ドイツ報告2012-14

 ドイツの小学校の授業参観してみて、その内容は教師論なのか、目指すところの違いなのかはよく分かりません。日本では、よく教師の質とか、教師の研修をするとか、授業研究をします。もちろん、ドイツでも年間の研修が、非常に厚い本に掲載されていて、その中から自分で受けたい研修を選びます。ただ、少し日本と違うのは、これは幼児教育における研修ですが、厚い本から「自分の行きたい研修に、年間5日は有給で受けることができるのです。」との説明に、研究権がきちんとあるのだということと、逆に、他は自分で休暇を取って研修に行くのだということなのです。また、「研修に行っている間の職員の補充はどうしていますか?」との問いに、同僚は、「ぜひ行ってきてください」と非常に強力的で、特に代わりの補充はないそうです。

 このような事情があるにしても、今回じっくりと二クラスの授業を参観して感じたのは、教師の質の高さはもちろん、きちんとした理念、子どもたちにどのような力をつけることが大切なのかという合意がされているということです。それは、幼児教育から一貫していますし、きちんと連続しています。それが、私たちに日本との違いを感じるところでしょう。また、逆から見ると、このような小学校教育があるから、就学前教育、乳幼児教育があるのだということです。その中心となるものが、どうも「陶冶」なのでしょう。しかし、4年生までの小学校を終えると、知識の伝達が中心の授業になるようです。それは、ギムナジウムではラテン語などが入り、レアールシューレでは、職人になるための知識を学んでいきます。そのことが脳の臨界である7、8歳ころまでが幼児教育とし、それ以降は初等教育という授業内容なのです。

ドイツの小学校の校庭の一部


 幼児教育ということで、子どもが自ら体験したり、手で触ったり、見たりと五感を使った授業が展開されるのです。また、何時間もじっと座らせずに、いろいろと動き回ったり、作業をしたりと組み合わせていきます。「小学校の入学するまでに、きちんと座れるよぅにしてください!」とか、「集中して授業を聞けるようにしてください!」という日本で就学にあたっての注文はないのです。また、文字にしても、小学校に入学してから1年生では、直線構成の文字、2年生で曲線構成の文字をやった書かせるだけで、まだまだ手の随意筋の発達が未成熟である段階では、無理をしないのです。しかも、1年生といっても、全員6歳であるという日本と違って、1年生の授業を受けることのできる年齢になってから入学させるわけですから、いわゆる小1プロブレムのようなことは起きません。

教室内の天井装飾


 このことは、教室のレイアウトにも表れていますし、教室内の掲示物でも表れています。私が2時間目に参観したクラスには、そのクラスの担任が2年生のころの写真と、そのころ使っていたランドセルやノートが展示されていました。先生の子どものころの写真も見ると、先生だから偉いという権威を感じるよりも、自分たちと同じだったんだという親しみを感じます。また、ノートを見ると、昔は、1年生から曲線構成の文字を練習していたようです。次第に、教わる内容が遅くなっているのがわかります。
 以前のブログで紹介しましたが、年間240時間を、幼児施設の先生と小学校の先生が120時間ずつ分担して就学前教育を行っていることで、小学校の先生も、就学前の子どもたちを把握することができるのでしょう。

 小学生の下校とともに私たちも小学校を去るときに、道路で日本でいう緑のおばさん(ドイツでは若い女性なのでもしかしただ保護者かも)が、交通整理をしていました。

ドイツ報告2012-14” への5件のコメント

  1. ドイツはずっと前からこのような教育の考え方ではなかったんですね。それが徐々に教わる内容が遅くなってきたことを考えると、そこには何か問題があったり、社会の変化があったりしたのを受け、きちんとそれらを踏まえて教育のあり方を考えてきた結果なんでしょう。そして似たような課題があるはずの日本を見ると、少し視点がずれているしまっているのかもしれません。いや、視点がずれているのはなく、大人が変わることに対して無意識のうちに抵抗を感じているというあたりがしっくりくるような気もします。進むべき方向は見えているはずなので、あとは私たち大人がどう行動するかだけですね。それしかないはずなので。

  2. 日本の幼・小連携は、異なる教育文化を持つ幼(保)と小の教育者の意見交流や合同研修の意味合いが強いようです。つまるところ一つの行事に過ぎないのです。対社会的には、小1プロブレムに真剣に取り組んでいるという双方の教育者の姿勢を見せる必要があるからです。

    ドイツの学校の様子をみるにつけ、日本には幼(保)と小の教育者に「子どもの発達」に即した制度改革に踏み込む勇気とわが身を振り返る謙虚さが欠けていると言わざるを得ません。どんな子どもたちに育てたいのか、その理念も真摯に議論されているとは思えません。ただひたすら暴力やいじめ、不登校の問題行動を防止したいという後ろ向きの対応が多いのが現状です。ドイツと比べて全く遅れています。

    学校に素直に適応できる子どもを育てることが教育の目的ではありません。自分の人生を自分で切り開ける子どもを育てられる学校に変えていくことが今求められています。変わるべきは子どもではなく教育者であり学校そのものです。

  3.  幼児教育から一貫した教育理念があるから、ドイツのような乳幼児施設と小学校との連携がスムーズにいくのですね。なんだか、その話しを聞いて保育園や幼稚園でも園長先生が掲げた揺らぐ事の無い理念があると、クラス間やチーム内の先生同士が毎日毎日、密に話し合う事をしなくても、コミュニケーションは取れると思いますし、連携は上手くいくと思います。その理念が振れてしまうと職員も何を信じれば良いのか?迷い、それこそ先生同士がバラバラになってしまいます。今の日本の教育を表しているように思います。未来の日本を背負っていく子ども達をどのように育てていくのか?ドイツが目指す「陶冶」のような考えが日本には必要だと思います。ミュンヘン市の乳幼児施設も小学校もそれぞれが独自性を出しつつも、やはり「陶冶」の基となる考え方があるので、研修に行っても毎年違う施設を見れるのでしょうね。

  4. 幼児教育と小学校教育の連携がじつに密接にリンクしているのをとても感じます。しかも、そのどちらもが子どもの実態把握だけでなく、発達を理解し、そのことを踏まえて保育や教育に向かっている姿はとても理想的なことですね。どうしても日本と比べてしまいますが、日本の場合は子どもの発達の連続性が踏まえられているかというとそうではないですし、小学校教育に至っては発達という観点すら内容に思います。日本の教育に世界からは2周遅れていると藤森先生の講演で言っていたのがブログを読んでるととてもよく分かります。子どものことを考えているとは言っても本当にそれは子どものためなのか、今までの凝り固まった価値観は一度壊して、もう一度子どもとはということを社会ぐるみで考えていかなけれいけませんし、こちらも発信していかなければいけませんね。 ??

  5. ミュンヘンの小学校の教室は装飾にもさまざまな工夫が見られますね。こうした工夫をみると、何を大切にしているかがわかります。先生の子どもの頃の写真や教材を展示掲示していることにより、生徒たちも先生に対してより親近感を持つことでしょう。そして、先生も自分の子どもの頃を振り返りながら、今目の前にいる子どもたちと一緒に学習する、ということなのでしょう。私は今回のブログを読みながら「きちんとした理念、子どもたちにどのような力をつけることが大切なのか」について先生たちの間で「合意」がなされている点、これが重要だと思いました。合意のもとに授業が繰り広げられるわけですから、先生によって極端に異なる授業形態というものは存在しなくなるのでしょう。「小1プロブレム」など起こりそうもないドイツミュンヘンの小学校、小学生の子どもを持つ一人の親として、単純に恨ましく思いました。

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