 生まれた時から先延ばしすることができる能力があるかないかということを、赤ちゃんの実験から考察しようとすることが過去に行われているんですね。
    赤ちゃんがどういう風になったら先延ばしできた、ということになるんでしょう。
    赤ちゃんが待つことができるというのは驚きますね。ホットな存在である赤ちゃんでも、ストレスを感じての行動がどのようなものなのか、やはり、誰かと協力したり、共生しているという感覚がそのようなストレスからのことも和らげてくれるのでしょうか。

  4.  〝欲求充足を先延ばしする能力を持っているかいないかは、ほとんど誕生時から見て取れたとだれもが言い切った〟これは、子をもつ親としてはとても興味深いことだと思います。我が子も今日で3歳になりました。〝三つ子の魂百まで〟という言葉が、今新しい解釈の中で改めて信じられていますが、この3年間でどのような性質がどのように育ったのか、そしてどのような大人へと成長していくのか。本当に楽しみでなりません。
     ホットとクールを知り、自分の子どもの姿と当てはめてみると、そういった力を持っているように思えます(笑)子どもの姿を見て、自分の姿を省みる度、子どもに育てられていることを実感します。この3年間で自分も父親として育ててもらったことを思うと、感謝の気持ちが湧いてきます。帰って息子に会うのがいつも本当に楽しみです。

  5. 「別離の間と再会の時に子どもたちが見せる行動から、人生初期の、彼らの人間関係と対処スキル」が伺えるとありました。2歳半頃の子どものことと了解しました。今回のブログの内容からはかけ離れるコメントですが、母から離れてしまって寂しいとか悲しいという経験を就学前にしたことがありません。ところが、父親との間にはそうした思い出がありましたから、今考えてみると不思議です。何歳ぐらいのことだったかは判然とはしませんが、2トントラックを運転して出かける父を泣きながら走って追いかけたことが覚えてます。運転台にいる父は追いかける私の存在に気づいていたかいなかったわかりませんが、踏切で一時停止した後、そのまま走り去って私の視界から失せてしまいました。変な感じですが、今回のブログを読みながら以上のようなことを思い出してしまい、そのままコメントとして掲載しています。父が恋しかたのか、あるいはただトラックに乗って行きたかったのか・・・おそらく後者であったろうと思うのですが、あれから半世紀経つ今日なお覚えている出来事でした。だから何なの?と言われれば返答に窮してしまうことではあります。

  6. 「子どもたちが欲求を先延ばしする能力を持っているのか、持っていないのかは生まれつきであるのか」という疑問は、非常に興味深いです。そのためには、赤ちゃんを対象とした実験が必要となり、それがすごく難しいであろうことがわかります。生まれながらに備えているかを愛着から紐解く考え方があるのですね。生まれながらに備えているという事実があるにしても、別離によって起こるストレスを赤ちゃんがどうクールダウンをして緩和するのか、想像できませんが、どのような方法を用いるのかを知れると思うととても楽しみです。そして実験を「自由遊戯」「別離」「再開」の段階に分けて行い、マシュマロ実験に及ぼしたのかも気になるところです。別離から再開へという流れは保育園でも見られることですね。別離から再開を果たす喜び、嬉しさが先延ばしする能力を引き出す効果があるのかなと感じました。

  7. 確かにいつから待てるのかというのは普通気になるところではありますね。「同じくらい年齢の子どもを持つ友人に尋ねてみたそうです。すると、欲求充足を先延ばしする能力を持っているかいないかは、ほとんど誕生時から見て取れたとだれもが言い切ったそうです。」というのはすごいですね。それほど、我が子となると細かいところまでジッと見てしまうということでしょうか。うちには1ヶ月になったばかりの赤ちゃんがいますが、行動をじっと見てしまうとことがよくあります。それも同じなのかもしれないですね。誕生後2年目の半ばには、主要な保育者との愛着関係で「人生初期の、彼らの人間関係と対処スキルがうかがえます。」というのは気になるところです。どんな行動をすることでわかるのでしょうね。「自由遊戯」「別離」「再開」といった事柄でより深く理解していくのですね。読み進めて理解をしたいと思います。

  8. 誕生したときからこのような能力、先伸ばしにできる力を持っているのかと言われると、持っていないとも持っているとも言えず、持っているけれど、表出する術をまだ能力として身に付けていないという表現をしてしまいます。
    そして、刺激を受け、ホットシステムが機能し、そのことを先伸ばしにするように、クールシステムを機能させるのに、赤ちゃんはどんな姿をするのかと不思議さを感じます。お腹を空かせて、母親に伝えるために、泣く行為をし、母親がなかなか行けずにいると、さらに泣き続け、アピールをし、いわゆるホットな状態になり、それを気をそらすような方法をとる、指をくわえたり、衣服をすったり、手を差しのべると手を吸ったりと、すると、一時的ではありますが、刺激を受けていたものがクールダウンします。このような姿も、赤ちゃんがもつ先伸ばしにする能力として本能的に動いたものだと思いますし、”欲求充足を先延ばしする能力を持っているかいないかは、ほとんど誕生時から見て取れたとだれもが言い切ったそうです”ということも理解できる気がします。

  9. ブログを読んでいて、保育者が部屋から出ると追いかけてドアをドンドンと叩いて泣いてしまう1歳児の男児を思い出していました。離れることは、彼にとって相当なストレスを抱えることになっていることだと思います。
    藤森先生の「三つ子の魂百までという言葉がありますが、3歳までの時期を大切にするのではなく、いつも年代も大切です」という言葉が深く残っています。愛着関係というと赤ちゃん、子ども時代だけのように思えますが、悲しみ、不安を乗り越えるためには、周りに信頼できる誰かがいるということが大人にも必要ですよね。人に傷つき、人に安心をもらう。ひとりで生きていきたいという人がいますが、それは無理な話で、私たちは社会の中で協力して生きていくことしかできません。見守る保育と出会い、自分が社会の中の一員であるということを強く意識するようになりました。

  10. 「生まれつきであるのか、その後の環境によるものであるのか」という実験は昔から行われていたのですね。このようなことが科学的に明らかになるにつれて、幼児教育に関する多くのことが変わるような気がします。このような実験の方法はブログでいくつも紹介されていますが、研究者は本当に様々な方法を考えるのですね。「誕生後2年目の半ばには、主要な保育者に対する幼児の愛着が、どれだけ不安感や安心感、あるいは相反する気持ちに基づいているかには、大きな個人差が出た」とありました。このような内容がどんどん発表してもらいたいと感じます。

  11. 確かに人がいつから待てるのか?気になります。我が子は最近になって「待つ」ということを何となく理解しているので、食事やお菓子を食べるときに「ちょっと待ってて」と言うとちゃんと待っています。時々、自分の好きなものがあると我慢できずにつまみ食いをしていますが(笑)そう言われると去年の今頃はまだ「待つ」ということを知らないのか、とりあえず自分の欲求をを満たすために、すぐに食べたり、遊んだりしていました。しかし保育園の1歳児クラスの子ども達を見ていると、朝の会もちゃんと座って聞いているし、何となく待っているように見えるのは私だけでしょうか。そこには子ども集団が存在しており、集団が1歳児の子どもでも「待つ」という雰囲気を伝えているように思います。

  12. 「子どもたちが欲求を先延ばしする能力を持っているのか、持っていないのかは生まれつきであるのか」という疑問については強い関心があります。私も親でありますので、我が子たちはどうだろうかという思いはもちろんのこと、私自身も自制することや待つという姿勢が今からでも身につくのかどうかということにも繋がることなので、これらの実験結果とうものが非常に気になっています。しかしながら、いつも関心させられるのが研究者たちの実験のやり方や考察についてです。「待つ」という疑問に対して答えを導き出そうとする方法だけでなく、その姿勢や視点というものにいつも驚かされています。こういった実験結果を踏まえた上で、保育に取り組むのとそうでないのとではまた違ったものになるでしょうから、結果を知った上でどうするかということをしっかりと考えていけたらと思います。

  13. 改めて世界でいろんな考えがあることを実感します。私が生まれるずっと前からそんなことが検証されていたとは。思えば、保育園や子ども園など、慣らし保育というものがありますが、そうしたこともこれまでの保育の歴史が生み出した一つの検証結果でのあるのでしょうね。
    「自由遊戯」「別離」「再開」の3段階の実験がどのような結果になったのか楽しみです。

  14. ヒトが生きている以上、何らかのストレスを感じることはあります。このことを検証するというのは難しいことですね。欲求充足を先延ばしする能力が0歳児からあるというのは考えてみるとあるのは当然かもしれません。しかし、意外とそれをストレスを感じていると考えることはないのかもしれません。しかし、これまでのブログの内容を見ていると、どうやら生まれつきというよりも環境による要因の方が大きいように感じます。今後の内容をよく見ながら、現場の保育環境の中でどう考えていくことが必要なのか、どう捉えたらいいのか考えていきたいと思います。

  15. 「子どもたちが欲求を先延ばしする能力を持っているのか、持っていないのかは生まれつきであるのか」という疑問、そして、母親が小部屋から出ていく実験を見た時に慣らし保育の状況を思い出しました。藤森先生も慣らし保育中は親との信頼関係をつくり笑顔で話すことで結果的に子どもが安心していくというお話をされていましたが、1930年代からそのような実験が行われていたのには驚きです。「自由遊戯」「別離」「再開」これらの段階によってどのような反応をするのか楽しみですね。

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