子ども本位

 宮本常一は、蓮沼門三氏の自伝から、農家の生活を考察しています。彼の父親が行方不明になり、母親は、貧しい家へ再婚し、苦労して彼を育てます。その貧しい中にあって、彼の義理の祖父は町へ出ていったとき、あるいはまつりの日などに、嫁のつれ子のためにしきりに絵本などを買って与えていることが述べられています。宮本さんは、「これによって当時(明治中期)、この地方(会津盆地)にも子供の見る絵本が商品として店で売られていることがわかるのだが、小作百姓の貧しい農家にも、そういうものを買うものがあったということは、われわれにいろいろのことを考えさせる。とにかく、まずしい家でも、子供はたいせつにしていたのである。」と書いています。

 もちろん、それはすべての家庭というわけでもないのでしょうが、おおむねそのような生活であったようです。それを、宮本さんは、子供本位家族呼称でわかると言います。これは、昭和16?17年ごろ、河村只雄氏が問題にしたことがあるそうです。「日本の村落社会では、人をよぶのに、その姓や屋号をいうこともあり、また名をよぶこともあるが、それ以外にその家の小さい子供を中心にしてよぶ呼び方がある。たとえば幸一という子どもができるとすると、その父は、それまではただの名前だけでよばれるか、名字のみをよばれていたのが、「幸一のお父さん」と一般に呼ばれるようになる。同様にその母は、「幸一のお母さん」で村中通用する。祖父母も「幸一のおじいさん」「幸一のおばあさん」とよばれる。また、家の中でも子供ができると、その両親は、「お父さん」「お母さん」祖父母は「おじいさん」「おばあさん」とよぶようになる。戸主に子のある場合は、戸主がその父を呼ぶ場合でも「おじいさん」という。つまり子どもを中心にして人をよぶ呼び方だ、家庭の中にも外にもあるわけである。」

 たしかに、私の息子と娘に昨年孫が生まれた途端、今年の私へのよび方は、子どもたちからも、妻からも「じーじ」に変わりました。園で、たまに園児の祖母に対して「おばあさん」と呼びと怒る人がいます。「私は、あなた方のおばあさんではありません!」と。しかし、その呼び方は、考えてみると子ども本位のよび方であり、日本独特の子どもを大切に思う気持ちの表れであるのですね。もしかしたら、園の職員にたいしても「先生!」と呼ばないで、お互いに「さん付け」でよぶ園があります。それは、アメリカの影響かもしれませんが、お互いに「先生」と呼ぶのは、子どもの本位のよび方であるのかもしれません。子どもから見ると、やはり「先生」だと思うわけですから。ただ、政治家などに対して「先生」と呼ぶのはどうかと思うのですが。

 しかし、貧しさのあまり家庭の犠牲にされていた子どもたちがいたことも確かです。貧しさのために、親がその子を売り、また工場などで働かせていました。明治、大正にかけての工場には、たいてい少年工がいたと宮本さんは言います。町には子どもの夕刊うり、角兵衛獅子をはじめ、門づけをして歩く子供の数も少なくなかったと言います。しかし宮本さんは、こう書いています。「したがって、いちがいに子供が大切にされていたとはいえないが、本質的には、子どもは大切にされるべきものとの考え方はあった。お互いにわかっておりつつ、虐待される子どもの多かったことに、人々の目覚めのおくれや、社会全体のまずしさからくる社会悪が見られるのである。さてもともと子どもが神聖視され、尊ばれたものであることは、子供とまつり行事の関係を見てゆくと明らかになる。」と言います。

 子どもへの虐待は、後を絶ちませんが、どうも、最近の子ども虐待は、当時の虐待とは少し違うようです。