ピアジェは、幼い子どもたちが、ある状況では年長の子どもや大人とは異なる考え方をすると主張しました。彼は、知的発達には、不変な年齢段階があると仮定しました。そして、幼児の思考は具体的で抽象性がないため、幼児には幼児に特有なカリキュラムが必要であると確信していたのです。しかしながら、後の研究では、ピアジェが主張したのとは違い、幼児の思考が非論理的でもなければ、抽象で井がないわけでもないことが示されています。
彼は、よくかくれんぼを例に出して、子どもはまわりの世界を自己中心性に取らえるとしました。この考え方は、幼児の精神構造の特徴を表わすために用いた概念で,もっぱら自己を中心に据えた視点から外界に働きかけ,視点を変えたり,視点と視点の関係をとらえたりすることのできない時期の特徴をさします。かくれんぼをすると、幼児は自分の頭を隠し、自分から他が見えないと、他からも自分が見えないと感じてしまうというのです。このように、自分自身の視点を中心にして周囲の世界を見ることが、子どもの思考の特徴として指摘したのです。
しかし、このようなピアジェの考え方や彼の提出した証拠には、その後多くの反論が寄せられ、ピアジェが考えていたよりも子どもたちは有能な存在であることが次々と明らかになりました。それらの研究の中から、最近3歳から4歳にかけて、ピアジェの指摘しなかった重要な変化が子どもたちに生じることが明らかになってきました。その一つが、以前ブログで紹介した「標準誤信課題」というものです。ピアジェは主として、子どもの数・量・時間などの物理的な世界に対する理解を探求したのですが、この3歳から4歳にかけての変化は、心理的な世界の理解についてのものでした。しかし、3歳から4歳へかけて標準誤信課題以外にも、いろいろな点で変化が生じることが確かめられています。とくに、これもブログで取り上げた最近の発達心理学者たちが提案している子どもの「心の理論」の成立です。
もちろん、子どもであれ大人であれ、十分な経験、教育、専門的知識がなければ、物理的・社会的世界について、直観や常識に頼った誤った見方をしてしまいます。このように構成された知識の多くは、学校教育では帰るのがとても困難であると言われています。そうだとすれば、教師はどうすればいいのでしょうか?旧ソビエトの心理学者であるレフ・ヴィゴツキーの研究が、古典的ではあるけれども再評価されています。彼の研究は、この点に焦点を当てていました。ピアジェの理論に付け加えたのは、子どもが知識を構成するとき、まわりの人々に助けられたり影響を受けたりするという洞察でした。
すなわち、子どもはまず親や教師・仲間などに教えられたり、ちょっとしたヒントをもらったり、模倣をしたりしながら、新しい問題に対処していき、やがて自分だけでそれをやり遂げることができるようになってゆくと考えたのです。それが、「発達の最近接領域」と言われるもので、「まったく解決不可能な領域と、独力で解決可能な領域の間に、他からの援助があれば解決できるという領域が必ずある」という考えです。発達と教育の相互関係において、各々の子どものこの領域(近い将来の水準)を発見し、この「最近接領域」に働きかけ、新しい活動や発達を可能にして、発達を引き上げてゆくことが重要だと説いたのでした。
しかし、最近、また新しい考え方が付け加えられています。