料理物語に書かれてあるうどんやそばの味付けを「汁はにぬき(煮貫)叉たれみそ(垂れ味噌)よし」と書かれてありますが、それを見ると、味付けのベースは「味噌」と書かれてあります。現在、うどんやそばの味付けのベースは「醤油」です。それは、その歴史に関係があるようです。
味噌と醤油は、日本食には欠かすことができません。この二つが、日本食の特徴である「うまみ」をつくり上げるからです。特に、醤油は、ただしょっぱいだけではなく、甘味、酸味、苦味、塩味、そして旨味という、5つの味の成分を兼ね備えた万能調味料だ。甘味、苦味、酸味、そしてうま味を兼ね備えた、この類まれなる複雑な調味料であると言われています。この醤油は、実は室町時代に「ある副産物」として生み出され、各地で様々な製法の改良を経てきた調味料です。
日本酒、味噌、醤油と日本の味覚を代表する食品は、日本風土に関係して出来上がります。それは、どれも日本の高温多湿な風土で育つ「麹菌」というカビによる発酵食品で、その発酵が風味を醸し出しているのです。
そんな日本の食の代表格のような醤油ですが、実は、やはり、そのルーツは中国大陸から伝わったとされています。ただし、中国では調味料というよりも中国由来の保存方法に使われたのです。それは、「醤」(ひしお)と呼ばれる保存食なのです。狩猟生活だった時代、狩った獲物の肉を保存しなければなりませんでした。そこで、肉を塩漬けにしました。これを「肉醤」(ししびしお)と言います。それがしだいに農耕生活に変わっていきます。すると今度は、大豆や小麦などの穀類を保存しなければなりません。そこで、やはり塩を加えて漬けて保存しました。それを「穀醤」(こくびしお)と言います。この保存方法に「醤」が使われています。
この「穀醤」の作り方が、日本に6世紀の仏教伝来の頃と同じ時期に伝わったと言われています。しかし、この醤づくりは、まだ調味料としてではありませんでした。それでも、日本で日本独特なものとして進化していきます。まず「未醤」(みしょう)なるものが生まれます。これは、この字のごとく、「豆の粒が残っている醤」という意味です。この未醤が、やがて味醤、味曽、味噌と変化していきます。しかし、醤同様、味噌も調味料というよりは豆やその他の穀物を塩漬保存した保存食であり、つまんで食べることができました。徒然草には、北条時頼と北条宣時が、台所に残っていた味噌だけを肴として酒を酌み交わしたという逸話が書かれています。
その味噌が室町時代になると、各地で発達していきます。そして、戦国時代には兵糧として重宝され、兵士の貴重な栄養源になりました。そして、江戸時代になって、現在のように調味料として認識されるようになっていったのです。ですから、まず味付けのベースは味噌だったのです。味噌を作っている過程で、その味噌から液体がしたたり落ちます。それを「たまり」と言いますが、その液体の調味料として独立していきました。この偶然に見つけた産物が「醤油」となっていくのです。そのうちに、大豆を主原料とするたまり醤油とは異なる醤油のつくりかたが生まれます。関東地方で「濃口醤油」が誕生するのです。