ドイツ報告2012-12

 ドイツでの小学生の筆箱はとても特徴があります。まず、シャープペンがないことです。日本でも、禁止している学校があるかもしれませんが、ドイツでは、細い字を書くというよりも太い線を書くためということがあるようです。それは、他のペンを見るとわかります。日本でも、子どもの筆箱には様々なペンが入っています。しかし、日本の場合は、いろいろな色のマーカーとか、蛍光ペンが並んでいることが多いのですが、ドイツでは、色鉛筆が入っています。それは、文字などでも、色鉛筆を使って書くことが多いからです。2年生では、太い鉛筆で、曲線で構成されている文字を書く練習をします。1年生では、直線で構成されている文字を練習するそうです。日本でも、明治時代では、まず、子どもたちは直線で構成されているカタカナを先に教わり、曲線で構成されているひらがなは後で教わりました。それは、随意筋の発達から見ると自然なことかもしれません。1年生の子どもにとって「あ」というくねくねとした字を書くのは大変だろうと思ってしまいます。
 いよいよ算数の課題が始まります。プリントと突起物が並んでいる教具と輪ゴムを配ります。課題は、プリントに書かれてある図形を輪ゴムで作るというものです。ここまでは日本でもありそうですが、その意図を知ると、びっくりします。見本のプリントの図形の下に絵文字が書かれてあります。笑い顔と普通の顔と泣き顔です。子どもたちは、課題に取り組むとき、その課題は難しかったか、普通であったか、簡単であったかという評価として顔のところにチェックをつけます。一人一人をよく見ていると、割と的確につけています。きちんと難しいと思う課題には泣き顔にチェックをつけています。きちんと自分を評価するのです。
 もうひとつ、この課題の中に、見本に何も書かれていないものがあります。それは、自分で好きな図形を書いて、その図形と同じ図形を輪ゴムで作るのです。自分で作りやすいように、簡単な図形を書く子が多いのですが、別にそれでもいいのです。その課題には、多くの子どもは笑い顔をつけていました。当然でしょうね。

 時間が終わるころになると、先生は、また前の方に子どもを集めて円形に座ります。そして、子どもたちに、「どの問題が一番やさしかった?」と聞いたら、多くの子は、自分で図形を作った問題と答えていました。そして、「どの問題が一番難しかった?」と聞いて、この授業は終わりました。ということは、どの問題の答えがあっているとか、間違っているとか答え合わせはせずに、どのように自分で取り組み、どれが簡単で、どれが難しかったかを考えることをさせる授業だったのです。算数は、答とか結果が大切なのではなく、考える過程が大切であり、その課題の難易を自分で判断する力をつけることが目的なのです。そして、それを人に伝える力をつけていきます。

 答え合わせをしない問題は初めて体験しました。考えることを大切にしているのですね。以前、日本で算数の授業参観をしたことがあるのですが、自分ながらに工夫をした解き方をした児童の答えを×にした先生がいました。その先生いわく、教科書と違う解き方をしたということは、「塾で習ったんだろう」ということで罰にしたそうです。また、算数のノートをきれいに書かせて、作品展に展示した先生もいました。

 この授業の最後に、丸く座った児童に学校はどうかと聞いてみると、ほとんどの児童は、「算数が大好き」「勉強は面白い」と言い、将来何になりたいかという問いにも、だれも臆せず答えたことと、日本ではほとんど「サッカー選手!」というように同じことを言う児童が多いのに対して、それぞれがきちんと自分のなりたいものを答えてくれました。

ドイツ報告2012-12” への5件のコメント

  1. ここ数日、ドイツの小学校の取り組みを読んでいてショックを受けています。今回も字を書くことについての考え方、算数の授業のあり方、どれも結構衝撃的な内容です。ほとんどの人が教育について語ることが出来るわけだけど、それはその人たちが全員教育を受けてきた経験があるからだという話をよく聞きます。ということは、自分が受けた教育の範囲内でしか教育を考えることができない、もしくはその枠を超えて考えることは難しいということでもあると思います。教育において何に重点を置くかということを変化さえていくのは、現状を考えるとなかなか難しいことだと思えてきます。でもやはりドイツの取り組みは参考にしなければいけないと思うので、悩んでしまいます。算数の授業の顔の評価なんかは、シンプルだからこそその目的がよく実感できます。変わっていきたい、変えていきたいと、強く思います。

  2. 「どの問題が自分にとって一番難しかったか?」という問いに答えるには、問題の内容と自分の能力を天秤にかけて相対的に評価できないと答えられません。これは簡単なようで難しいテーマです。試験に高得点を取るだけなら、公式や方程式をたくさん覚えて、手際よく問題の正解を導けば済みます。暗記力と要領の勝負です。日本の教育の目的はそのことにつきます。しかし社会に出て、自分の人生の数々の難問を解決するための教科書はどこにもありません。自分を肯定的に評価できる自己評価力と、自分なりのオリジナルな解決策を編み出す以外に生き抜くことはできないのです。自分を信じること。知恵を振り絞ること。幼児期からの自立をつないだドイツの小学校の授業に、この国の教育者の信念と覚悟を感じ取ることができます。なるほど、「小学4年生で人生の選択」もこれなら納得できます。

  3.  実際の授業内容を聞いてあいやまさん同様にショックを受けています。国語も算数も子どもの筋肉の発達に合わせた指導方法をしていて、決して発達を飛ばすような指導は、やはりしないのですね。子どもの発達に合わせて、この時期には何を一番大切にするのか、何を体験させたいのか、それがとても明確になっています。国語も文字を覚えさせる事でなく、文字を書くための前段階をしっかり身につける、算数は方法論を教えるのでなく、まず自分で考え、自己評価する事を体験させる、どれも将来に必要な能力です。どうしても日本と比べてしまうのですが、子どもをどういう風に育てるか?という根本的な考えが違う時点で、変えるのは難しいですね。クラスの半数がサッカー選手や野球選手と答えている子どもと、一人ひとりが具体的な将来の夢を話す子ども達、この差はとても大きいですね・・・。

  4. 「算数大好き!」「算数面白い!」こういった言葉をなかなか聞いたことがありません。ほとんどが勉強に対しては「面白くない」という答えが返ってくるのが日本でしょうね。私自身もあまり勉強というものが好きではありませんでした。勉強を自分から学ぶものとして捉えるよりは、「やらなければいけないもの」であったと思います。それに比べるとドイツの勉強の方法はとても刺激的でした。そこに先生の価値観や評価はなく、すべては自分自身で評価する。こういった方法や考え方は日本にはまずないでしょうね。どれだけ、日本には教育は子どもの可能性を伸ばさず、均一な価値観やもと縛り付けていたのかと愕然とします。日本の子どもたちが将来の自分に夢が持てないというのは小さいころから自分の可能性を信じれなくなっているのかもしれないと思うととても残念に思いますし、変えていかなければいけないととても強く思います。

  5. 算数の授業の始まりが丸くなって座り、これからの課題を互いに知り、そして授業の最後がやはり丸くなって座り、個々が大切にされながらも、学んだことを共有し合っています。先生と生徒の一対一ではなく、最後には丸くなって、互いの感想を聞き合う、そこから醸し出される雰囲気はギスギスしたようなもの、あ~つまらない授業が終わって清々した、というものではありません。互いに、達成感を喜び合っているような雰囲気を感じますね。「算数が大好き」「勉強は面白い」と発言する小学校2年生の生徒たちの気持ちがよくわかります。こうした環境を用意する教師集団のプロ性を感じずにはいられません。周到なカリキュラムがあり、そのカリキュラムに沿った様々な提案が教師になされ、そしてその教師は子どもたちひとりひとりを理解し、子どもたちの学習にとって最善の選択を行い、現場に臨むのでしょう。今回のブログの冒頭に紹介されていた「筆箱」を観ても、そこから授業の意図性がよくわかります。なぜ、そうするのか。筆箱の中身にもそのことが反映されています。学習の効果を最大限にするには、筆箱の中の道具も大切なんですね。

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